第265話 消滅
グランダース王国、王都全体を包む禍々しく恐ろしい魔力。
押し潰してしまいそうな程の魔力の波動に、クロトの右目は激痛を伴うほど熱くなる。
何が起こっているのか、見た目には分からない。
魔力を可視できるクロトと異常な程の感知能力のあるセルフィーユの二人には、ハッキリとその魔力は感じ取れるが、ルーイットとパルには全く持って感じることは出来ていなかった。
その為、今現在の危険な状況を知る由もなく、蹲り右目から血の涙を流すクロトに心配そうな顔を向ける。
「な、何? 急に叫んじゃって?」
「誰かいるのか? それに、奴らも急に逃げ出したが……」
不安そうにルーイットはクロトの顔を覗きこみ、パルは胸を持ち上げる様に腕を組む。
そんな中、両手をかざすセルフィーユは険しい表情を浮かべると、叫ぶ。
『だ、ダメです! クロトさん! 攻撃じゃなくて、ただの魔力なので、私の防壁でも防ぐ事が出来ません!』
慌てたセルフィーユの声に、クロトも表情を歪める。
何故なら、クロトの目にはハッキリと見えていた。
ドーム状の防壁をすり抜け侵入する不気味な赤い霧が。
それは、地面からも噴出していた。
これは、クロトの直感だ。
この魔力には触れては行けない、と。
その為、クロトは奥歯を噛み締めると轟雷を地面へと突き立て、体から魔力を放出する。
今、残っている魔力を全て出しつくしてもいい。
ここで倒れても構わないと言うつもりで、高濃度の魔力をドーム状の防壁の中に張り巡らせた。
「な、何だ! どうした! クロト!」
突如、膨大な魔力を放つクロトに、パルは驚く。
これだけ間近で魔力を放てば、いやおうなしに気付く。その魔力の強さに。
しかし、敵もいないこの状況で、何故、クロトがそんな膨大な魔力を解き放ったのかは分からない。
一方、ほぼほぼ魔力の感知能力の無いルーイットは、イマイチ分かっておらず、驚くパルに首を傾げる。
「どうしたの? 何かあった?」
「感じないのか? クロトが放つ魔力を?」
「えっ? クロトの魔力?」
訝しげに首を傾げるルーイットは紺色の長い髪を揺らすと、腕を組み瞼を閉じる。
一応、魔力感知の方法は幼い頃に学んでいた。
ただ、才能が無いと言う事もあり、やはりその魔力を感知できず、獣耳をパタンと前に倒しうな垂れる。
「ご、ごめん……私、そう言うの感じる才能なくて……」
と、謝った。
あからさまに落ち込むルーイットに、申し訳なく思うパルだが、クロトの放つ膨大な魔力が気になりそれどころではなかった。
今、何が起きているのか、全く分からない。
そんな中、ようやく、クロトの右目から赤い霧が晴れ、王都を覆っていた魔力が弱まった。
それに合わせ、クロトも魔力の放出を留める。
しかし、その瞬間にクロトの膝が地面へと落ち、額からは大粒の汗が落ちた。
大きく開かれた口で荒々しく呼吸を繰り返すクロトは、苦しそうに右目を閉じるとゆっくりと顔を上げる。
セルフィーユが張っていたドーム状の防壁が消え、生暖かい風と共に王都を覆っていた魔力の残り香がクロト達を包み込む。
肌をピリピリと刺す気配。
そして、体中の魔力がこの空気中に溶け込む感覚。
何か、嫌な予感がクロトの脳裏を過ぎっていた。
「うっ……」
声を漏らし、膝に手を置いたクロトはゆっくりと立ち上がる。
体が重い。それでも、クロトには確かめなければ行けない事があった。
「おい。一体、何なんだ? 何があった?」
わけが分からないとパルはそう口にする。
もちろん、ルーイットも心配そうにクロトを見据える。
それだけ、クロトの顔には余裕がなかった。
一方、セルフィーユは驚愕していた。
王都全体を覆っていた魔力が消えたと同時に、王都に暮らす人々の魔力まで消失していた。
何が起こったのかは分からない。でも、一つだけ分かる。
それは、この王都は一瞬にして廃墟と化したという事だった。
極僅かに、魔力の波動も幾つか感じ取れるが、どれも弱々しく、今にも消滅してしまいそうな程だった。
『く、クロトさん……。た、大変……』
セルフィーユはゆっくりとクロトへと体を向ける。
だが、そこで、セルフィーユは言葉を呑む。
何故なら、セルフィーユの言葉はクロトの耳に届いていなかった。
正確には、クロトの意識はただ一点に集中していた。
セルフィーユもすぐにその存在に気付き、顔を上げる。
「セラ……」
『セラさん……』
二人の声が重なる。
そして、二人の視線の先には、セラがいた。
禍々しい真っ赤な魔力を全身から湧き上がらせながら、城の最上階に佇むその姿。
遠目でハッキリと顔が見えたわけじゃない。
ハッキリとそれがセラであると視覚では分からない。
それでも、クロトとセルフィーユはそう断言した。
二人の感知した魔力が、セラのモノだと一致したのだ。
「パル! ルーイット! ティオを見つけて、今すぐココから逃げろ!」
そう言い放ち、クロトは走り出す。
少しでもパルとルーイットから離れる為、少しでもセラに近付く為。
「ちょ、ちょっと待て! ど、どう言う――」
パルがクロトの背中にそう尋ねようとしたのを、ルーイットが止めた。
「クロトの言う通りにしよう」
真剣な表情で、ルーイットはそう言う。
「しかし……」
「大丈夫! 何があったか分からないけど、きっと……大丈夫。それに……なんだか、急に寒気がしてきた……ここにいちゃ行けないって、そう本能が言ってる……」
獣魔族としての野生の勘がそうさせたのだろう。
ルーイットは肩を抱き身を震わせる。
感知能力は低くても、そう言う勘は鋭かった。
不安そうにクロトの背を見据える三人は、やがて走り出す。
クロトに言われたとおり、ティオを見つけ出しここを離れる為に。
どれ位、時が過ぎただろう。
誰もいない。何の魔力すら感じない街道を走り抜けたクロトは、まだ色濃く禍々しい魔力の残る城内を駆けていた。
漆黒の鎧の男と蒼玄との戦いで肉体はボロボロ。
大量の魔力の放出で、精神的にもボロボロ。
今のクロトには殆ど戦う力など残っていない。
それでも、ただ走り続け――
「セラ!」
最上階へと辿り着いた。
冷たい風が吹き荒れるその場所に、禍々しい魔力をまとい佇むセラは、ゆっくりと振り返ると血のように真っ赤な瞳をクロトに向ける。
寒気を感じる程の眼差しに、クロトは唇を噛み締めた。
「今、はぁ、はぁ……解放……んぐっ、してやる……」
呼吸を整えながら、クロトはそう言う。
そして、瞼を閉じると深々と息を吐き出す。
意識を集中し、残り僅かな魔力を両手へと集める。搾り出すようにゆっくり、ゆっくりと。
この間、セラはジッとクロトを見据え動かない。
何かを待っている様にも思えた。
だが、クロトに考えているだけの余裕は無く、
「我が名の下に、今一度集まれ……」
と、クロトは宣言する。
その言葉により、クロトの周りに五つの空間の裂け目が生じる。
その内の一つに右手を突っ込んだクロトは、ゆっくりとその手をひく。
「土は全ての土台となる」
空間の裂け目から抜かれたその手には漆黒の刃の大刀、土の剣・黒天が握られていた。
その黒天の僅かに切れ目の入った刃をクロトはゆっくりと二つに割ると、それを鍔を軸にし柄の方へと折り曲げる。
それにより、一本の刃の無い柄が生まれる。
続けて右手を空間の裂け目へと突っ込む。
「火は全ての中心となり、全ての支えとなる」
そう言い、抜かれた右手には朱色の刃の刀、火の剣・焔狐が握られていた。
その焔狐の柄を、クロトは黒天を折り作られた柄に開いた穴へと、差し込む。
カチンと何かが組み合わさる音が僅かに響く。
更に続け、右手を空間の裂け目に突っ込んだ。
「雷は全てを打ち砕く刃となり」
空間の裂け目から抜かれる右手に握られるのは黄色の刃の短刀、雷の剣・轟雷。
その轟雷の背を、黒天で作られた柄に刺さった焔狐の刃に添わせるにスライドさせ、柄へと納める。
二つの刃がキッチリとかみ合う。
更にクロトは空間の裂け目に右手を突っ込む。
「水は全てを守り包み込む」
引き抜かれるその右手には、蒼い刃の長刀、水の剣・水月が握られ、それを焔狐の背にあわせる様に柄へと納めた。
またカチッと何かが組み合わさる音が僅かに響く。
「はぁ……はぁ……」
クロトの呼吸が乱れる。
魔力を消耗し過ぎて、意識がモウロウとしていた。
組み合わせた四本の剣をゆっくりと地面へと突き立てたクロトは、両手を空間を裂け目へと突っ込んだ。
「風は刃を加速させる原動力となる」
そう言いながら抜かれた両手には淡い緑色の刃の双剣、嵐丸が握られていた。
フラフラになりながらも、嵐丸を組み合わせた刃を挟む様に、刃の平へとはめ込む。
その瞬間、剣は光をまとう。周囲一帯を呑み込む眩い光の後、強力な魔力の波動が広がる。
そして、光が収縮すると、クロトの手には一本の漆黒の刃の剣が握られていた。
「魔剣……魔桜。頼む……お前の一振りで、セラを救ってくれ!」
クロトはそう言い、魔剣・魔桜を振り上げ、一気に振り下ろした。
刃は大気を裂き、同時にセラを包む禍々しい魔力を吸収する。
魔剣・ベルヴェラートの持っていた魔力を吸収する力を、この剣も備えていた。
ゆえに、その一振りで、セラの体を包む魔力を切り裂き、同時に吸収した。
だが、何かがおかしい。あまりにもあっけなすぎる。
そうクロトが直感した時だった。
一発の乾いた銃声が轟き、クロトの体を一発の弾丸が撃ちぬいた。
意識が失われるその刹那、クロトの目は確かに捉えた。
その銃を放った人物の姿を――
そして、クロトは遠退く意識の中呟く。
「何で……あんたが……クロウ……」
と。