第254話 ティオ vs ガガリス
吹雪く雪原の中、クロトとティオが対峙するのは、死んだはずのガガリス。
濁った赤い瞳がゆっくりと二人を見据え、その黒髪は痛いほどの冷たい突風にあおられる。
防寒着など着ていないガガリスの両腕には濃い鱗模様が浮かび上がっていた。
それは、龍魔族特有の龍化現象と似ているが、異なるモノだった。
だが、今のティオにそれを見抜くだけの冷静さなど一欠けらも残っていない。
何故なら、自らを庇い目の前で胸を貫かれ、死んだはずの兄・ガガリスが目の前に立ち塞がっているのだ。
冷静な考えなど持てるわけがなかった。
一方で、クロトも冷静ではいられない。
冷静に冷静にと自らに言い聞かせるが、こんな事をしている場合ではなかった。
パル達が襲撃されている。しかも、セラと同等の魔力量を持つ者に。
それを考えるだけで、焦りが募る。
完全に動きを止める二人に、ガガリスはゆっくり動く。
鱗模様の刻まれた手を握り、拳を作ると、魔力を込める。
クロトの右目は彼の周りを漂う魔力がその拳に圧縮されていくのを映し出した。
「ッ!」
瞬時に、クロトは我に返り、その手に一本の剣を呼び出す。
雷を象ったような刃をした短刀、轟雷だ。
アオに渡していたのだが、バレリアでの戦闘でアオの意識が戻らなかった為、仕方なくクロトは轟雷を手元に戻したのだ。
黄色の刃がクロトの魔力を帯びると、雷撃をその身にまとう。
ググッとガガリスは膝を曲げ、足へと力を込める。
どれ程の力を加えたのか、衝撃で、ガガリスの足元の雪が舞い上がり、茶色の土までもを舞い上がらせた。
と、同時に、ガガリスは地面を蹴った。
吹雪を裂く風の音が響き、クロトも遅れて動く。
「雷迅!」
右足を踏み込み、轟雷を突き出す。
「龍爪!」
轟雷が轟音と共に閃光を放つ。それにより、ガガリスの声はかき消された。
だが、それでも、ガガリスの右拳は突き出され、それが、クロトの放った一撃を相殺する。
「ぐっ!」
極限まで威力を抑えた一撃だったが、クロトの右肩は軋み痛みが走った。
そして、クロトとガガリスは衝撃で後方へと弾かれた。
雪原の上を転げるクロトに対し、ガガリスは両足で確りと地面を捉え雪原に二本の線を描く。
右肩を後ろに仰け反らせるガガリスは、白い息を吐くと上体を戻す。
一方、雪塗れのクロトは、頭を振り体を起こした。
「ッ……なんて威力だ……」
クロトは思わずそう口にした。
それだけ、ガガリスの一撃は凄まじいものだった。
これが、竜王の血を引く者の強さなのだと、クロトは息を呑む。
轟雷を受けたはずのガガリスの右拳は無傷だ。
皮膚に描かれた鱗模様のものが、斬撃を防いだのだ。
眉間にシワを寄せるクロトは、ゆっくりと立ち上がると、右腕を持ち上げる。
その時、右肩に僅かな痛みが生じた。
「ッ……」
思わず、クロトの表情が歪む。
あれだけ威力を抑えたのにも関わらず、痛みが走る程、クロトの右肩には負荷が掛かっていた。
呆然と立ち尽くしていたティオは、その衝撃で、我に返り、慌てて二人の間へと割ってはいる。
「ま、待ってください! ガガリス兄さん! 答えてください! どうして――」
「部分龍化。龍尾!」
ガガリスがそう言うと、左腕が強靭な龍の尾を模した形へ変わり、それがムチの様にしなる。
答える気がないのか、答える事が出来ないのか、元々聞く気などないのか、理由は定かではないが、ガガリスは龍尾と化したその左腕を振り抜いた。
しなる龍尾は積雪を派手に撒き散らしながら、ティオへと襲い掛かる。
「ティオ!」
瞬時に駆けるクロトは、ティオの横へと滑り込むと、短刀である轟雷でしなやかに迫る龍尾を受け止めた。
だが、ムチの様にしなる龍尾の先端は受け止められた事により、円を描く様に内側へと大きくうねり、クロトとティオへと向かう。
「くっ!」
クロトが声を漏らすと、ティオは右手をかざす。
「黒天!」
高らかに響くティオの声に鼓動するように、そこに漆黒の刃の大刀・黒天が姿を見せた。
ティオはその柄を右手で握ると、平たい切っ先を雪原へと叩きつけた。
積雪が舞い、衝撃が広がる。
黒天の平が、龍尾の先端を弾いたのだ。
奥歯を噛むティオは、歯の合間から真っ白な息を吐き出すと、地面に突き立てた黒天越しに、ガガリスを睨んだ。
もう話は通じない。
言葉を交わす事は出来ない。
そう理解し、ティオは黒天の柄を握る手に力を込めると、更に奥歯を噛む。
ギリギリと言う音がクロトの耳にまで届いた。
ティオの苦しみが僅かだが、クロトにも分かる気がした。
赤い瞳を鋭く変化させるティオは、クロトへ背を向けたまま告げる。
「クロト……ここは……私に……」
「分かった。任せる」
ティオの言わんとしている事を理解し、クロトは轟雷を下ろした。
だが、すぐに、
「ただ、俺の判断で手を出すかもしれないが、その時はすまん」
と、告げ謝った。
クロトの答えに、ティオは小さくお辞儀すると、黒天を持ち上げる。
ガガリスの龍尾と変わっていた左腕は元に戻った。
二人の視線が交錯する。
そして、ティオは地面を蹴った。
遅れて、ガガリスも地を蹴る。
「龍牙!」
ガガリスが右拳を腰の位置で握り締めると、それが、鋭く尖った強靭な一本の牙と化した。
両手で黒天の柄を握ったティオは、それを右腰の位置で構えると、左足を踏み込む。
「うおおおおおっ!」
雄たけびと共に、ティオは黒天を振り抜く。
鈍い風切り音が響き、やがてガガリスが振り抜いた右腕の龍牙と衝突する。
激しい金属音が響き、黒天が後方へと大きく弾かれた。
重量があるはずの黒天が弾き返される程の衝撃にも関わらず、ガガリスは弾かれず、仰け反るティオへと赤く濁った瞳を向け、振り抜いた龍牙と化した右腕を切り返す。
「くっ!」
奥歯を噛むティオは、背筋に力を込め、仰け反る体を引き戻し、勢いをそのままに、弾かれた黒天を振り下ろす。
体を引き戻す勢いに、黒天の重量が乗った先程よりも重い一撃が龍牙と衝突する。
衝撃で、二人の足元の積雪が吹き飛び、茶色の表皮が姿を見せた。
水気を含む土が、二人の靴底に入り込む。
「うぐぅぅぅっ……」
今度は力負けせず、黒天と龍牙はぶつかり合ったまま僅かに震えていた。
二人の顔が近付き、ティオはガガリスの濁った赤い瞳を見据え声を上げる。
「ガガリス兄さん! 私の声が聞こえますか!」
ティオの呼びかけに対し、ガガリスは体を激しくぶつけると、後方へと跳び距離を取った。
一方、体当たりを食らったティオは、よろけ後方に下がる。
二人の間に距離が開き、動きが止まった。
黒天を構えなおすティオは眉間にシワを寄せる。
静かに息を吐くガガリスは、真っ直ぐにティオを見据えると、
「どうして、お前はそうなんだ?」
と、告げた。
ガガリスの言葉に、ティオは息を呑む。
意志がないと思っていたガガリスの一言はそれだけ、衝撃的だった。