第253話 異質の生命体
クロトとティオが出発して二時間程が過ぎようとした時だった。
ふけ顔の男を見守るセルフィーユは不意に異変を感じる。
唐突に、ふけ顔の男の表情から覇気が失われると、ゆっくりと歩き出したのだ。
何かに誘われる様に、ゆっくりと。
一瞬だが、違和感を感じたセルフィーユだったが、ここではまだクロトに連絡はしなかった。
歩き出すふけ顔の男を上空から眺めるセルフィーユは、その後をただ追う。
そして、気付く。
この男が向かう先を。
それは、町から外れた入り江に浮かぶ船、パルの海賊船だった。
少々気にはなった。
それでも、セルフィーユは、こんな事でクロトに連絡するのは申し訳ないと思い、ここでも連絡はしない。
だが、直後だった。
セルフィーユのその目に異様なモノが映る。
急激に青ざめるふけ顔の男の顔。
まるで血の気が無くなったかの様だった。
そして、次の瞬間、彼の体からありえない程の魔力があふれ出す。
(えっ! そ、そんな! あ、ありえません!)
自らの目を疑うセルフィーユ。その魔力の波動は、クロトやセラと同等の魔力の大きさを示していた。
そんなはずは無いと、何度も、何度もふけ顔の男を見据え、目を凝らす。
だが、溢れんばかりの魔力は何度見ても、何度確認しても、変わらない。
流石にコレはおかしいと、セルフィーユはクロトへと念を送った。
刹那だった。
ふけ顔の男の皮膚が裂け、鮮血を飛び散らせると、その中から得体の知れない緑色の生命体が姿を見せた。
そして、それは、ドロッとした半透明の液体を撒き散らせ、跳躍すると、パルの海賊船へと向かい突っ込む。
(クロトさん! クロトさん!)
そう呼びかけながら、セルフィーユはその生命体よりも速くパルの海賊船まで辿り着く。
と、同時に、セルフィーユは両手をかざす。
『絶対障壁!』
セルフィーユの誰にも聞こえない声が響き、誰にも見えない透明な壁が、突っ込む緑色の生命体を弾いた。
衝撃が広がり、船が大きく揺れる。
海面が大きく波立ち、海水が甲板へと降り注いだ。
その衝撃に、甲板へと慌ただしく姿を見せたのはパルだった。
「何事だ!」
パルの怒声に、甲板で見張りをしていた数人の船員は、手すりに掴まりながら答える。
「わ、分かりません! と、突然……」
「突然? そんなわけ……」
訝しげな表情で周囲を見回すパルは、その視線におかしな現象を目の当たりにする。
それは、何も無いはずのその場所に、海水を浴び水を滴らせる不思議な光景があった。
「な、何だ……コレは……」
恐る恐るパルは手を伸ばす。
だが、触れる前に、その壁は消え、水が一気に甲板へと落ちた。
何が起こっているのか分からぬパルは、ゆっくりと足を進めると、入り江に佇む一つの影を見つける。
「な、何だ……あれは……」
不気味な存在だった。
緑色の肉体にドロドロの体液をまとうその生物は、ギョロギョロと赤い目を動かす。
背中を丸め、長い両腕を前へと出し、両拳を雪原へと着くその生物は、まるでゴリラの様な容姿だった。
だが、その肉体は細身で、肉など無い骨と皮だけの存在に見えた。
異質な存在に息を呑むパルは、瞬時に理解する。
コイツは危険な存在であると。
「全員たたき起こせ! 今すぐここを離脱しろ!」
パルは叫ぶと、船から飛び降りる。
瞬時に考えた結果だった。
ここで、ミィを船員達を危険な目にあわせるわけには行かない。
船長である自分がこの異質な生物を足止めし、皆を逃がさなければならないと判断した。
突然のパルの行動に、船員達は困惑する。
だが、船長の命令は絶対。故に、船員達は休んでいる者をたたき起こし、急ぎ出航の準備開始する。
雪原へと降り立ったパルは、雪を僅かに舞い上げた。
慌ただしく出航の準備をする船員達の足音だけが聞こえる。
そんな最中、緑色の生命体と対峙する。
「以前にも……似たのを見たな……」
パルはそう口にし、クロトと初めて会ったあの港の事を思い出す。
あの時、見た奴はもっと筋肉質で、荒々しいイメージだった。
だが、今回の奴はとても静かで、荒々しさは全く感じさせられない。
それが、異様で、恐怖を感じる。
この低い気温の中で、完全に冷えてしまった銃を手に取る。
冷たいグリップを握り締めるパルは、白い息を吐き出すと、海賊ハットから溢れる黒髪を激しく揺らす。
「さぁ……て。船員を守るのは、船長の務め。あんたの相手は、私がするよ」
左手で、海賊ハットを押さえるパルは、そう呟くと銃口を緑色の生命体へと向けた。
セルフィーユからの連絡を受けたクロトは、焦っていた。
自分が感じていた胸騒ぎの原因がやはりこれだったのだと。
青ざめるクロトの表情に、ティオも気付く。
そして、何かあったのだと瞬時に理解し、険しい表情で尋ねる。
「どうかしましたか?」
ティオの言葉に、クロトは眉間にシワを寄せると、唇を噛んだ。
「パル達が襲撃された」
「――ッ!」
その言葉でティオも悟る。
自分達が思っていた最悪なケースだと。
やはり、あの男は放置しておくべきではなかったと。
だが、ここでもう一つ最悪な事が二人を待っていた。
「今すぐ戻るぞ!」
クロトがそう言い、ティオの背を見据える。
しかし、ティオは真っ直ぐに正面を見据えたまま、息を呑んだ。
「どうやら……それは、叶いそうにありません!」
クロトも正面へと目を向ける。
そこには一つの人影があった。
禍々しい程の魔力の波動を広げるその人物に、クロトは奥歯を噛み、ティオは表情を曇らせた。
吹雪く雪原に佇むその男は耳の付け根に生えた太く強靭な角を輝かせると、薄らと開かれた唇から冷たい空気を吸い込む。
冷たい空気を取り込む事で、肺が膨らみ胸を張る。
そして、その長めの黒髪が輝くと、一気に男の口から息が吐き出された。
龍魔族のみが使えるブレス。龍の息吹だ。
その息吹は雪原を抉り、螺旋を描きながらクロトとティオの乗るソリを一瞬で呑み込み、犬と木片だけを空へと弾き飛ばした。
クロトは右へと、ティオは左へと転げる。
ブレスが放たれる瞬間に、クロトとティオはソリから飛び降りたのだ。
間一髪だった。
雪に塗れるクロトとティオは、真っ直ぐにそのブレスを放った人物を見据える。
その人物に、クロトは面識は無い。
だが、ティオはその人物を良く知っていた。
「に……兄さん!」
驚き、声を上げるティオ。
その瞳孔は開き、信じられないモノを見たと言う風だった。
小さく首を振るティオは、何故、ここに居るのか、と言うよりも、どうしてここに存在しているのか、そう言いたげな目をしていた。
何故、ティオがそんな表情をしているのか分からず、クロトは訝しげな目を向ける。
そんな二人の視線の先に佇むのは――。
「どうして! 兄さんは死んだはずだ! 何で、ここに居るんだ! ガガリス兄さん!」
その声に、ガガリスは切れ長の目を開くと、赤黒い瞳をティオへと向けると、全身に膨大な魔力を纏い、雪原を駆けた。