第252話 気がかりな事
クロトとティオは、支度を進めていた。
丸一日が過ぎてきた。
一晩が過ぎ、クロトの魔力も程ほど回復した。
ただ、両手の凍傷はまだ完治はしていなかった。
それでも、行かなくてはならない。
正直、両手だけじゃない。体も今までの戦いでボロボロだった。
本調子ではないが、それを言い訳にして、セラを見捨てるなどと言う答えはクロトの頭の中には無い。
昨晩、ミィも意識を取り戻し、クロトの心配事は一つ減った。
それもあり、セラの救出だけに集中する事が出来る。
両手の包帯を解き、痛々しい状態のその手に塗り薬をつけ、クロトは新しい包帯を巻きなおした。
指の関節の動きを確かめるように、拳を握り、ゆっくりと手を開いた。
多少なりに痛みは伴うが、それでも指は確りと動いた。
深く息を吐き出すクロトは続いて魔力を練る。
僅かに魔力は乱れるが、それでも、その手にとどめておくだけならば、安定していた。
「よし……」
小さく呟いたクロトは、パンッと膝を叩くとゆっくりと立ち上がる。
そして、両腕をあげ、背筋を伸ばした。
準備は万端だ。
恐らく、これまで以上に厳しい戦いになるだろう。
そう思い、クロトは今まで以上に覚悟を決める。
一方、ティオも準備を終え、精神統一をしていた。
座禅を組むように胡座を掻き、その足元には土の剣、黒天が置かれていた。
漆黒の刀身。平たい切っ先が特徴の剣に、ティオは右手を置く。
ティオと黒天の適正は、良好。大きく重量感のある様に見える刀身だが、それでも、ティオが軽々と扱えるのは、その適正が良好だからだろう。
ただ、彼が、本当に黒天の持ち主として相応しいかと言うのはまだ分からない。
何かキッカケが必要なのか、それとももっと適正のある者がいるのか、ティオには分からない事ばかりだった。
「ふむ……」
深く息を吐き、黒天の刃から手を離す。
「準備は終わった?」
クロトが、ティオへとそう声を掛けた。
その言葉にティオは慌てて黒天を消すと、静かに立ち上がる。
「えぇ。大丈夫ですよ。クロトは?」
「ああ。準備は完了だ」
と、クロトは包帯の巻かれた両手を広げて見せた。
軽く屈伸運動をしたティオは、背筋を伸ばしクロトを真っ直ぐに見せる。
それから、ティオは一端周囲を見回し、眉を八の字に曲げた。
「パルは?」
その場にパルが居ない事を確認し、ティオは押し殺した声で尋ねる。
ティオの言葉に、クロトは微笑すると頭を左右に振った。
「今回は連れて行けない。ミィの事もあるし、これ以上、危険な目にあわせるのは……」
クロトの言葉に、その場を浮遊していたセルフィーユは胸の前で手を組んだ。
契約者だからだろう。クロトの気持ちがセルフィーユには伝わっていた。
だからこそ、クロトが考えている事が良く分かった。
「いいんですか? 本当に?」
「ああ。いいんだ。今の俺には、誰かを守りながら戦う事は出来ない。自分がどれ位弱いのかって言うのは、分かってるつもりだよ」
クロトのその言葉にティオは僅かに表情を険しくする。
実際だが、クロトの強さと言うのは、この世界でも指折りだろう。
魔力の量も、その質も、間違いなくトップクラスだ。
それを要しているのに、何故、ここまで自分の事を過小評価しているのか、ティオには分からない。
それだけ、何度も負け戦をしてきたと言う事なのだろうか。
と、疑問に思う程だった。
「まぁ、あなたがそう決めたのなら、私はそれに従いますよ」
ティオの言葉にクロトは苦笑する。
「悪いな。今回は大分、苦戦するだろうけど……」
「いいですよ。別に。それに……すべては、私の兄が弄した事なので……」
ティオは眉間にシワを寄せる。
そう、今回の件――いや、魔族狩りはすべて、ティオの兄であり、現国王であるグラドが画策した事だった。
セラの誘拐もすべて。
その為、ティオも責任を感じていた。
「いいさ。お前とお兄さんは違うだろ? 責任を感じる事は無いよ」
クロトはそう励まし、右手でティオの肩を叩いた。
それから、クロトは縛られたふけ顔の男へと目を向ける。
「アイツは、どうする?」
一応、情報はすべて聞き出した為、このまま解放しても良いが、と悩むクロトに、ティオも渋い表情を浮かべる。
「そうですね……。このまま、逃がしてしまうと、また命を狙われるでしょうし……それで、死なれるのも心苦しいですし……」
腕を組むティオに、クロトは、
「そうだよな」
と、ため息混じりに答えた。
そう考えると、恐らく、一緒に連れて行く方が最も安全で、その方が向こうからコッチに会いに来る可能性も高い。
ただ、連れて行った所で、クロト達では守る事は不可能だろう。
結果、出した答えは――
「逃げていいぞ」
解放だった。
見捨てるわけではない。
彼にはセルフィーユをつける。
なるべくなら、セルフィーユに力は使わせたくないが、こうなってしまっては仕方が無い事だった。
「いざと言う時は頼む」
そうセルフィーユに小声で呟くと、セルフィーユは胸の前で両拳を握り、
『任せてください』
と、力強く答えた。
ふけ顔の男が去っていくのを見送り、クロトとティオも出発する。
前回の様に無茶はせず、町で購入した犬ソリを利用して。
最小限の荷物を積み、ソリは動き出す。
ソリを引くのは六頭の大型犬。
その手綱を握るのはティオだった。
この辺の地理を知っているのと、この地の出身の為、犬ソリの扱いも手馴れているという事でティオが手綱を握る事になった。
そして、クロトは後方で魔導式の暖房器具を可動させていた。
流石に防寒なしではキツイと言う判断だった。
「しかし……どうですかね」
手綱を握るティオがボソリと呟く。
「んっ? 何が?」
暖房器具を可動させるクロトは、不思議そうにティオに視線を向ける。
正直、ティオは少々気がかりな事があった。
それは些細な事なのだが、それが、ずっと頭の中に引っかかっていた。
その為、少々歯切れが悪そうに、
「一つ、気になってる事があるんですよ」
と、切り出す。
「気になってる事?」
訝しげにクロトは首を傾げる。
出発して、すでに二時間が過ぎ、大分進んでいた。
ここで、言う事ではないとは、ティオも思っていた。
だが、言わずには居られない。
「あの男の事ですけど……おかしくないですか?」
ティオの言葉に、クロトはピクリと右の眉を動かす。
「おかしいって? 何か、気になる事でも?」
「正直、何故、彼一人が助かったのか、疑問なんですよ」
ティオのその言葉に、クロトは眉間にシワを寄せる。
「それは、俺が助けたからじゃないのか?」
「そうですね。確かに、あの状況を見たら、クロトのお陰で助かった様に見えるんですよ。でも、私達の様子を窺っていたとしたら、狙えたはずなんですよ。あの男の事を。なのに、何故見逃したのか」
「何か、見逃したのには理由があるって事か?」
クロトは腕を組み俯いた。確かに色々と気になる事はある。
そもそも、セルフィーユの感知能力から、どう逃れたのか、と言う事だった。
確かに、魔力を隠す道具はあるが、クロト達はずっとセルフィーユが感知していたその魔力を追い続けていた。
それは、間違いなくセラの魔力だった。それが、唐突に消えれば、セルフィーユが気付くはずだ。
何か、トリックがあるのか、そもそも、セルフィーユがセラの魔力だと思っていたものが違う魔力だったのか。
そう考えた時、クロトの中に一つの疑問が生まれる。
“セラと同等の魔力を持つその者とは?”
疑念が強まり、胸がざわめく。
自分達は大きな勘違いをしてるんじゃないか、そう思った時だった。
クロトの頭の中へとセルフィーユの声が響く。
『く、クロトさん! た、大変です!』
と、言う緊急の言葉だった。