第25話 魔剣ベル
甲高い音が収まり、静寂が周囲を包む。
無音の中で、クロトは静かに息を吐いた。その手に握る錆びれた剣は、その銀色の峰を輝かせ美しい漆黒の刃を不気味に煌かせる。鍔は金色に輝き、その柄頭からは美しく輝く銀色の下げ緒がユラユラと揺れる。その姿はとてもあの錆びれた剣とは思えぬ程だった。
変わり果てたその姿に、対峙するクリスは眉間にシワを寄せ、クロトを睨む。その視線に、クロトもゆっくりと顔を上げ、静かにその剣を構えた。
「コレが……お前の、本当の姿か……」
(お前ではない。ベル。そう呼べ)
「ベル? わ、分かった。それじゃあ、力を借りるぞ。ベル!」
自らをベルと呼べと言うその魔剣の名を叫び柄を強く握り締めると、力強く右足を踏み出す。体が異様に軽く、その一蹴りでクリスの横を行き過ぎる。
「なっ!」
思わぬ力にクロトは驚き左足を地に着きブレーキを掛ける。一方、その動きに驚いたのはクロトだけではなかった。対峙していたクリスも、その一瞬の動きに驚き体を反転させ、クロトの顔を見据えた。
「な、何だ……今の動きは……」
「加減が……」
(そうか……まだ、お前にはこの力は強すぎるか……。ならば、力を制御してやろう)
「えっ! ちょ、ちょっとま――」
クロトの制止など聞かず頭の中にベルの声が消えると同時に、体から急に力が抜けブレーキを掛ける左膝の踏ん張りが利かなくなり、勢いを殺せずクロトは派手に横転し土煙を巻き上げた。
派手に転がるクロトの姿を見据え、クリスは僅かに右眉をビクッと動かし、自らを落ち着ける様に息を吐く。
そんなクリスの視線の先で、ゲホッゲホッと咳き込んだクロトはゆっくりと立ち上がり、衣服に着いた土ぼこりを払った。
「い、いきなり力抜くなよ……全く……」
一人ぼやいたクロトは、もう一度ベルを構えスッと右足をすり足で前へと出す。その動きに合わせる様にクリスも右足を踏み出すと、剣を構える。二人の視線が交錯し、暫しの時が過ぎる。息を呑むクロトは、ジリッと右足を僅かに動かし、意識をその蹴りだしに集中する。
風が僅かに吹き抜け、二人の間に土煙が舞う。やがて、風は消え、土煙が土へと戻るその瞬間、クロトとクリスの両者が同時に地を蹴った。
地を蹴ると同時に舞う土煙。軽快な二つの駆け足。やがて、交錯する。二つの刃が。漆黒の刃と紅蓮をまとう白き刃が。美しく火花を散らせ、同時に距離を取る様にその場を飛び退く。二人とも分かっているのだ。互いに間合いに入って打ち合ってはいけないと。
足元に激しく土煙を舞い上げる二人はすぐに互いの姿を確認する様に視線を動かす。そして、確認すると同時に地を蹴り、もう一度刃を打ち合いすぐに距離を取る。何度も何度も。激しく散る火花がその場を彩り、二つの刃が奏でる澄み渡る金属音は一定のリズムを刻む様に音を奏でた。
幾重にも重なる二つの衝撃。何度目かの衝撃が広がり、二人が大きく弾かれ二人とも体勢を崩し動きが止まる。
「はぁ……はぁ……」
「くっ……ふぅ……」
呼吸を乱す二人はすぐに体勢を立て直し武器を構え直す。僅かに舞い上がる土煙。呼吸を整える様に深く息を吐くクロトに対し、ゆっくりと腕を下ろしたクリスの手から剣が消え、その手に二本の剣が姿を見せる。
「マジシャンか……」
(アレは、転送術だ。彼女は複数の武器と契約し、それを自在に呼ぶ事が出来る。しかし……その反応は、ジンと一緒だな)
「いやいや……普通ッスよ」
苦笑するクロトに対し、対峙するクリスの雰囲気が変わる。クロトの右目に映るクリスの体から発せられる黒い煙は薄れ、足元からゆっくりと赤く燃え上がる様な薄い煙が湧き上がる。その気配の違いにクロトは僅かに足を退くと、息を呑んだ。
強く柄を握り締めたクロトは、眉間にシワを寄せるとゆっくりと剣を構える。
(あの構えは……紅蓮流か)
「紅蓮流?」
(ああ。確か、一刀・二刀・大刀と、三種の剣を扱う流派だ。気をつけろ)
「分かった……」
静かに頷いたクロトは両手で柄を握り、足先へと体重を掛ける。
「紅蓮二刀!」
クリスが叫ぶと、二本の刃に紅蓮の炎が灯る。
「炎陣!」
クリスが再び叫び、両腕を伸ばすと自らの体を中心に回転し始める。
「な、何をする気だ?」
(……まずいな)
「まずいって? ただ、その場で回転してるだけじゃないか?」
回転するクリスを炎が包み込み、その姿を炎の中へと隠した。この状況では手出しも出来ず、その場で剣を構えたまま佇む。
(クロト……。気をつけろ。この気配は……)
ベルの声が聞こえたかと思うと、その炎の中からドス黒い煙が吹き上がる。それは、先程まで溢れていた黒い煙の比じゃない程の大量の煙で、クロトの右目は一層激しく痛んだ。思わず後退り、背中に大量の汗を掻いていた。
奥歯を噛み締め、眉間にシワを寄せるクロトは、小さく息を吐き僅かにその手を震わせた。
「ここで死ぬわけにはいかないんだけどなぁ……」
引きつった笑みを浮かべるクロトの唇が僅かに震える。感じ取ったのだ。クリスが放つ技はそれ程威力があると。
(クロト。助かる道はただ一つ……相殺する事だ!)
「無理ッスよ。相殺って……。俺は技なんて使えないんだから」
(大丈夫だ。お前なら使える。上段で私を構えろ)
ベルにそう言われ、クロトは腰の位置に構えていた剣をゆっくりと振り上げる。これから、どうすれば良いのか分からず、ただ真っ直ぐに渦巻く炎を見据えていると、ベルの声が更に響く。
(魔力を練るぞ)
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 魔力って……俺は、そんなの練った事もないし、使い方なんて……」
(使い方なんて考えるな。お前はただ集中するだけでいい。意識を自らの手に、そして、その手に持つ私へと移行する様に――)
頭の中に響くベルの声にゆっくり頷き、クロトは静かに瞼を閉じると、ゆっくりと長く息を吐く。足元から渦巻く風。それが、土煙を巻き上げながら、クロトの体を優しく包み込む。言われた通りに、その手に意識を集中すると、手の平が暖かくなりやがて燃える様な熱を感じる。それを今度は剣の刃へと移動させる様にイメージを膨らませ、クロトは静かに瞼を開いた。
ベルの刃を包む赤黒い炎。意識して初めて出したその炎が、生き物の様にうごめき火の粉を飛ばす。そんな炎と裏腹に、クロトの心は穏やかだった。これが、魔力を放出する感覚なんだと理解し、その感覚を繰り返す様にもう一度手の平に意識を集中する。
弾ける様に赤黒い炎が火力を増す。クロトの魔力が注がれた影響だった。その集中力にベルは驚き、言葉を失っていた。ここまでの集中力と、クロトの体内に溢れる強大な魔力。今まで感じた事のない感覚に、ベルは小さく笑う。
(ふふっ……良い感じだ。さぁ、後はタイミングだ)
(タイミング?)
(ああ。彼女が放つと同時に、お前も放て。技の名前は知っているはずだ)
(知っている……? そんなわけ――)
クロトがそう思った瞬間だった。頭の中が真っ白になり、そこにその名が刻まれる。
「紅蓮大刀!」
「業火……」
クリスの叫び声が聞こえるとほぼ同時に、クロトも静かに口ずさみ――
「極炎!」
「――爆炎斬」
力強い声と共に大刀が振り下ろされ、爆音と共に炎の壁を貫く紅蓮の刃がクロトへと迫る。地面を大きく抉り、風を取り込みその威力を増していくクリスの一撃。だが、静かに告げたその名と共にクロトが一直線にベルを振り下ろす。
一瞬の静寂の後、噴出す様に起こる爆発。その衝撃で赤黒い炎が前方へと勢いよく噴出し、クリスの放った紅蓮の刃と激しくぶつかり合った。