第240話 電光石火
空を切った少女の拳がピタリと止まる。
雷火を使用し、速度はかなり上がっている。
なのに、雷火の効果が切れたアオがどうやって自分の拳をかわしたのか、少女は疑念を抱く。
ピクリと右の眉を動かす少女は、視線をゆっくりと動かし、辺りを見回す。
青白い光は無く、雷火を使用した形跡は無い。
その為、少女は更に疑念を強める。
雷火を使用し速度の上がった自分の一撃を、雷火の効果が切れたアオがどうやってかわしたのか、と。
瞬きを一つ、二つと繰り返した少女は、全身にまとう青雷を更に研ぎ澄ませる。
いつ攻撃されても反射的に体が反応できるようにしたのだ。
そんな折だった。
揺れる炎の向こうにアオの影が映る。
フラフラだったアオが、どうやってそこまで移動したのかは定かではないが、少女はそこに目を向け、目を凝らす。
(どう言う事だ……)
一層疑念を強める少女は、両手に装着した漆黒のガットレッドに精神力をまとわせる。
(剛力!)
少女はその拳に肉体強化の術を使用し、更に威力を高める。
続けて、両足に魔力を集めた。
(属性強化! 風!)
集めた魔力を風属性へと変化させ、移動速度を更に強化する。
ただでさえ、獣魔族の脚力を持つその足に、雷火に加え、風属性による強化。これで、アオが雷火を使用しても、彼女に追いつく事は不可能となった。
だが、それでも、少女の脳裏にはモヤが掛かる。
まだ足りない。まだ安心するな。
本能がそう少女に伝えていた。
その為、少女は額から薄らと滲む汗を左手で拭い、全身に聖力をまとう。
(聖者の羽衣!)
光が溢れ、少女の体を光の羽衣が覆った。
聖者の羽衣は術者を守るベールとなる。所謂、守りの術。耐久度はそれ程まで高くは無いが、その代わりに、ベールの中にいる間は傷が癒され、体力の消耗を抑える事が出来るのだ。
完璧な状態だった。
魔力、精神力、聖力。全てを使い、出来うる強化を行った。
これだけの強化を行えば、何の不安も無いはずだが、少女の本能はアオを恐れていた。
その要因となっているのは、やはり先程の一撃をかわされたからだ。
静寂が周囲を包む中、少女の体を包む青白い光と、地面へと広がる炎の明かりだけが通路内を照らしていた。
「さっきも言ったが、俺は、基本、女とは本気で戦いたくはない」
炎の揺らぐ向こうからアオの声が響く。
すでに精神力は底を尽き掛けているはずなのに、アオの体からは精神力が溢れ出ていた。
異常な程の精神力の波動が、少女の目には映る。
それも、アオを恐れる要因の一つとなっていた。
(な、なんだ……何が起きてる!)
息を呑み拳を握り締める少女の唇が薄らと開かれ、熱気の篭った吐息が溢れる。
「だが……俺は、人造人間を女とは認めない。だから、お前の事も女としては見ないで戦っていた」
溢れ出ていた精神力は今度はアオの体へと吸収される。
いや、吸収されていると言う言葉は正しくない。どちらかと言えば、体内へと収縮していた。
どう言う原理なのか、少女にはさっぱり分からず、それが尚恐怖を掻き立てる。
「それでも、何処かお前には同情していた。人体実験を行われて無理矢理力を与えられたんだと思っていたからだ」
その声の後、紅蓮の炎の向こうで、青白く発光するアオの姿が映し出される。
雷火とは異なる形状のアオに、少女は知らず知らずに右足を退いた。
「しかし、お前は、自ら望んでその力を得た。なら、何を同情する必要がある。アイツとは根本的に違う。これからは、本気でお前を破壊しに行く」
紅蓮の炎が弾け、その向こうから姿を見せるアオの短い黒髪は青白く変色していた。
アオが一歩踏み出すと、少女は一歩下がる。
それ程、アオの放つ威圧感は相当なものがあった。
これが、本当に精神力が底を尽き掛けていた人間なのかと、疑いたくなる程だった。
「俺は、奴の苦しみを知っている。欲しくも無い力を無理矢理押し付けられ、苦しむ姿を目の当たりにしているからだ」
「だ、だから、なんだって言うんだ!」
唐突に少女は叫ぶ。
その声が僅かに震えていた。
それ程までにアオの放つ威圧感は、少女に恐怖を植え付けていた。
「奴に知られるわけには行かない。未だにその人体実験が行われていると。だから、俺はお前を抹消する!」
アオはそう言い放つと、地を蹴った。
音も無く閃光が瞬く。僅かに舞う後塵の中に青白い発光体だけを残して。
一瞬、我が目を疑う少女だが、刹那、衝撃が腹を抉る。
「あがはっ」
腹部を抉ったのは、アオの左拳だった。
突き上げる様に下からねじ込まれたその拳は深く少女の腹部に減り込む。
血反吐を吐く少女の骨が軋んだ。
それと同時にアオの左腕は血を噴く。
放った一撃の威力に、アオの体も悲鳴を上げたのだ。
よろよろと後退する少女は前のめりになり、腹部を押さえる。
大きく開かれた口からは唾液と共に大量の血が吐き出され、膝はガクガクと震えていた。
(な、なんだ……聖者の羽衣の効果があってもこれか……)
驚く少女は瞳孔の開いた目で、アオを見据える。
握り締めた左拳を自らの血で赤く染めるアオの体は発光していた。
青雷をまとっているのではなく、体内からその光は放出されていた。
一体、何をしたのか全く分からないと言った様子の少女に、アオは血に塗れた左拳を胸の位置まで持ち上げ冷ややかな眼差しで答える。
「電光石火。これが、俺が青雷と呼ばれる様になった本当の由来だ。連盟に入って、パーティーを組んでからは二度と使わないと決めた代物で、俺自身も、力の制御ができねぇ。だから、次の一撃で終わらせてやる」
アオはそう言うと、右手に持った轟雷を構え、その柄に血に染まる左手を添える。
筋が引きちぎれ痛みがあるはずなのに、表情一つ変えず、ただ冷酷な顔を少女に向けるアオは、ゆっくりと膝を曲げ、腰を落とし、やがて――地を蹴った。
それから、一瞬だ。
青白い閃光が地を駆け、
「雷迅一閃!」
と、アオの静かな声が響くと共に、通路内を轟々しい雷鳴が広がり、少女の体を轟雷が裂いた。
その際に、高圧の電流が少女の体内を駆け、肉を焼き、皮膚を焦がす。
雷鳴が鳴り止む頃、少女の纏っていた青雷は完全に消滅し、体からはただ黒煙だけが吹き上がる。
避ける事など出来ぬ一撃だった。
何故なら、少女の足はその前に貰った腹部への一撃で、完全に死んでいた。
故に、逃れる事など出来なかった。
大きく口を開き、皮膚は黒こげた少女は、その体に真一文字の傷痕だけを残し、ゆっくりと後方へと倒れた。
一方、その一撃を放ったアオもまた、その場に崩れ落ちる。
大量の血を吐き、体中から黒煙を噴かせて。
発光していた体は、その光を失い、両足、両腕共に筋を焼ききられた様に痛めていた。
激痛だけがアオの体内を駆け巡るが、悲鳴も呻き声も発する事は出来ない。
何故なら、喉もつぶれていた。
呼吸をするだけで、喉元が焼けるように熱く、地獄の苦しみがアオを襲っていた。
薄れる意識の中、アオの耳に一つの静かな足音が聞こえ、同時に澄み渡る大人びた女性の声が聞こえた。
「あらあら。まさか、あなたがやられるなんて……でも、安心してください。私がちゃんと治して差し上げますから」
その言葉に、アオは絶望し、そのまま意識を失った。