第231話 信じる者達
「この海域を離脱する!」
海から上がったパルは、髪の毛先から雫を零しながらそう声を上げた。
衣服は濡れ、重く、体は冷え切っていた。
この辺りは現在、冬。海に入ろうものなら、凍えてしまう程の寒さだった。
その為、パルの唇は青ざめ、吐き出される息は真っ白に染まる。
髪の毛先が僅かに凍り付き、体は自然と震える。
だが、その震えは寒さからの震えだけではなかった。あの巨大海賊船の船上で戦った男への恐怖からの震えでもある。
右肩に銃弾を受けた。
血は殆ど止まっているものの、それでもその手は赤く染まっていた。
あの男はまるで遊んでいるかの様に弾丸を放ち、致命傷を与えないようにパルを狙っていた。
同じ銃を使う者として、これほど畏怖した事は無い。
まるで銃弾はそこに行くのが当然、そこに命中して当たり前と言うように、狙った場所へと着弾していたのだ。
だからこそ、分かる。あの男は自分をいつでも殺せたと。
呼吸を乱すパルは、ゆっくりと立ち上がる。
「船を旋回させ、帆を張れ! 全速力でこの場を離脱する!」
パルの声に船員達は声を上げた。
船はパルの指示通りに旋回を始め、帆が広げられる。
帆が風を受け、船はゆっくりと動き出すが、それに合わせ、巨大海賊船も動き出す。
出力では向こうの方が上で、動き出したパルの海賊船へと、その巨大海賊船は船体をぶつける。
船体が軋み、大きく揺れる。
そんな時だった。一人の船員が甲板へと飛び出し、声を上げる。
「船長! 伝令です!」
「で、伝令? こんな時に、一体誰だ!」
パルが声を上げると、船員は首を振り、
「分かりません! ただ、このまま南東へと突っ込めと」
「はぁ? 南東って言ったら……ミラージュ王国の海軍のど真ん中だぞ!」
パルが僅かに青筋を浮かべ、そう怒鳴ると、船員はビクッと肩を跳ね上げる。
「す、すみません! で、ですが、そう伝令が……」
「くっ……罠か? それとも……」
眉間にシワを寄せるパルは決断を下す。
そうしなければならない立場なのだ。
時は少し遡り――ミラージュ城。
激闘を終えたクロトとウォーレンの下へと、兵がようやく姿を見せた。
「ウォーレン様! 侵入者を捕らえました!」
「は、離すッス!」
「痛い! 痛いから!」
数人の兵に拘束されるセラとミィの二人。
しかし、兵達は謁見の間に入るなり、驚き目を丸くする。
「な、なんですか! この惨状は!」
驚きの声を上げる兵に対し、右肩から血を流すウォーレンは、左手を軽く挙げ、
「あぁー……気にするな」
と、言い、笑った。
そのウォーレンの言葉に、兵達は聊か不思議そうな表情を浮かべる。
皆が顔を見合わせる中、廊下から一人の兵士が謁見の間へと慌ただしく入り声を上げる。
「ウォーレン様! 謎の巨大海賊船が! 海域内に侵入! 女帝海賊団と交戦中です!」
「なにっ! 女帝海賊団と交戦中だと!」
兵の声に、ウォーレンは声を荒げる。
一方で、クロトは、その兵の言葉に訝しげに目を細める。
その巨大海賊船が一体、何者なのか、そう考えていた。
現状、考えうる敵を思い浮かべるが、どれも当てはまらない。
一体、誰が攻めてきたのだろうか、そう考えていた。
そんな最中、ウォーレンは拳を震わせると、怒りの声を上げる。
「何処のどいつだ! 俺の愛しのパルちゃんを攻撃してんのは!」
「えっ?」
「うわっ……」
セラとミィは各々微妙な表情を浮かべる。
セラは驚きつつも頬を赤く染め、ミィは頭のイカレタ者を見るような冷めた眼差しを向けていた。
しかし、クロトと、周囲の兵だけは呆れた様な目を向けながらも同じ事を思う。
(いつもの、ウォーレンだ)
と。
傷の手当てもそこそこに、ウォーレンは司令室へと急いだ。
クロトの説明もあり、解放されたセラとミィも一緒に、司令室へと来ていた。
「いいのか? 俺達も一緒で?」
ウォーレンへと、クロトは不安そうにそう尋ねる。
すると、ウォーレンはニッと笑う。
「ああ。お前なら信頼出来るしな。それに、見られて困るものなんてないからな」
そう言い、大らかな笑い声を上げるウォーレンに、クロトは苦笑した。
司令室では、兵達が慌ただしく動き回っていた。
司令室へと入ると、ウォーレンはすぐに声を張る。
「魔導砲を充填しろ!」
「ま、魔導砲ですか!」
ウォーレンの言葉に、その場に居た兵達は驚きの眼差しを向ける。
「しかし、魔導砲は、二度目……」
「関係ない! 俺のパルちゃんを虐める奴は、俺が許さない!」
ウォーレンの血走った目に、兵士達はクスリと笑う。
それは、いつものウォーレンだと言う事を悟ったのだ。
一方、セラとミィは表情を引きつらせていた。
「な、なんスか? アレは?」
思わずミィはクロトへとそう尋ねる。
そんなミィの言葉に、クロトは苦笑し肩を竦める。
「ああ言う奴なんだよ」
「ああ言う奴って……」
信じられないと言いたげな眼差しをウォーレンの背に向け、ミィは肩を落とした。
ミィの態度に苦笑するクロトは、右手で頭を掻いた。
すると、セラは不満げな表情を浮かべる。
「ちょっと待ってよ! 魔導砲なんて撃ったら、パル達まで巻き込まれちゃうんじゃないの!」
セラのその言葉に、ウォーレンは「うっ」と声を発し、表情を強張らせる。
セラの言う通りだ。このまま魔導砲を撃とうものなら、パルの海賊船まで巻き込まれてしまう。
それを考えると、魔導砲を撃つのは得策ではなかった。
しかし、クロトは進言する。
「いや。撃とう!」
「く、クロト!」
セラが驚きの声をあげ、クロトへと目を向ける。
そして、ミィも眉間にシワを寄せクロトへと掴み掛かる。
「な、何考えてるんスか! そんな事したら、パルが――」
「誰も、船を狙うとは言ってないだろ?」
クロトがそう言うと、セラとミィは呆気に取られる。
コイツは何を言っているんだ、そう言いたげな眼差しを向け、セラもミィも息を吐く。
「じゃあ、何を狙うって言うんスか?」
「巨大海賊船のやや右を狙ってくれ」
クロトがウォーレンへとそう進言すると、ウォーレンは眉間にシワを寄せる。
「それじゃあ、意味が無いだろ? 魔導砲は何度も撃てる代物じゃないんだぞ?」
「分かってる。大丈夫だ。俺達には勝利の女神が付いてる」
クロトはそう言い、ニシシと笑った。
納得は出来なかったが、ウォーレンは渋々と照準をクロトに言われた通りに移動する。
「それから、パルには、コッチに船を向かわせてくれ。相手を引きつける意味もあるから」
「分かった。伝令を送ってくれ」
ウォーレンはそう言い、ミィへと目を向ける。
ミィなら、パルの船の通信の仕方を分かると考えたのだ。
ウォーレンに言われ、ミィは深く息を吐く。
「分かったッス。とりあえず、クロトを信じるッスよ」
「ああ。任せろ! と、言っても、俺も信じるしかないんだが……」
クロトはそう言い、苦笑する。全てをセルフィーユへと託した。
海上を浮遊するセルフィーユは、ミラージュ城の方へと目を向ける。
金色の髪を僅かに揺らすセルフィーユは、すぐに魔導砲の発射口があらぬ方に向いていると気付く。
『アレ? 何処……狙ってるんだろう?』
訝しげな表情を浮かべるセルフィーユだが、すぐにクロトの言葉を思い出す。
『そうでした。魔導砲は、左側面から受けて、南に受け流さないと……』
そう呟き、セルフィーユは移動する。そして、
『南へ……』
と、チラリと右に目を向ける。
そこにあるのは巨大海賊船。それを見て、セルフィーユは困った表情を浮かべる。
『うーん……』
狙うべきかを考えるセルフィーユだったが、そんな考えをしている余裕など無く、魔導砲が発射された。
閃光が海を割り、直進してくるのを目撃し、セルフィーユは慌てて両手をかざす。
『み、ミラーシールド!』
そう声を上げると、セルフィーユの正面に半透明のシールドが現れ、それが、魔導砲を南へと弾いた。
凄まじい衝撃と共に、右へと曲がる魔導砲はそのまま巨大海賊船へと直撃し、大きく海面は波立った。