第23話 紅蓮の剣
ドクンドクンと、大きく脈打つ心臓。
目の前に居るその男から溢れる赤い煙。それが、巨大都市であるこのローグスタウンを包み込んでいる様に見えた。その空気にクロトは思わず身を退きそうになるが、すぐにその場にセラとミィが居る事を思い出し小さく息を吐いた。自らを落ち着ける為に。
ゆっくりと、腰にぶら下げた一本の剣の柄を握る。安物で何処にでもある普通の剣の柄を。
そんなクロトの横を男は素通りする。だが、その刹那クロトの表情は一変する。そして、柄を握っていた手はゆっくりと滑り落ちた。
俯くクロト。その肩が震え、拳が強く握られた。そんなクロトの様子にミィは気付く。だが、声を掛ける事は出来なかった。それ程クロトのまとう空気が重かったのだ。
去り行く和服の男。その姿を見つけた集団が、クロトの視界へと入った。何かを叫び、その集団は武器を手に取る。薄れる赤い煙の向こうから走ってくるその集団。間違いなく、それはあの和服の男に対して怒りを滲ませていると、クロトは分かった。
これも赤く染まった右目でハッキリと分かる。そして、彼らがあの男に挑んでも待つのは死だけだと言う事も。だから、クロトは静かに息を吐くと、ミィの方へと顔を向けた。
「ミィ。今すぐ船に戻れ。セラと一緒に」
「は、はぁ? な、何言ってるんスか? ここでパルと待ち合わせ――」
「いいから行け! 今すぐに! パルは何とかする!」
クロトのあまりの迫力にミィは体を僅かにビクつかせ、寝ていたセラを起こす。
「せ、セラ。起きるッス。船に戻るッスよ!」
「ふぇっ? 船にぃ? どーして?」
うつろな眼差しをミィに向けるセラに、ミィは「いいから行くッス」とその手を引き走り出す。それとほぼ同時だった。それはクロトとセラ・ミィの間を遮る様に現れる。赤黒く禍々しい炎が。
「なっ! クロト!」
ミィは気付く。この炎はクロトが出したモノだと。その炎はまるでローグスタウンの入り口を閉じる様に作られ、セラとミィの二人は完全に追い出された。クロトが何を考えているのか分からず、ミィは眉間にシワを寄せ、セラはまだ寝ぼけているのか、「何これぇ?」と妙な声を上げていた。
一方、その炎の向こう側で、クロトは一人佇む。武装した集団を目の前にして。屈強な肉体の男達が武器をギラつかせ、鋭い眼差しをクロトへと向ける。
まだうずく右目を右手で抑え、クロトはその集団を見回す。僅かに感じるその強さ。だが、どれを見ても先程のあの男には遠く及ばない。そんな彼らをあんな化け物と戦わせるわけには行かなかった。例えどんな理由があるにしろ、命を粗末になどさせたくなかった。
その為、クロトは業火で壁を作り出し道を封鎖したのだ。
そうとも知らず、その集団は殺気立ち、今にもクロトに切りかかってきそうだった。だが、それを一人の男が制止する。真紅の髪を揺らし、穏やかな表情を浮かべるその男。明らかに他の連中とは違ったオーラをまとうその男に、クロトは表情を険しくする。
「そこを通してくれないか?」
穏やかな口調で、クロトにそう告げる。しかし、クロトは首を振った。その行動に男の穏やかな表情が一変する。
「退け! クソガキ!」
明らかに変わった口調に、クロトは表情をしかめる。と、同時に周囲を取り囲む武装した集団が声を上げた。大気を震わせる様に鳴り止まぬその声に、クロトは「くっ」と声を漏らすと、ゆっくりと右手を右目から離し、腰にぶら下げた剣の柄を握った。
クロトの右手が離れた事によりあらわになった血の様に真っ赤に染まったその眼に、周囲を包んでいた声が静まり返った。
「な、何だ! あ、あの赤い眼……」
「ば、化け、化け物!」
分厚い鎧を着た大男に続き、小柄な弓を持った男がそう叫び後退する。だが、真紅の髪を揺らすリーダー格の若い男はひるむ事無く、周囲の者達を一喝する。
「ビビッてんじゃねぇ! 相手は一人だ! それに、奴は魔族だ……手加減なんて必要ねぇ!」
その男の言葉に、集団の中に一人混じっていた女性が僅かに反応を示した。クロトもその女性の僅かな反応をその眼で感じ取った。変化したのだ。今まで周囲を包み込んでいた赤い煙に、男の“奴は魔族だ”と言う言葉が発せられた瞬間、薄らと黒い煙が混ざりだす。しかも、それを放出するのはその女性だった。
銀髪の美しい髪を束ねた軽装の女性。今まで無関心だったはずのその女性の鋭い眼差しがクロトへと注がれる。恐ろしい程冷たい殺気に、クロトは息を呑みそれを静かに吐き出す。
ピリピリと張り詰めたその空気の中で、真紅の髪の男は何処からとも無く剣を取り出し、その切っ先をクロトへと向ける。
「退かねぇーなら、力付くで通らせてもらう!」
「――待て」
そんな男を制する声。澄んだ声だが、荒々しく殺意の込められたその声に、真紅の髪の男は顔を横に向ける。ゆったりとした足取りで、その男の横を通り過ぎ、その女性はクロトの前へと出た。彼女もいつ何処から取り出したのか分からない一本の剣を手に握り締めて。
紅蓮の様に赤い線の刻まれたその剣を静かに構える。僅かに漂う白煙がその刃から発せられ、その刃から発せられる熱で僅かに大気が歪んで見えた。
「おい。どう言うつもりだ」
「ここは私がやる。魔族は全て切り捨てる」
「はっ……のわりに、魔族と一緒に旅をしているじゃないか」
真紅の髪の声にその女性は鋭い眼差しを向けた。
「奴には借りがある。その借りを返した後、キッチリ決着はつける」
「ふっ……それなら、紅蓮の剣と呼ばれるあんたの力を見せてもらおうじゃないか」
男がそう言い手に持っていた剣を消すと、周囲を囲う男達に下がれと、右手を振り上げる。それに従い男達は後退し、クロトとその女性の二人が退治する形となった。
「はぁ……はぁ……」
(まずい……コイツ……強い……)
その立ち振る舞いで分かった。その女性の強さを。だから、クロトは息を呑み左足を一歩退いた。
放たれる威圧感に、クロトは更に苦悶に表情をゆがめる。
「さぁ、私が相手だ。何処からでも掛かって来い」
「……くっ」
表情をしかめ息を吐く。どうするべきかを考えに考える。だが、それを待つほど、彼女は甘くなかった。
クロトが切りかかってこないと分かると、彼女はその手に握った剣を構え右足を踏み出し告げる。
「貴様が来ないならば、コチラから行く!」
「――!」
その女性が地を蹴る。力強い脚力の一蹴りでクロトとの間合いが一気に縮まり放たれる。その手に握られた鋭い刃を――。
鈍い金属音が響く。咄嗟に剣で刃を受け止めたクロトだったが、その凄まじい一撃に体は横へと飛び、受け止めた剣の刃はそのたった一太刀で亀裂が走った。幾ら安物だと言ってもそこそこの強度を持った剣を一撃で砕くその破壊力にクロトは更に表情をしかめた。
吹き飛び地面を転げる。砕けた剣を投げ捨て、買ったばかりのフレイムブレードを抜く。紅蓮色の燃え盛る炎をイメージして作られたその剣を握り、視線を女性の方へと向けた。だが、その女性の動きは俊敏で、すでにクロトへと駆け出していた。
「くっ!」
咄嗟にフレイムブレードを振り抜くと、その刃を炎が包む。刃を振り抜く風によって刃に練りこまれた微粒子の火属性の魔石が反応し、その刃を炎が包み込んだのだ。
しかし、刃は空を切る。彼女の急ブレーキの後に行ったバックステップによって。表情を歪め、奥歯を噛み締めるクロト。その右肩へ、彼女は刃を突き立てた。