第229話 クロト vs ウォーレン
薄暗い謁見の間に、重々しい金属音が何度も響き、火花が散る。
装飾用の刃の無い模造の剣で応戦するクロトは圧倒的に不利な状態に立たされていた。
装飾用の為か、刃は無駄に頑丈に作られており、ウォーレンのハンマーを受けても、刃が僅かに振動するだけで、今の所折れる気配は無い。
それでも、何度もウォーレンのハンマーを受けるわけには行かない。
折れる気配が無いと言っても、耐久度と言うモノがある。その為、クロトは思考をフル回転させ、周囲へと注意を払い、この状況を打破する術を探っていた。
「どうした! 逃げ回ってばかりか!」
ウォーレンのハンマーが右から左へと鈍い風を切る音を響かせ、振り抜かれる。
その音だけで、ハンマーにどれ程の重量があり、その一撃がどれ程の威力があるのか、分かった。
膝を曲げ身を屈め、ハンマーをかわすクロトは一気にウォーレンの懐に入り込む。
重量のあるハンマーだ。振り抜いた直後は動きが鈍くなる。そう判断したのだ。
だが、ウォーレンは踏み込んだ右足へと力を込めると、ピタリと体の動きを止める。
好機だと判断し、更に間合いを詰めるクロトだが、その瞬間ウォーレンの右手が柄から離され、その肘がクロトの右頬を殴打した。
「ぐっ!」
激しく床を転がるクロトは、すぐに体を起こすと、剣を握った右手を床に着き勢いを殺す。
摩擦でキュキュッと嫌な音が響き、クロトの右手の第一関節の皮膚が僅かに擦り剥けていた。血は出ないものの、半透明の汁が溢れ出す。
火傷の様にヒリヒリと傷口は痛み、クロトは奥歯を噛む。
その瞬間、歯の合間から血が零れる。口の中も切ったようだった。
「鈍器を使うから、振り抜いた直後は無防備になる……と、でも思ったのか?」
ウォーレンが不敵な笑みを浮かべそう言う。
その言葉に、クロトはゆっくりと立ち上がり、左手を胸の高さまで持ち上げ、軽く振った。
「そうだな。上手く行けばいいと思ったんだが……」
素直に、ウォーレンの言葉を認め、クロトは息を吐き出す。
こんな状況なのに、何故か、クロトは落ち着いていられた。策があるわけでもないのに、勝てる見込みがあるわけでもないのに。
理由はクロトにも分からず、少々不思議な感覚だった。
「何がおかしい?」
知らず知らずにクロトは笑みを浮かべていたのだろう。ウォーレンは不快そうにそう口にした。
その為、クロトは小さく首を振り、
「悪い。別に何かがおかしかったわけじゃないんだ。さぁ、続けようか」
と、クロトは装飾用の模造の剣を構えなおした。
その頃、一つの問題が生じていた。
それは――
「侵入者だ! 捕らえろ!」
兵の声が響く廊下を、セラとミィは必死に逃げ回っていた。
「な、何でこんな事になるんスか!」
朱色の髪を揺らすミィは、涙目で声をあげ、
「そ、そんなの知らないよー」
と、セラは困り顔で答えた。
事の発端は、数分前に遡る――。
「待つってのも暇ッスね」
縁に座り、海へと足を投げ出すミィは、水面を軽く蹴りふっと息を吐く。
とても静かで、遠くに見える海賊船やら戦艦の砲撃の音だけが僅かに聞こえていた。
その光景を爪先立ちをしながら見据えるセラは、右手を腰に当てると、眉間にシワを寄せる。
「向こうは……大変そうだね」
「そうッスね。でも、あの巨大海賊船はなんなんスかね?」
「この辺の海賊かな?」
「だとしたら、パルを攻撃する理由がねぇッスよ」
肩を竦めミィは首を振った。
ミィの言葉に「ふーん」と小さく頷くセラは、不意に海面へと目を向ける。
そこには、セラ達が乗ってきた小型船の残骸が散らばっていた。
暫しその残骸を見ていたセラは思い出した様に声をあげる。
「ああっ!」
セラの大声に、ミィはビクンと肩を跳ね上げると、顔を挙げた。
「ど、どうしたんスか?」
「わ、わわ、私達、どうやって船に戻るのよ!」
セラがそう言うと、ミィは暫し考える。
そして、海面に浮かぶ残骸を一瞥し、
「あぁー……そう言えば……そうッスね」
と、目を細めた。
そんな時だった。
「誰だ!」
と、一人の兵士がそこへ現れ、セラ、ミィの二人と視線が交錯する。
暫しの沈黙の後――
「侵入者だ!」
と、兵が声を上げる。
そして、セラも、
「ミィ! 逃げるよ!」
と、声をあげ、走り出し、現状に至る。
廊下を駆けながら、セラは周囲を見回していた。
同じくミィも辺りを見回す。
何とか、隠れられそうな場所を探していたのだ。
場面は戻り、謁見の間――。
鈍い打撃音と共に、クロトの体は壁へと叩きつけられた。
「ガハッ!」
血を吐き、クロトは表情を歪める。
壁には亀裂が生じ、僅かに凹んでいた。
ガクリと腰が落ち、膝が震える。
それでも何とか、膝が落ちるのは堪え、クロトは背筋を伸ばす。
「くっそ……」
ギリギリと腰をあげ、クロトは深く息を吐いた。
口角から血を流すクロトは、瞼を閉じる。定まらない視点を少しでもよくしようと、そうしたのだ。
だが、もちろん、ウォーレンがそれを待つわけも無く、地を蹴るとハンマーを振り被る。
刹那、クロトは瞼を開き、腰を落とす。
そのクロトの頭上をウォーレンのハンマーが通り過ぎ、壁を打ち抜いた。
轟音が響き、壁は崩壊する。
「チッ!」
ウォーレンの舌打ちが響き、クロトは奥歯を噛み、右へと飛んだ。
何とか距離とり、回復を計る。
しかし、すぐにハンマーを引いたウォーレンは、クロトの方へと体を向けた。
腹部を左手で押さえるクロトは、肩を大きく揺らす。
「動きが鈍いな。また怪我か?」
静かにそう尋ねるウォーレンに、クロトは目を細める。
「怪我はしてないさ。ただ、ウォーレンの強さに圧倒されてるだけだ」
「そうか……」
クロトの答えにウォーレンは眉間にシワを寄せた。
沈黙が数秒続いたが、すぐにウォーレンは動く。
その動き出しに、クロトもすぐに動いた。
近付かれると圧倒的に不利だと考えたのだ。
だが、結局距離を詰めなければ、クロトにも攻撃する方法が無い。だから、結局は接近戦に持ち込まなきゃいけないのだ。
クロトを追いながら、ウォーレンはハンマーは振り抜く。
鈍い風切り音の後、床を粉砕する音が轟き、地面が揺れる。
「くっ!」
飛び散った砕石がクロトの頬を裂く。
鮮血が僅かに散り、クロトは左手の甲でそれを拭った。
距離を取りながら、考えるクロトだが、ウォーレンはやはりそれを許さず攻撃を続ける。
(ダメか……考える余裕がない)
クロトはそう思い表情を歪める。
しかし、すぐにクロトは覚悟を決め、足を止めた。このままではいけないと、考えたのだ。
クロトが足を止めた事により、ウォーレンも足を止める。
警戒しているのだ。
二人の視線が交錯し、呼吸音だけが響く。
崩れた壁の穴から吹き込む潮風が、僅かに埃を舞わせる。
すり足で右足を前に出すクロトは、下段に剣を構えた。
(何処までもつかは分からないが……もう正面から向かい撃つしかない!)
クロトはチラリと自らが持つ装飾用の模造の剣を見た。
この剣がどれだけもつのかが、クロトの命運を握っていた。




