第222話 失敗している
一面真っ白な世界にポツンと浮かぶクロトとセルフィーユ。
胡坐を掻くクロトは腕を組みセルフィーユを見据える。
一方の半透明なセルフィーユはゆらゆらと宙へと漂っていた。
聖霊と言う事もあり、霊体で、物質に触れる事が出来ず浮いていると言う状態が一番楽な体勢なのだ。
そんなセルフィーユへと目を向けるクロトは、右手で頭を掻き、深く息を吐いた。
「それで、ここは何処なんだ? 俺が死んでいないって事は、ここは現実に存在している場所なんだよな?」
訝しげな表情で、クロトは尋ねる。
すると、胸の前で手を組むセルフィーユは、困ったような笑みを浮かべ首を傾げた。
『はい。ここは、光の世界と呼ばれ、聖霊が作り出した世界……だと言われています』
胸の横で拳を握り、誇らしげにそう語るセルフィーユにクロトは「そうなんだー」と呟き周囲を見回す。
やはり、この世界は真っ白で、何も無い。その為、光の世界と言われると、そうなんだろうな、と思えてしまった。
ただ、疑問もあった。
聖霊が作り出した世界と言う割りに、ここには聖霊がセルフィーユしかしない。
それが、クロトは引っかかっていた。
「なぁ、他の聖霊って言うのは……居ないのか?」
魔力を右目に宿したまま周囲を見回すクロトだが、やはり他の聖霊の姿は見当たらない。
そんなクロトの言葉に、セルフィーユは胸の前で手を握り、俯く。
『聖霊は、もう他には残っていません』
「えっ? どうして?」
『私達聖霊は、本来、英雄様に使え、悪しき者と戦う事を義務付けられていました』
セルフィーユはそう言い瞼を閉じる。その透き通る瞼の裏に何を見たのか、セルフィーユは一筋の涙を流すと、
『私も詳しくは分かりませんが、ただ、精霊達は消滅したそうです。英雄様が召喚されるのを待つ最中に起きた、一つの事件をキッカケに――』
「一つの事件? 一体、何が起きたんだ?」
クロトが尋ねると、セルフィーユは瞼を開き、真っ直ぐな瞳を向ける。
『詳しくは分かりません。ただ、ルーガス大陸で何かがおき、それを防ぐ為に……。残ったのは、幼かった私と、お姉ちゃんの二人だけ。でも、そのお姉ちゃんも十五年前に英雄様に仕え、居なくなってしまいました』
セルフィーユの言葉を聞き、クロトは「そうか」と呟き俯いた。
そして、考える。何故、いつもルーガス大陸なのかと。
この世界で、必ず大きな事が起こるのはルーガス大陸だ。もちろん、そこがゲートで最も大きな大陸である事、魔王が居る事を考えても、何かが起こるのは当然なのかもしれない。
だが、何でもかんでもルーガスで起こり過ぎている気がした。
一体、ルーガスに何があると言うのか、とクロトは腕を組み考えていた。
空中に浮かぶ大陸の中心にある古びた城内に、一つの足音が響く。
空は薄らと茜色に染まり、その日差しが城内を赤く染めていた。
廊下に伸びる長い影。その影は漆黒のローブを纏い、腰に銀色の銃を輝かせる一人の男のものだった。
長めの黒髪を揺らす男は、赤い瞳をギラつかせ、ゆっくりと足を止める。
そして、静かにフードを頭へと被った。まるで、自分の顔を隠すかの様に深く。
「もう、用事は済んだんですか?」
丁寧な口調で、爽やかな声が尋ねる。
男は静かに息を吐き、面倒臭そうに口を開いた。
「一体、何のマネだ? ケリオス」
低く静かな声が茜色に染まる廊下へと響いた。
そんな男の背後に佇むケリオスは黒髪を揺らし、右手に握ったシルバーの銃を男の背中へと向けていた。
左手にした漆黒の手甲が夕陽を浴び不気味に煌き、穏やかな顔には相変わらず爽やかな笑みが浮かんでいた。
そんなケリオスを横目で睨み、フードを被った男は眉間へとシワを寄せる。
銃口を向けるケリオスの指は引き金へと掛かり、その身からは明らかな殺気が漂っていた。
静かに廊下を吹き抜ける風が、僅かに埃を舞わせる。
呆れた様子で息を吐く男は、脱力すると同時に瞼を閉じた。
「ここが、何処だか分かっているのか?」
ゆっくりと反転する男は、ケリオスへと体を向け、静かに瞼を開いた。
怒気を帯びた恐ろしく冷めた赤い瞳がケリオスの体を貫く。
畏怖する程の殺気だった。それでも、ケリオスは微笑し、銃口を男へと向けたままだった。
明らかな敵意を向けるケリオスに対し、男は静かにその手を腰の銃へと伸ばした。
だが、その瞬間、ケリオスは引き金を引き、乾いた銃声と共に放たれた弾丸が、男の右肩を貫いた。
男の右肩が後方へと弾かれ、その体はよろめく。
しかし、男は声一つ上げず、表情を全く変えず、ケリオスを睨んでいた。
長い袖に隠れた右手の指先から点々と赤い雫が零れ、床に広がる。
「動くな。次は頭を撃つ」
ケリオスの発言を、男は鼻で笑う。
「ふんっ……次は、か……」
「何がおかしいんですか?」
僅かに不快な表情を浮かべるケリオスがそう尋ねると、男は左手を胸の位置まで上げる。
袖口からあらわとなった手を口元へと持っていく男は、小さく首を振った。
「次があるとでも思っているのか?」
男の発言に、ケリオスは眉間へとシワを寄せる。
「どう言う意味ですか?」
ケリオスの言葉に、口元を覆っていた左手を静かに動かし、人差し指と中指、親指を立て指鉄砲を作り、それをコメカミへと当てる。
「お前は最初の一発で、俺の頭を撃ち抜いていなければならなかった」
「何を言って――」
次の瞬間、音も無く銃弾がケリオスの右肩を撃ち抜いた。
「――ッ!」
表情を歪めるケリオスの視界に、自らの体から弾けた鮮血が映りこむ。
右肩が大きく後方へと弾かれ、男へと向けていた銃口は衝撃で大きく外れた。
奥歯を噛み締めるケリオスは、何が起こったのか全く理解出来なかった。ただ、銃弾が自分の体を撃ち抜いたのだけは分かり、男が発砲したのだと解釈する。
だが、男の手に銃は握られてはおらず、その口元に薄らと笑みを浮かべているだけだった。
「もう、お前に勝ち目は無い。そして――逃げ場もな」
男のその言葉に、ケリオスは背筋を凍らせる。
改めて理解する。この男の危険性を。
しかし、ケリオスもここで退くわけには行かない。
「僕の主を……殺した罪は……重い。この日の為に、ずっと我慢してきたんだ……」
グリップを握り締め、痛みに耐えながら銃口を男へと向ける。
「主? ああ。あの無能な王様の事か……ふっ……。アイツに命を懸ける程の価値は無い」
「お前に何が分かる!」
ケリオスは怒鳴り、引き金を引く。乾いた銃声が響き、弾丸が放たれる。
しかし、弾丸は男に当たる直前に火花を迸らせ、弾かれた。床に転がるのは二発の弾丸。
一発はケリオスが放ったもので、もう一発は突然現れたものだった。
「な、何で……」
驚愕するケリオスに対し、男は静かに告げる。
「後五秒」
と。
そして、五秒後、ケリオスは言葉の意味を理解する。
「ガハッ!」
音も無く数発の弾丸が、前後左右からケリオスの体を襲ったのだ。
前後左右へと衝撃を受けよろめくケリオスは、吐血し膝を床へと落とした。
「うっ……うぅっ……」
「分かったか? お前は、初めから失敗している。俺達の仲間になったフリをした瞬間からな」
男の発言にケリオスは瞳孔を広げる。初めから、この男は分かっていたのだ。
ケリオスがこの男に復讐をしようとしている事、この瞬間を待ち望んでいた事を。
「終わりだな」
男はそう言い、ケリオスの額へと銃口を当てる。
そして、ゆっくりと引き金へと指を掛けた。
「ぐっ……ま、まだ、終わらない!」
ケリオスはそう声を上げると、漆黒の手甲をつけた左手を振り抜いた。
その手甲は空間を裂き、ケリオスはその空間の裂け目へと飛び込んだ。
空間の裂け目が消えていくのを、見据える男は銃を降ろすと静かに呟く。
「何処に行こうとも、もう逃げ場など残っていない」
と。
空間が裂け、ケリオスの体は投げ出される。
雪原に鮮血が広がり、ケリオスは何度も咳き込んだ。
場所は北の大陸フィンク、ヴェルモット王国近くの雪原だった。
最も、慣れ親しんだ場所へと逃げ出したのだ。
腹部を押さえ、ゆっくりと体を起こしたケリオスは、その目を疑った。
「残念だったねー」
真紅のローブをまとう魔術師と、
「アイツの読みは正確だな」
長い黒髪を結った和服の男が、そこには居た。
まるでケリオスが来る事を予め分かっていたように。
「な、何故――」
「死に逝くお前には――」
「知る必要は無い」
魔術師が右手から炎を放ち、和服の男はケリオスの体を妖刀・血桜で斬り付けた。
鮮血を噴かせ、炎に包まれたケリオスは、雪原に仰向けに倒れる。意識は僅かながらあった。
しかし、呻くわけでも、のたうち回るわけでも無く、ケリオスは灰色の空を見上げ、静かに瞼を閉じた。
一面真っ白な世界のクロトは、屈伸運動を繰り返し、自分の体の感覚を確かめていた。
この世界は風景も変わらない為、どれだけの時間が経過したのか分からなかった。
世界はどうなったのか、どれ程の時が過ぎたのか、気になる事は多々あった。
『本当に、もう戻られるんですか?』
セルフィーユは不安げに尋ねる。
「ああ。いつまでもここに居るわけにも行かないし、まだやるべき事も残ってるから」
クロトはそう言い、セルフィーユへと微笑した。
聖霊の生み出したこの世界は、セルフィーユの意思で行き来する事が出来る。
だが、一度この世界に入った人間は出て行くと二度とここに戻る事は出来ない。そして、セルフィーユもその者に仕え、この場所を出なければならないのだ。
その為、クロトは申し訳なさそうに眉を曲げ、
「セルフィーユこそ、良いのか? 俺なんかに付いて来て?」
と、尋ねた。
すると、セルフィーユは首を左右に振り、
『私は、以前、冬華様に仕えました。何も出来ず、結局、私は消滅し、この場所で目を覚ましました。だから、私も遣り残した事が沢山あります』
と、強い眼差しをクロトへと向け答える。
「そっか……でも、悪いな。冬華じゃなくて、俺で」
『いえ……そ、そんな事は無いです! 冬華様の知り合いの方に仕える事が出来るんですから、喜ばしい事です!』
何故か、そう力説するセルフィーユに、クロトは戸惑いながら微笑し、やがて深く息を吐く。
「じゃあ、頼むよ」
『はい。では、あの場所に――』
セルフィーユがそう言うと、真っ白な世界は光に包まれた。