第219話 再会
再会は突然だった。
両拳に赤黒い炎をまとったクロトは、敵陣をただひたすらに突っ切っていた。
そして、その視界の端に捉える。
俯き、肩を震わせる一人の少女を。
肩口まで伸ばした黒髪に赤いカチューシャをし、この世界では珍しい――と、言うよりも、見覚えのある自分と同じ高校の制服をまとうその少女に、クロトは声をあげる。
「冬華!」
と。
だが、冬華は反応は無く、両手で頭を抱える。
その姿に、クロトは奥歯を噛み締めると、「くっ」と声を漏らし、真っ直ぐに冬華の下へと急いだ。
当然だが、それを阻止しようと、兵達はクロトの前に立ち塞がる。
それでも、クロトは立ち止まらず、右腕を――、左腕を――、振るい、兵をなぎ払う。
鮮血が何度も宙へと舞い、兵は吹き飛ぶ。
そして、クロトは辿り着く。肩を震わせる冬華の下に。
周囲から邪魔をされないよう、クロトは自分と冬華の周りを囲むように赤黒い炎の壁を円柱型に作り上げた。
それにより、周囲の目は遮断され、兵達の声が飛ぶ。
「英雄、冬華を救い出せ!」
長い黒髪を揺らす、若い男がそう指示を出す。
恐らく、この軍の指揮をとる男だろう。この若い男の声に、兵達は声をあげ、燃え上がる円柱型の炎へと攻撃を開始する。
だが、その炎は触れるものを次々と焼き払う。剣の刃を――槍を――溶かし、魔導による攻撃を消滅させる。
それ程、その炎の火力が強かった。
そんな炎の中、クロトは荒々しく呼吸を乱し、両肩を激しく上下に揺らす。
数百を超える兵の中に突っ込んだのだ。クロト自身、無傷で済むわけがなかった。
白シャツは所々が赤く染まり、背中には深い刀傷が刻まれていた。血はとめどなく流れ、呼吸をするたびに傷口が激しく痛む。
それでも、クロトはその痛みを表情には出さず、口角から流れる血を左手の甲で拭い、冬華へと静かに優しく声を掛ける。
「冬華、冬華? だ、大丈夫……か? おい。冬華」
何度も、そう呼びかけるが、冬華は頭を両手で抱え肩を震わせていた。
ここに来るまでに色々とあったのだろう。恐ろしい事、辛い事、楽しい事、嬉しい事。それは、様々だ。だが、今の冬華の様子を見る限り、とてもじゃないが想像出来ない程、苦しんでいる様にクロトは見えた。
その為、唇を噛み締め、瞼を閉じ、呟く。
「ごめん……冬華……遅くなって」
涙を堪え、クロトがそう言うと、冬華は静かに顔を上げ、瞼を開く。
二人の視線が交錯する。滲む視界に映る冬華の顔は、妙に怯えている様だった。
思わず眉間にシワを寄せるクロトに、冬華は静かに告げる。
「あ、あなた……誰? 何で、私の事を……」
その言葉にクロトは絶句する。覚悟はしていた。こうなる事を。
だが、いざ、それが現実となると、心が痛む。耐え難い苦痛だった。
それでも、クロトは、冬華を不安にさせない様に、冬華の不安を取り除く様に、右手で彼女の頭を撫で穏やかに微笑した。
それが、クロトに出来る唯一の事だった。
戸惑いを隠せない冬華の表情に、クロトは一瞬悲しげな表情をした後に、深く息を吐き、真剣な面持ちで告げる。
「帰ろう。元の世界に」
「えっ?」
クロトの言葉に、冬華は驚いた表情を向けた。
その目を真っ直ぐに見据え、クロトは小さく頷く。
「大丈夫。俺を信じてくれ」
「で、でも……な、何で、そんな事……。わ、私、あなたの事、知らないし……」
冬華の言葉に、クロトは迷う。
だが、ここは素直に言う事にした。
「俺も、キミと同じ、異世界から来た」
「えっ? あ、あなたも? でも……その耳……魔族、だよね?」
クロトの尖った耳を見据え、冬華はそう尋ねる。
すると、クロトは小さく頷き、
「ああ。俺は、この世界に来て、魔族になった。どう言う原理かは分からない。けど、元々はキミと同じ異世界の人間だ。だから、俺を信じて、一緒に来て欲しい」
真剣なクロトの眼差しから、冬華は視線を逸らす。
やはり、信じてもらえないのか、そう思うクロトだったが、胸の前で右手を握る冬華は、小さく頷いた。
「わ、分かった……けど、本当に、帰れるの?」
不安げな瞳を向ける冬華に、クロトはもう一度右手で頭を撫でた。
「ああ。安心しろ。絶対に、お前だけは帰すから……何があっても……」
クロトはそう言うと、周囲の炎を消し、冬華の右手を掴んだ。
「行くぞ!」
炎を消すと同時に、複数の兵が一気に襲いかかる。だが、クロトはそれを一層するように左手に赤黒い炎をまとい、それを外に払う様に振り抜いた。
場所は城下町へと移る。
降り注いだ岩石により、家々が潰され、火の手が上がっていた。
地面は大きく陥没し、何の罪なき多くの民がその犠牲となった。
赤い炎に紛れ、蠢く大きな黒い影。
それが、次々と魔族軍を襲う。強力な魔力を誇る魔人族に対し、圧倒的な怪力で襲い掛かるその影に、兵達は次々と命を絶たれていく。
「くそっ! 怯むな!」
一人の兵がそう声をあげ、右手に雷撃をまとう。
そして、それを打ち込む様に大きな影へと拳を振り抜いた。
「雷撃弾!」
兵の声と共に、大きな影の腹部へと拳が突き刺さり、刹那――雷鳴が轟き、大きな影を放電する。
雷撃を受け、その影は黒煙を噴かせ、膝から崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を乱す兵だが、これで、ようやく一人目。周囲はまだ、数体の影が蠢いていた。
とてもじゃないが、コレだけの影を相手にする余力など彼には残っていない。
「デュバル様は……クロウ様も……一体、何が……」
困惑する兵へと、二体の影が一気に地を駆ける。
「クッ!」
考え事をしていた為、兵の反応が遅れる。
だが、その瞬間、蒼い炎が彼の顔の横から二つ飛び出し、黒い影を直撃した。
蒼炎は瞬く間に黒い影を包み込んだ。そして、黒い影はその炎に苦しむ様に地面にのた打ち回り、やがて動きを止めた。
蒼炎が使えるのは、この国でもただ一人。その為、兵は振り返り、安堵したように声をあげる。
「け、ケルベロスさま! 魔力が戻られたのですか!」
兵の視線の先には黒髪を揺らすケルベロスが佇んでいた。
両拳には蒼い炎をまとい、その眼には殺気を帯びていた。
兵は、そのケルベロスの様子に息を呑み、目を見開く。とても、恐ろしく感じたのだ。
「あの化物は残りどれくらい居る?」
静かな口調でケルベロスが尋ねる。
寒気すら感じるその声に、兵は背筋を伸ばし答えた。
「恐らく、残りは数体かと……」
「……そうか。なら、兵を集めろ。この化物が人間達の作り出した生物兵器だとすると、我々魔人族対策は万全だろう。なるべく、違う属性の者で隊を組み、一体ずつ潰していけ」
「は、はい。分かりました」
ケルベロスの指示に、そう返答した兵は、すぐさま行動に移す。
次々と兵へと呼びかけ、隊を組んでいく彼を見据えた後、ケルベロスはその視線を炎に包まれる南の森へと向けた。
「あそこに……奴が居るのか……」
魔力が戻り、ハッキリとその気配を感知する事が出来た。
その為、ケルベロスはその目付きを鋭くし、両拳に再度蒼い炎を灯し、走り出した。
どれ位、駆けただろう。
クロトは冬華の腕を引き、森を駆けていた。
体は無数の傷を負っていた。脚も、腕も、腹部も。深く傷を負い、出血が酷かった。
流石に、左腕だけでアレだけの数を相手にするのは無理があったのだ。
そんなクロトの様子に、冬華は不安そうに尋ねる。
「だ、大丈夫?」
本来なら、耐え難い苦痛と、モウロウとする意識で、それに答えるだけの余裕など無いはずだが、クロトは冬華へと顔を向けると、微笑した。
「だ、大丈夫……心配するな」
と。
無理矢理作った笑顔。振り絞った声。
これ以上、冬華を不安になどさせたくなかった。
後方からはまだ兵の足音と声が聞こえていた。
だから、止まるわけは行かない。
だが、そんなクロトの足が程なくして止まる。
目の前のには蒼い炎が二つ揺らめき、黒髪を揺らすケルベロスの姿があった。