第218話 迷わず殺せ
夜の闇の中をクロトは駆ける。
そんな時だった。強大な魔力の反応に、クロトの右目が疼き、赤く輝きを放つ。
それに遅れて、空が赤く染まる。
足を止めたクロトは空を見上げた。
すると、空から無数の炎をまとった岩が地上へと降り注ぐ。
それは、まるで隕石の様だった。
その炎をまとう岩は、城下町へと――、城へと――、森へと、落下する。
凄まじい爆音と衝撃が広がり、激しい地響きが土煙を巻き上げる。
森が――、家が――、城が――、燃え、闇夜を照らすように地上は明るく彩られていた。
「くっ! まさか、敵? でも、この反応は……人間なのか?」
明らかに人間ではない魔族による魔力の波動。それに、この攻撃は明らかに魔族と人間を無差別に狙ったものの様にクロトは感じた。
そもそも、魔族であるなら、城を、城下町を攻撃する必要性は無い。
だとすると、魔力を持った者が、魔族と人間を争わせる為に行った事なのだと言う考えに、クロトは行き着いた。
燃える町、燃える森、どちらからも悲鳴が上がる。
その声に、クロトは唇を噛み締め、拳を震わせる。
だが、クロトに人の事を心配している余裕などなかった。
後方から響く複数の足音。そして、男の声が響く。
「居たぞ! コッチだ!」
と。
魔族の追っ手だ。
ここで掴まるわけには行かないと、クロトは考えるのもそこそこに、その場を離れる様に走り出した。
目指すのは南――人間達が陣を組む所謂敵陣だ。
その目的はただ一つ。英雄、冬華に会う為だった。
混乱の最中、城内――謁見の間では、ケルベロスが佇んでいた。
目の前には無残に弾丸を浴びせられ息絶える自らが仕える主、魔王デュバルの姿があった。
溢れ出した血は、赤い絨毯に滲み込み、その体はすでに冷たくなっていた。
ペタリとその場に座り込むセラは、放心状態で、その目からは自然と涙だけが溢れ頬を伝う。
そして、デュバルの右腕だったクロウは、そんな彼の傍に片膝を着き、肩を震わせていた。
「一体……何があったんですか?」
丁寧な口調でそう尋ねるケルベロスだが、その声と裏腹にその目は、その顔は激怒していた。
憤怒と言う言葉が正しいのかも知れないが、下唇を噛み締めそれを必死に押し殺しただただ握り締めた拳のみを小刻みに震わせる。
瞼を閉じるクロウは長めの黒髪を揺らすと、静かに立ち上がりケルベロスへと体を向けた。
「デュバル様が、殺された」
「それは、見れば分かります。一体、誰に……」
静かな声だが、明らかに怒気を含むケルベロスのその声に、クロウは瞼をゆっくりと閉じた。
そして、ゆっくりと瞼を開くとケルベロスを真っ直ぐに見据える。
「デュバル様を殺したのは――クロトだ」
「――ッ!」
クロウの言葉に、ケルベロスは驚愕する。
だが、ケルベロスが何かを発する前に、クロウは告げる。
「間違いない事実だ。信じられないかもしれないが、彼は銃を片手にこの場に居た。多くの者がその姿を目にしている。何よりも決定的な事は、彼が逃げたと言う事だ」
的確に分析し、そう告げたクロウに対し、ケルベロスからの反論などは無い。
もちろん、クロトを信じたいと言う気持ちはあったが、クロウの導き出したその答えは筋が通り、クロトが逃げていると言う事も事実だった。
しかも、最悪な事に、この瞬間に起こる人間達の襲撃。
まるで、クロトが人間と示し合わせ、デュバルを暗殺したような形だった。
城を襲う爆音に遅れ、衝撃が廊下を駆ける。
激しい土煙が舞い、城内では兵が大声を上げていた。
「敵襲! 敵襲!」
「西館、東館、両館とも甚大な被害だ! 手の空いている者は、火の手を食い止め、次の攻撃に備えろ!」
兵達の怒号が飛ぶ中、ケルベロスはギリッと奥歯を噛み締め、クロウへと背を向けた。
「何処へ行く気だ?」
クロウがその背に尋ねる。
すると、ケルベロスは背を向けたまま顔を横へと向け、
「俺は、町に行きます。これ以上、被害を出さない為にも、俺が兵を指揮して人間達を止めてみせます」
怒りを押し殺し、そう宣言するケルベロスの白髪は、根元の方から色を取り戻すようにゆっくりと漆黒に染まる。
それは、消失していた魔力の復活。そして、ケルベロスの胸の奥に押さえ込まれた憤怒の爆発の瞬間だった。
今まで消失していたはずの魔力は、黒髪に戻ると同時に破裂するようにケルベロスの体内から溢れ出す。
そして、蒼い炎が地面へと魔法陣を描いた。それは、とても歪でとても禍々しい魔法陣だった。
それを踏み締め、一歩、また一歩と歩みを進めたケルベロスに、クロウは残酷な一言を告げる。
「指揮は任せる。だが、その際、クロトを見つけたら、迷わず殺せ」
「…………分かっています」
「迷えば、情が出る。一緒に旅をしてきたんだ。情が出るのは仕方が無い事だ。だが、彼は我らの王を殺した。それだけは許してはいかん」
クロウの念を押す言葉に、ケルベロスは小さく頷き、走り出した。
戦火となるであろう城下町へと。
闇夜のルーガス大陸で、第二次英雄戦争が開戦しようとしている頃、南のゼバーリック大陸でも、大きな戦力同士がぶつかり合おうとしていた。
それは――ゼバーリック大陸、中央の自然豊かな広大なジャングルを領土とする獣魔族と、ゼバーリック大陸、東の地を納めるイリーナ王国の二つの戦力だ。
すでに侵攻を開始すべく為、新たなる獣王――シオの名の下に、獣魔族はイリーナ王国の国境線を突破していた。
もちろん、その侵攻に対応する為、イリーナ王国、現・国王であるゼノアは、国内の貴族達全てに呼びかけ、有望な人材、兵力を全て国境付近の町、村、集落、全てに配置した。
町の大きさなどは関係なく、国民に被害が出ぬように考えた結果の末だった。
そして、国王であるゼノア自身も、その先陣の中に居た。
「我らは、ここで魔族の侵攻を止めるのだ! 後ろには守るべき者! 守らなければならぬ者達が居る。皆者! 死力を尽くせ!」
ゼノアのその言葉は、オーブを通し、イリーナ王国の全ての町へと広がった。
そして、その声に鼓動するかの様に、各地で兵達の野太い声が響き渡った。
紅蓮に燃える森の中をクロトは一人駆けていた。
両手には赤黒い炎を灯し、不意に現れる兵は片っ端から殴り意識を断っていた。
すでに、クロトは人間達が集まる南方に深く入り込んでいた。
開戦の合図だったあの炎の岩石の落下により、人間側にも魔族側にも混乱が生じ、ここまで来るのは容易だった。
だが、ここからが問題だった。
魔王の命を狙って攻め込んできた者達だ。それなりに強い者も多く存在しているだろう。
そんな中、兵達の中に突っ込み冬華を探さなければならない。間違いなく自殺行為だろう。
もちろん、クロトには迷っているだけの時間はない。
何故なら、後ろからは魔族の追っ手が迫っているからだ。
(考えるより、行動か……)
クロトはそう心の中で呟くと、そのまま隊列を組む軍勢に向かって加速する。
(恐らく、あの中の何処かに、冬華が居る!)
クロトは身を低くし、最大限気配を絶ち、迫る。
だが、一人の兵が気付く。
「敵襲だ! 魔族が攻めて来たぞ!」
兵一人の声に、
「数は!」
と、別の声が轟き、
「数は一!」
「単騎突撃だと! 舐めたマネを!」
と、次々と声があがる。
そして、隊列を組んだ軍勢は一気にクロトへと動き出した。
ある者は剣を抜き、ある者は槍を構え、ある者は――。
様々な武器を持った兵達が、クロトへ迫り、その兵の後ろでは、魔術師らしき存在の者達が杖をかざし精神力を魔力へと変換させていた。