第216話 世界を変える出来事
鈍い打撃音が響き、遅れて壁が崩れた。
舞い上がる土煙の中、瓦礫に埋もれるクロトは、咳き込みながらゆっくりと体を起こす。
衣服には大量の木屑や埃が付着しているが、クロトはそれを払う事もせず、真っ直ぐにデュバルを見据えていた。
余りにも圧倒的だった。
クロトの力量を測る手合わせのはず……だった。
もちろん、最初はデュバルもそのつもりだったのだろう。受けに回っていたが、互いに木刀を交える内に、デュバルもいつしか本気になり、魔力は使わないものの、力の差をまざまざと見せ付ける結果となっていた。
大きく肩を揺らし、呼吸を乱すクロトは、大きく口を開け肺へと新鮮な空気を送り込む。
乾いた唇を潤すように一旦口を閉じ、唇を舐め、もう一度クロトは口を大きく開く。
魔力を使用しているのにも関わらず、魔力なしのデュバルに良い様にあしらわれる状況を、クロトは少なからず楽しんでいた。
コレだけの力の差を見せ付けられながらも、何故かもっとデュバルと手合わせをしたいと、思っていた。
それ位、デュバルの強さには惹かれるものがあったのだ。
瞳を輝かせるクロトの様子に、デュバルは薄らと口元に笑みを浮かべる。
「まだ、やる気かい?」
デュバルがそう尋ねると、クロトはハッと我に返る。
「あっ、す、すみません。少しだけの手合わせだったのに……」
「あぁ、いいよ。別に。気にする事は無いさ」
左手を軽く振りそう答えるデュバルは、穏やかに笑う。
これでも、デュバルは一国の主で、忙しい身だ。それなのに、こんな長く手合わせをさせて悪いと、クロトは考えていた。
しかし、デュバルは全く気にせず、笑いながら木刀を構え、
「じゃあ、続きを始めようか?」
と、クロトへと真剣な表情を向けた。
二人の視線が交錯し、またクロトが先に床を蹴る。
(魔力を足に――)
両足へと魔力を集中するクロトは、セラの行っていた属性変化と属性強化を見よう見まねで実行しようとしていた。
もちろん、容易に出来る事ではないとクロトも分かっている。
それでも、試してみたかったのだ。
(属性変化!)
クロトがそう念じる。だが、その刹那――
「変化が遅い」
と、デュバルの声が耳元で響き、クロトの顔面を右手が覆う。
そして、そのままクロトの体を後方へと押しのける。
踏ん張っていた両足は床から簡単に引き剥がされ、体は宙を舞い、またしても壁へと激突した。
壁が簡単に崩れ落ち、横たわるクロトの上へと山積みになった。
足に集めていた魔力は消失し、クロトはゆっくりと体を起こす。
すると、腰に手をあて首を傾げるデュバルが苦笑いを浮かべる。
「うーん。キミにその戦い方は向かないんじゃないかな?」
デュバルの言葉に、クロトは目を細め衣服に付いた埃を払いながら立ち上がる。
「やっぱり、そうですか?」
「ああ。確かに、キミは五つの属性を持っている。けど、どうやら属性内の優劣が大きすぎて、属性を変化させるのに、時間が掛かってしまうようだ」
そう説明するデュバルに、クロトは自らの右手を見据える。セラはあんなに簡単にやってのけていたのに、これほどまでに高度な技術と魔力が必要なのだと気付かされた。
そして、セラがこの属性変化と属性強化を使いこなせるようになるまで、どれ程の鍛錬をしてきたのかが、分かった。
沈黙するクロトに対し、デュバルは困ったように笑みを浮かべると、左手で頭を掻いた。
「まぁ、何だ。人には向き不向きがある。キミにはキミの戦い方があるはずだよ」
「えっ、あっ……はい。そう……ですね」
デュバルの言葉に、少々戸惑った様にクロトはそう答えた。
その答えにデュバルは眉間にシワを寄せ、小首を傾げる。どうやら、クロトは落ち込んでいるわけではなかった。
その為、デュバルの励ましの言葉に、反応が薄かったのだ。
「それにしても、セラはよく、こんなに高度な事を簡単にやってのけますね」
感嘆の声を上げるクロトに、デュバルは腕を組む。
「セラは、母親に似てねぇー。能力だけは高くてねぇー。ただ、魔力の制御が下手くそと、言うか苦手でね。そこは、どうやら私に似てしまったようだ」
そう言い、デュバルは「ハッハッハッ!」と笑った。
しかし、とてもデュバルが魔力の制御が下手とは思えず、クロトは訝しげな目を向けていた。
それから二人はもう少しだけ手合わせをし、結局、クロトは立ち上がれなくなるまで、完膚なき敗北を味わった。
大の字に倒れ胸を上下に揺らすクロトに、タオルで汗を拭くデュバルは静かに尋ねる。
「前々から一度聞こうと思っていたんだが、キミは一体、何の為に戦うんだい?」
笑顔のデュバルに、クロトは体を起こす。
最初は、自分を守る為に戦っていた。でも、次第に明確にその意志が固まった。
クロトが戦う理由。それは――
「守りたい人がいるんです」
だった。
守りたい人。その言葉に、デュバルは僅かに眉間にシワを寄せ、「ふーん」と答えた。
興味が無い、と言うわけでは無く、クロトの答えが、デュバルには意外だったのだ。
「守りたい人……それは?」
「セラやケルベロス、それに……今まで俺を支えてくれた人、助けてくれた人とか、色々です」
苦笑混じりにクロトはそう答え、右手で頭を掻く。
「まぁ、そうは言っても、実力が伴っていないんですけど……」
「そうだね。けど、キミならいつか、出来るはずさ」
「そう……ですか?」
「ああ。その時は、セラの事、よろしく頼むよ?」
笑顔を向けるデュバルに、クロトは右肩をやや落とす。
「は、はい……そ、そうなれるよう、努力します」
クロトがそう答えると、デュバルはその肩を二度叩き、
「おう。頑張りたまえ」
と、微笑した。
それから、
「あっ、そうそう。汗を流したら、少し、話をしないか?」
と、デュバルは口にする。
話をするなら、今でも良いのでは? と、クロトは思ったが、その考えを悟ったのか、デュバルは眉を八の字に曲げた。
「すまんな。汗でベタベタしてな。こんな状態で話すよりも、お互いスッキリして話す方がいいだろ?」
「そ、そう……ですね」
クロトが静かにそう答えると、デュバルは右手を軽く上げる。
「それじゃあ、先に風呂に入ってくると良い。私は、少々やる事があるんでな。そうだな……大体、二時間後、位に謁見の間、玉座の前に来てくれ」
「あっ、はい……。二時間後ですね」
「ああ。一人で、来てくれよ?」
「わ、分かりました……」
デュバルの言葉に、クロトは小さく頷いた。
この日、世界を変える出来事が二つ起きた。
一つは、数時間後にルーガスで起こる。
そして、もう一つは――北の大陸フィンクで、今、まさに起ころうとしていた。
場所はフィンクの西、魔族が納めるグランダース王国領土。
雪原の中、その男の姿はあった。
長い黒髪の合間から耳の付け根に生えた漆黒の長く太い角を見え隠れさせるその男は、現・グランダース王国、国王ガガリスだった。
真紅のマントを揺らし、護衛もつれず威風堂々とした態度のガガリスは、真剣な面持ちで顔を挙げ、真っ直ぐに正面に佇む男を見据える。
ガガリスの視線の先に佇むのは、赤黒い髪を揺らすグラドだった。
ガガリスの弟であり、ティオの兄であるその男は、背負った槍へと右手を伸ばすと、耳の付け根から生える漆黒の角を輝かせる。
「どう言う事だ?」
ガガリスが、眉間にシワを寄せグラドを見据える。
「お前は、確か……地下に幽閉していたはずだが?」
ガガリスがそう尋ねると、グラドは槍を静かに構え、その赤い瞳を真っ直ぐに向ける。
「……どうやって、抜け出した?」
「そんな事を知ってどうする? どうせ、死に行くんだ。知る必要もないだろ」
ガガリスの問いかけにようやく、グラドがそう答えた。
挑発的なグラドの言葉に、ピクリと右の眉を動かしたガガリスは、その口から真っ白な息を吐き出す。
「そうか……よっぽど、死にたいようだな」
「ふっ……死ぬのは、お前の方だ! ガガリス!」
グラドはそう叫び、地を蹴った。
そして、ガガリスはそんなグラドを迎え撃つ様に、全身から魔力を迸らせた。