第214話 魔王デュバルと娘セラ
「おう。お帰り!」
軽い口調で、クロト達三人を出迎えたのはこの国の長であり、魔族の中で最も力を持つ男、魔王デュバルだった。
まるで農民の様な服装で、クワを肩に担ぎ出迎えたデュバルに、クロトは驚き言葉を失う。
魔王としての威厳など、その姿にはなかった。
相変わらず若々しい美形の顔立ちの優男は、頭にタオルを巻き清々しい程の笑顔を向ける。
呆然とするクロトの横では、セラとケルベロスが絶句していた。
三人の反応が無い為か、デュバルは不安そうに首を傾げると、右手を軽く上げ、
「お、おう。お帰り?」
と、もう一度口にした。
その瞬間、ケルベロスは声を上げる。
「お、お帰りじゃないですよ! な、何してるんですか!」
当然のケルベロスの疑問に、デュバルは眉を潜めると、暫く考えた後に、
「見て分からんか?」
「いや、分かりますよ! 分かりますけど……なんで、魔王であるあなたが、農作業などしてるんですか!」
デュバルの発言に、ケルベロスは食い気味にそう声を張った。
その声に両手で耳を押さえるデュバルは、面倒臭そうに眉間にシワを寄せると、大きく肩を落とし吐息を漏らす。
「あのな、自給自足は、大切な事だ。そりゃ、私だって農作業位するさ」
「いやいやいやいや! 何を仰っていらっしゃるのですか! 魔王たる者、玉座にドーンと構えているべきです!」
うろたえるケルベロスの姿に、クロトは少々驚いていた。
今まで一緒だったが、こんな風に取り乱す姿は、正直初見かも知れない。
そして、セラもここでようやく声を上げる。
「お、お父さん!」
「んっ? どうした? 我、愛しの愛娘よ!」
デュバルはそう言うと、セラの方へと体を向け両手を広げる。
いつでも抱きついてきて構わないぞ、そう言う風な意図が見て取れ、クロトも感動の再会シーンを脳内でイメージしていた。
だが、そうならないのが、この親子だった。
「属性硬化! 土」
腰の位置に握り締めた右拳が魔力を纏い、瞬時に光沢の良い黒い硬質物に包まれる。
「えっ?」
「なっ!」
「アレ?」
クロト、ケルベロス、デュバルの順に驚きの声をあげ、セラへと視線が集まる。
この状況で、何故このような行動に至ったのか定かではないが、クロトは目を丸くし、ケルベロスは眉間にシワを寄せ、デュバルはただただ苦笑していた。
「属性強化! 火!」
更にセラがそう声を上げると、硬化した黒光りする右拳を炎が包みこむ。
「あ、アレ? せ、セラ? そ、それは一体――」
表情を引きつらせるデュバルがそう呟くと、
「属性強化! 風!」
と、セラは更にその炎へと風をまとわせ、火力を上げる。
轟々と燃え上がる紅蓮の炎に、誰もが言葉を失う中、セラは左足を踏み込み、奥歯を噛み締め拳を振り抜いた。
紅蓮の炎に包まれたその拳は真っ直ぐにデュバルの腹へと減り込んだ。
鈍い打撃音の後に「ぬぐっ」とデュバルの呻き声がわずかに聞こえ、その体は軽々と吹き飛んだ。
一度、二度と地面へとバウンドし、激しい爆音を奏でながら消えていった。
呆然とそれを見据えていたクロトとケルベロスは、あんぐりと口を開けていた。
何が起こったのか、と言うよりも、何故こうなったのか、と考える二人の背後で、
「おーっ。飛んだなぁー」
と、能天気なデュバルの声が響いた。
「うおっ!」
「でゅ、デュバル様!」
驚きの声を上げるクロトとケルベロスは瞬時に振り返り、目を丸くする。
そこには、紛れも無いデュバルが佇んでいた。
先程デュバルが飛んでいった方向と、現在デュバルが居る場所を何度も何度も繰り返し交互に顔を向けるクロトは、「えっ? えっ? えぇっ?」と、驚きの声をあげる。
一方で、ケルベロスは安堵した様に息を吐くと、呆れた様に目を細めた。
「何をなさっているんですか?」
「いやぁー。セラがこの旅でどれ位力をつけたのか、うん。気になってな」
デュバルはそう言うと大らかに「はっはっはっ」と笑う。
そんなデュバルの姿に、セラは不満そうに頬を膨らませていた。
全力で放ったのに、結局、父であるデュバルは無傷。しかも、いつの間にか背後まで取られていた。
それだけ、デュバルには余裕があったのだろう。
不満げなセラの表情に、デュバルは白い歯を見せ笑うと、
「まぁまぁだったぞ! セラ。しかし、随分と魔力の制御が上手くなったじゃないか!」
と、穏やかな声で告げる。
ムスッとした表情でソッポを向くセラは、唇を尖らせ、
「エメラルドさんが教えてくれたから……」
と、呟いた。
「そうか……アイツにあったのか……」
少々悲しげな瞳でそう呟いたデュバルに、クロトは疑念を抱いた。
だが、すぐにデュバルは笑みを浮かべ、
「まぁ、お前達、ゆっくりしていけ」
と、大らかに笑った為、クロトは何も聞けなかった。
それから、一週間程が過ぎ、クロトは何故かデュバルと一緒になって畑を耕していた。
理由は分からないが、何故か意気投合し、クロトも畑を耕す事になったのだ。
そんな二人を自室から見下ろすセラは、手すりに肘をつき、呆れた様に深いため息を吐いていた。
一見すると、非常に平和そのものに見えるが、実際、この時この国は囲まれていた。
人間が統括する各国の軍隊によって。
それを知ってか知らずか、デュバルは時折南方へと目を向け、目を凝らした。
「さてさて……どうしたものか……」
デュバルはそう呟き、腰に手を当てる。
そんなデュバルの呟きが聞こえ、クロトは手を止めた。
「どうかしたんですか?」
クワを地面へと突き立てたまま、クロトがそう尋ねると、デュバルはタオルを巻いた頭を右手で触り、大らかに笑う。
「はっはっ……別に、どうかしたと言うわけじゃないさ」
「……?」
「まぁ、農作業はコレくらいにして、戻るとするか」
デュバルのその言葉に、クロトは戸惑いながらも、
「え、えぇ……そ、そうですね」
と、小さく頷いた。
それから、クロトはクワを持ち上げる。
すると、デュバルは「そうそう」と、静かに振り返った。
「セラの事、ケルベロスの事、色々とすまなかったな」
「えっ? あっ……いや。俺の方が色々と迷惑掛けた方ですから……」
苦笑いしながら、クロトはそう答えた。
だが、クロトの言った事も正しい。セラにも、ケルベロスにも、助けられてばかりだった。
その為、デュバルにあんな風に言われると、申し訳なく思う。
クロトの控えめなその発言に、デュバルは「ふふっ」と含み笑いをすると、右手を軽く振った。
「そう謙遜する事は無い。君が居たから、セラは世界を見て回る事が出来た。そして、ケルベロスも人間を知る事が出来た」
穏やかな口調でそう言うデュバルに対し、クロトは眉間にシワを寄せると、小さく首を振った。
「いいえ。あの二人だったら、俺がこの世界に来なくても、何れ自らの足で世界を見るために旅立ったと思います。俺は、ただのキッカケになっただけですよ」
「そう……かも知れない。けど、何れではなく、今のこの時期に二人が同時に旅に出れた事が良かったんだ。それに、キミと言う存在が二人に良い影響を与えてくれた。私は、感謝している。セラの父として、ケルベロスの親代わりとして」
デュバルは真剣な面持ちでそう告げた後に、穏やかな父親のような顔で笑みを浮かべ、
「本当に、ありがとう」
と、告げ右手を差し出す。
妙な感覚を覚えながらも、クロトは差し出された手を握り返す。
「これからも、セラの事、ケルベロスの事……頼むよ」
デュバルの願いに、クロトは自然と頷き「はい、分かりました」と答えた。
だが、何故だろう。デュバルのその言葉が、クロトにはまるで別れの言葉の様に聞こえて仕方がなかった。