第210話 ルーガスへ
海賊女帝、パルの海賊船は、リックバードの港を出港しようとしていた。
すでに、食料などは詰め込み、後は碇を上げるだけ。
船首には海賊ハットを深々と被ったパルが、その長い黒髪を揺らしながら佇み、出航の合図を送るように右腕を上げた。
その合図に二度、銅鑼が鳴り響き、遅れて汽笛がなった。
両手で耳を塞ぐクロトは思わず銅鑼の方へと目を向ける。
確か、以前はなかったモノだ。一体、何処で入手したのか、出航の合図代わりになっているようだった。
海賊船はゆっくりと港から離れ、帆に風を受け動き出す。
甲板を忙しなく往来する船員達は、皆、野太い声を上げていた。
手すりに身を預け、港を眺めるクロトは、ふっと静かに息を吐いた。
今回も、色々とあったな、とシミジミ思う。
そんなクロトの下へと、たどたどしい足取りでセラが歩み寄った。
「クーロトっ!」
弾むようなセラの声に、クロトは静かに振り返った。
「んっ?」
「何々? たそがれてるの?」
明るく振舞うようにそう言うセラに、クロトは口元へと薄らと笑みを浮かべつつも不思議そうに首を傾げる。
「別に、たそがれてるつもりはないけど……」
「けど? 何?」
「うん。あのさ……どうしたの?」
「へっ?」
突然のクロトの言葉に、セラは驚いたように声を上げる。
「何か、声のトーンがいつもと違うけど……」
「あっ、えっ? べ、別に、そ、そんな事、無いと思うけど?」
明らかに視線を逸らしたセラに、クロトはジト目を向け、静かに鼻から息を吐いた。
セラがどうして浮ついているのかは、大方予想がついた。恐らくだが、久しぶりにルーガスへと戻れるからだろう。
元々、自分からルーガスを飛び出した手前、戻りたくても言いだせなかったのだろう。
それに、今まで色々とありすぎ、どれだけ自分が恵まれた環境で育ったのか、父であるデュバルにどれだけ守られていたのかを知ったからだろう。
早く帰って、今までのお礼でも言いたいのかも知れない。
完全に浮き足立っているセラに、クロトはクスッと笑うと頭の後ろで手を組んだ。
今に思えば、全てが始まった場所であるルーガスに戻ると言うのは、感慨深いものだった。
空を見上げ、クロトは瞼を閉じる。この世界に来て、どれ位の時が過ぎたのか、ルーガスを出てどれだけの時を過ごしたのか、今までの戦いなど、様々な記憶が蘇る。
だが、まだ終わりではない。これから、終わらせなければならないのだ、と思うと、クロトの表情は自然と真剣な面持ちへと変った。
「ど、どうかした? 怖い顔して?」
振り返ったセラが、訝しげな眼差しを向けると、クロトは俯き首を振った。
「ううん。なんでもない。ごめん」
小さく頭を下げたクロトは、ゆっくりと手すりから体を離した。
「さ、て……。なぁ、ケルベロス、知らない?」
軽く屈伸運動をしたクロトがセラにそう尋ねる。
すると、セラは少々驚きつつも、
「えっ? け、ケルベロスなら、船室……じゃない? 精神統一するとか……言ってたよ?」
と、答えた。
やや不思議そうな表情をするセラに、クロトは微笑する。
「そっか。じゃあ、ちょっと話があるから――」
「じゃあ、私も一緒に――」
「いや、二人で話したいんだ。ごめん」
両手を合わせ、そう言ったクロトは、軽く頭を下げた。
不服だったが、セラは渋々小さく頷く。
「う、うん……分かったぁー」
唇を尖らせそう言うセラに、クロトは申し訳なさそうにもう一度頭を下げると、船室へと走り出した。
一人残されたセラは不満そうに頬を膨らせ、
「ぶーっ!」
と、声を漏らした。
ケルベロスの居る船室のドアをクロトはノックする。
乾いた音が響き、暫しの時が流れる。
しかし、返答は無く、クロトは首を傾げた。
「アレ? いないのか? おーい! ケルベロス!」
と、クロトは何度もドアをノックする。
すると、突然、クロトのノックする向かいのドアが荒々しく開かれた。
それにより、ドアがクロトの体を激しく打ち付け、
「はぐっ!」
と、思わず声を上げた。
ドアノブが思い切り腰に直撃したのだ。
悶絶するクロトに対し、ドアを開けた張本人であるケルベロスは声を荒げる。
「何だ! 一体! 大体、何故、お前は別の部屋のドアのノックしてるんだ!」
「うぐぅぅぅっ……て、てか……なんでそっちの部屋?」
涙目で顔を上げたクロトは、訝しげにそう尋ねた。
すると、右手を腰に当てるケルベロスは、左手で頭を掻く。
「何でって、元々、俺の部屋はここだが?」
白髪を揺らすケルベロスが面倒臭そうに目を細め、クロトにそう答えた。
その答えに、クロトは唸り声をあげる。
「で、何の用だ?」
「あぁ……ちょっと、話があって……」
左手で腰を押さえるクロトは、静かに立ち上がり、ケルベロスの方へと体を向ける。
すると、ケルベロスは腕を組み、鼻から息を吐く。
「まぁいい。入れ」
「ああ……ありがとう」
ケルベロスに促され、クロトは船室へと入った。
船室はいつもと変わらず、殺風景で、ベッドと小さな棚以外何も無い。
そんな部屋の中心には汗染みが出来ており、ケルベロスがそこで精神集中をしていたのだと分かった。
「それで、何の話だ?」
タオルで濡れた白髪を拭きながら、ケルベロスは尋ねる。
窓際へと移動したクロトは、脱力するとケルベロスの方へと顔を向けた。
神妙な面持ちのクロトに、ケルベロスはタオルを首に掛け、静かに息を吐き出す。
「何だ? 大切な話なのか?」
「うーん……まぁ、そう……なるかな?」
どうにも歯切れの悪いクロトに、ケルベロスは眉間にシワを寄せる。
「ハッキリと言ったらどうだ? 何なんだ? 一体」
「あぁー……。じゃあ、怒らずに聞けよ?」
「……俺を怒らせたいのか?」
苛立ちから、静かにそう尋ねるケルベロスに、クロトは苦笑した。
「いや、そうじゃないんだけど……」
「だったらなんだ?」
腕を組み不快そうな表情を浮かべるケルベロスへと、クロトは静かに深呼吸をし、告げる。
「もし、この先、お前と俺が戦う事になったら、本気で殺しに来てくれ」
クロトの突然の言葉に、ケルベロスは一瞬口を開きかけた。
“イエロに聞いたのか?”
そう言いかけた。だが、それを呑み込み、ケルベロスは深く息を吐き出す。
「何のつもりだ? それは、お前は俺に殺されるような事をすると言う事か?」
あえて、イエロから聞いた事を伏せ、何も知らない事を装いケルベロスはそう尋ねた。
イエロはこの事はケルベロスにしか言わないと言っていた為、恐らくクロトは別の誰かからその事を聞いたのだろう。
そう、ケルベロスは考えた。
ケルベロスの言葉に対し、クロトは慌てた様子で腕を振る。
「い、いや、うん。そう言う事をするつもりは無いけど……てか、もしもの話だから!」
「…………分かった」
静かにそう答えるケルベロスだが、どうにも納得はいっていなかった。
ケルベロスの微妙な表情に、クロトも納得していないのは分かったが、とりあえず、今の所はそれでよかった。
その為、クロトは伸びをすると、
「話はコレだけだから。じゃあ、俺はちょっとミィに用があるから」
と、明るく笑みを浮かべ部屋を後にした。
海賊女帝パルの海賊船が出航して、数時間後の事だった。
リックバードでは、騒動がおきていた。
「どう言う事だ!」
怒声を轟かせる剛鎧が、右拳で壁を殴り破壊する。
小麦色の肌に滲む血が床へとこぼれ、紺色の逆立った髪は僅かに揺れた。
奥歯を噛み締め、鼻筋にシワを寄せる剛鎧の手元には一枚の書面が置かれ、そこには、こう記されていた。
“我々は、魔族との共存を拒む。故に、八会団の解散。そして、貴殿らへ次なる作戦への参加を強く要望する”
と。
「まさか、ここまで、事が進んでいるとは……」
袖に手を入れ、胸の前で手を組む天童は、目を細める。
すると、剛鎧は天童へと振り返り声を荒げる。
「まさか、兄貴、参加する気じゃねぇだろうな!」
「するわけないだろ。これ以上、魔族との関係が悪化したら……」
天童はそこで言葉を呑んだ。
そんな天童の手に握られた書面には、
攻撃対象――ルーガス。
総司令――英雄 白雪冬華。
決行日――一ヵ月後。
と、記されていた。