第208話 桜を名に持つ剣
漆黒の太い刀身は美しく光を反射する。
形状は片刃の大剣、いや、どちらかと言えば大刀に近い。
鍔は純白で何色にも染まらない。
そして、柄は細く長い。それが、クロトの手にしっくりと馴染んでいた。
ゆっくりとクロトは魔剣・魔桜を静かに構える。
重量は見た目よりも軽く、クロトが片手で扱える程だった。
魔桜を構えるクロトは、真っ直ぐに劉漸を見据える。
「これで、終わりにしようか」
クロトの静かな声に、劉漸は思わず右足を退く。
それ程、威圧的だった。圧倒的な魔力の波動を放つその剣に、劉漸は額に脂汗を滲ませる。
だが、劉漸は奥歯を噛み締めると、魔力を桜千へと注いだ。
劉漸の行動に、クロトは僅かに目を細めると、静かに息を吐き出す。
そして、魔桜へと魔力を込める。
まずは火の属性の魔力を刃へと集めると、それが発火し漆黒の刃を炎が包む。
すると、刃は朱色へと変化し、その炎を吸収し煌く。
ゆっくりとクロトはそれを振り上げる。その構えを、劉漸は良く知っていた。
(火斬か! しかし、何でアイツが?)
疑念を抱く劉漸だが、クロトのその構えは紛れも無い紅蓮一刀・火斬の構えだった。
その為、劉漸はすぐに笑みを浮かべる。火斬へ対する対策はすでに出来ていた。静かに劉漸は突きの構えをとる。これで、火斬は簡単に防げる。
剣を構える二人の間を静かな風が流れる。
そして、クロトが動く。
「魔桜。烈火の太刀――」
クロトのその言葉にやや遅れ、
「静明流独式三の太刀!」
劉漸が左足を踏み込む。
「――雫!」
声をあげ、水を纏った桜千を一気に突き出す。
鋭い一撃が魔桜の長い柄の頭へと突き刺さる。振り下ろす瞬間のその一瞬を狙い済ました一撃だったが、クロトは構わず――
「爆・火斬!」
と、魔桜を振り下ろした。
桜千の刃が軋み、魔桜の柄頭から切っ先が外れる。確りと柄頭に刺さっていたはずなのに――。
クロトの腕力が強いと言うわけじゃない。何故か、急に柄頭に刺さった切っ先が弾かれたのだ。
(なっ!)
驚く劉漸だが、もう止まらない。
前のめりになり、クロトの間合いへと入る。
その瞬間、朱色に変った刃が劉漸の左肩を斬り付けた。
「うぐっ!」
奥歯を噛み締め、声を漏らす劉漸だが、直後その傷口が爆発し血が炎と共に噴き上がった。
「がはっ!」
吐血し、一歩、二歩と後退する劉漸の傷口から大量の血が流れ出す。
ドロドロの血がボトッボトッと嫌な音をたて地面へと落ちた。
通常の火斬とは明らかに違うその一撃に、劉漸は戸惑っていた。
火斬は斬り付けた後に、切っ先が地面に触れるとそこに魔力を流し込み、炎を地面から噴出させると言うモノだ。
それが、クロトの放った火斬はどうだ。地面から炎は噴かず、斬られた場所が爆発した。
それはもう、火斬と呼べる技ではなかった。
血を滴らせる劉漸は、奥歯を噛み締め、真っ直ぐにクロトを見据える。
「ぐっ……」
「どうする? その傷で、まだやる気か?」
険しい表情を見せる劉漸にクロトは静かに尋ねた。
クロトの手は僅かに震えていた。右肘の痛みが限界だった。だが、それを悟られてはいけないと、クロトは平静を装っていた。
もちろん、劉漸がそれに気づく事は無く、唇を噛み締めると鼻筋にシワを寄せ、魔力を桜千へと注いだ。
その行動に、クロトは両手で柄を握り魔桜を構えなおした。
(まだ、やる気なのか……)
思わずそう思うクロトだったが、劉漸は意外な行動を取った。
「静明流独式六の太刀! 濃霧!」
魔力を帯びた桜千を地面へと突き立てると、刃を包む水が霧となり周囲へと広がった。
だが、それはクロト達の所までは来ず、ただ劉漸の体を覆い隠しただけだった。
リックバードの中心にある屋敷の前では、天童と剛鎧の二人が、和服の男と対峙していた。
すでに二人はボロボロだったが、致命傷は何とか免れていた。
一方、和服の男は肩に妖刀・血桜を肩に担ぎ、カランカランと下駄を鳴らす。
二人掛りでも、全く持って手も足も出ない状況に、天童と剛鎧の表情は険しい。
これ程まで、差が歴然だとは思わなかった。あってもそんなに差は無いだろう、そんな考えだった。
これでも強くなったつもりだった。父である天鎧の教えは全て体に叩き込み、高い技術を持っている。
それなのに、この男には届かない。
それ程までに大きな差が、大きな壁が二人とこの男の間にはあった。
息を切らせる二人に対し、全く呼吸の乱れすら感じさせない和服の男は、チラリと後方へと目を向ける。
すると、落胆した様に深々と息を吐き出し、冷ややかな眼差しを二人へと向けた。
「フン……やはり、その程度か」
「何だと!」
和服の男に対し、剛鎧が荒々しく声を上げる。
だが、それを天童は制する。
「やめろ。奴の言う通りだ」
「兄貴! 何で認めるんだよ!」
天童の言葉に剛鎧はそう声を荒げる。
和服の男は二人の様子を窺った後に、静かに血桜を鞘へと納め背を向けた。
「に、逃げんのかよ!」
男の行動にすぐに反応したのはやはり剛鎧だった。
しかし、剛鎧の言葉に対し、和服の男は鼻で笑い肩を竦める。
「逃げる? 命拾いしたのはどっちだと思っているんだ? 次、会う時までに、もっと力をつけているんだな」
和服の男はそう言い残すと下駄を鳴らし静かに去っていった。
天童と剛鎧は悔しげにその背を見据える事しか出来なかった。
劉漸が濃霧で姿を隠し、数分が過ぎていた。
その場に佇むクロトも、それを見届けるケルベロス、パルの二人も流石に違和感を感じていた。
そして、濃霧が晴れた時、三人はようやく理解する。
「あっ!」
「くっ!」
「逃がしたか……」
三人とも表情を険しくし、辺りを見回す。
もう劉漸の気配は感知出来なかった。だが、劉漸の出血は酷いのだろう。地面には血痕が点々と残されていた。
魔桜を下すクロトは、深く息を吐き脱力する。
まるで全てを終えた風な感じだが、まだ終わってはいない。
その為、ケルベロスは怒鳴る。
「おい! 何をのん気にしてるんだ!」
「えっ? あっ……いや、ほら、もう逃げられちゃったし……」
「血の跡を追えばまだ追いつけ――ッ!」
傷口が傷むのか、ケルベロスは表情を歪めた。
ケルベロスの姿に、呆れた様に目を細めるクロトは、左手で頭を掻くと吐息を漏らした。
「はぁ……分かったよ。追えば、いいんだろ? 全く……」
渋々とクロトは魔桜を持ち、地面に残った血の跡を辿り走り出した。
正直、追い討ちを掛けるのは気が進まないが、ケルベロスの考えも分からないではない。
恐らく、ここで逃せば、また多くの人が血を流す事になる。だから、逃がすわけにはいかないのだ。
血痕を辿るクロトは、暫く走った後に足を止めた。
何故なら、そこに転がっていたのだ。
体を切り離された劉漸の頭が――。
「な、何で……」
目を細め、左手で口と鼻を覆うクロトは、ゆっくりと視線を上げる。
心臓が静かに鼓動を打ち、周りの空気が張り詰める。
何があったのか、どうしたのか、頭の中でそんな事クロトは考えていた。
考えつつもゆっくりとあがった視線の中に、クロトはその人物を捉える。
結った長い黒髪を揺らす和服姿の男だった。
その手に携えるのは美しい刀で、その刃からは鮮血がシトシトと滴れる。
息を呑むクロトは、瞬間的に感じた。
(ヤバイ!)
と。
それは、クロトの本能がそう感じ取ったのだ。
反射的に身構えるクロトは、距離をとり、魔剣・魔桜を両手で握り締めた。
手の平はジットリの汗で濡れ、寒気が漂う。
だが、何故だろうか、クロトの右目は全く反応しない。これ程までにクロト自身は脅威を感じていると言うのに。
漂う緊張感の中、和服の男もクロトの存在に気付く。
「……なんだ。お前は?」
男はそう尋ねた。
だが、クロトが返答するよりも早く、
「いや。どうでもいいか……」
と、答えた。
警戒するクロトは、そんな男へと尋ねる。
「こ、この人を殺したのは――」
「ああ。俺だ。何か問題でもあるのか?」
「どうして……」
クロトはこの質問をしようとして口を噤む。
“どうして殺したんだ”
と、聞こうとした。だが、瞬間的に自分も止めを刺そうとしていたのに、何を聞こうとしているんだ、と思ったのだ。
そんなクロトの様子に和服の男は鼻で笑う。
「ふん……用が無いのなら、今すぐ消えろ。俺は、今、非常に機嫌が悪い」
不快そうな表情を浮かべる男に、クロトは唾を呑み込む。
どうするべきか考えていた。恐らく、この場で戦っても勝てる見込みは無い。
様々な考えをめぐらせる中、不意に和服の男の視線がクロトの持つ魔剣へと向く。
「んっ? お前のその剣……」
そう呟いた和服の男は薄らと口元へと笑みを浮かべた。
「そうか……その剣……ふっ、ふふふっ……そうかそうか……」
一人納得した様子の男に、クロトは疑念を抱く。
「い、一体、何がおかしい?」
「いいや。嬉しいのさ。そうか……桜を名に持つ剣がまた生まれたか……」
「桜を名に持つ剣?」
クロトがそう聞くと、男は鋭い眼差しをクロトへと向け、言い放つ。
「貴様、もっと強くなれ! そして、俺を楽しませろ! いいな!」
それだけ言うと和服の男は下駄を鳴らし、姿を消した。
一人残されたクロトは、静かに息を吐くと肩の力を抜いた。