第206話 クロト 対 劉漸
右目に走る激痛に、クロトは表情を歪める。
赤く輝きを放つその右目に映るのは禍々しいほどの薄汚れた赤い煙。
それが逆巻き、劉漸の体を覆いつくしていた。
息を呑むクロトは、真剣な表情で劉漸を見据え、ふっと息を吐いた。
ここからが本番なのだと理解し、クロトは気を引き締める。右肘の痛みなど気にしている余裕は無い。
雷の剣、轟雷を静かに構えなおすクロトは、間合いを測るようにジリッと右足を前へと出した。
熱気をおびた息を吐く劉漸は、血走った目を、パルへと向ける。明らかな殺意を持った眼差しにパルは寒気を感じる。
流石に邪魔をされた事に対して、怒りをあらわとしていた。
「貴様! 俺の邪魔をするな!」
パルへと向かい、劉漸は駆け出す。だが、その瞬間、劉漸を横からクロトが蹴り飛ばした。
派手に地面へと転がり、激しく土煙が上がる。
完全に怒りで周りが見えていなかった劉漸は、体をすぐに起こすとクロトの顔を睨んだ。
鼻筋と眉間に深いシワを寄せ、額に浮かび上がる太い青筋をピクリピクリと震わせる。
「き……さ……まぁぁぁぁぁっ!」
完全に冷静さなど失い、凄まじい形相で声をあげる劉漸は、一層禍々しい気配を周囲へと広げた。
重苦しく絡みつく様な感覚をパルも感じていた。これ程の力をまだ持っていたのかと思うと、自分達と戦っていた時はまだ本気ではなかったのだと感じさせられた。
そこに、ようやくケルベロスが辿り着く。壁を伝い、大量の血痕を残しながらそこに辿り着いたケルベロスは、大きく開いた口で荒々しく息をしながら、目を真っ直ぐにクロトの方へと向けた。
何かを言いたげな眼差しを向けたケルベロスだが、声を発する程の元気は無く、その場に座り込んだ。
安堵したのだ。あとは、クロトに任せれば大丈夫だ。ケルベロスはそう思ったのだ。
一方、路地の奥、負傷したレッドを引き摺るように移動させたセラは、不安そうにクロトの背を見据える。魔剣はどうしたんだろう。そんな事を考えていた。
自分が創り出した魔法石は、最高の出来だった。きっと凄い魔剣になるはず……だった。だが、クロトの持っていた剣は、魔剣では無く、火の剣と雷の剣。
確かに、その刃は魔法石が練り込まれた美しい刃で、セラもその刃に凄い力を感じた。
しかし、アレは魔剣ではない。ただの属性を持った剣に過ぎなかった。
(どうして……どうして、あんな剣を……)
疑念を抱くセラは、胸の前で手を組み、祈るように瞼を閉じた。
きっとクロトには考えがあるんだ、そう自分に言い聞かせながらも、祈る。クロトの無事を。
対峙するクロトと劉漸。二人の視線が交錯する。
クロトの右手の甲にまた光り輝く星型の文様が浮かび上がり、その手に握られていた轟雷が消える。
そして、三度、剣が現れる。
焔狐、轟雷と違う三本目の剣。
刃は焔狐よりも長い、所謂長刀と呼ばれる形で、透き通る淡い青色の刃の切っ先が鉤爪の様に内側へと曲がっていた。
変った形のその刃と裏腹に、真っ白な柄は長くシンプルなモノだった。
ゆっくりとその長刀を構えるクロトは、深々と息を吐き出す。
威力的に、轟雷を使い続けるのは危険だと、クロトは考えこの剣と変えたのだ。
現在クロトが手にする剣は、水の剣、水月。五つの属性の中で、最も苦手とする属性だが、それでも扱いやすいような仕様になっていた。
その為、クロトが魔力を練りこむと、透き通る淡い青色の刃は発光し、美しく輝く。
怒り、冷静さなど失った劉漸は桜千を構えると、地を蹴る。魔力を練り込まれた刃には水の膜が張り、劉漸は右足を踏み込み声をあげる。
「静明流独式一の太刀!」
劉漸の声に遅れ、クロトも右足を踏み込み声をあげる。
「静明流一の太刀――」
クロトのその言葉に、劉漸の表情が僅かに変る。
腰の位置で水月を構えるその姿勢は間違いなく、劉漸の知る静明流一の太刀の構え。だが、何故、クロトが静明流の型を知っているのか疑念を抱く。
しかし、すぐにそんな事は関係ないと劉漸は力を込め、
「――飛沫!」
と、長刀・桜千を振り抜く。
それに遅れて、
「――五月雨!」
と、クロトも長刀・水月を素早く何度も振り抜く。
水の膜に包まれた桜千が振り抜かれると、飛沫が噴き上がり、それが刃となり空を滑空する。
一方で、水を噴出し刃を一層鋭く強化する水月は、滑空する水の刃を相殺するように的確に水の刃を飛ばす。
両者の放った水の刃が衝突し弾ける。だが、劉漸の放った水の刃は弾けても尚、細かな水の刃を生み出しクロトへと襲い掛かる。
これが、飛沫の特性だった。
クロトのミスとも言えるその行動に劉漸は不敵な笑みを浮かべる。
もう逃れる事は出来ない。散った水飛沫から生まれた細かな水の刃は次々とクロトへ目掛け襲い掛かった。
だが、クロトは落ち着いていた。その細かな水の刃の軌道が、その右目にははっきりと映っていた。
その為、かわすのは容易だった。
しかし、クロトはその場を動かず、また右手の甲に星型の文様が浮かび上がる。
そして、手にしていた長刀・水月が消え、またしてもその手には違う剣が現れた。
今度は両手に一本ずつの双剣。淡い碧色の美しい刀身は細く極限まで軽量化された双剣、嵐丸。名の通り、風の剣だ。
嵐丸を手にするクロトは、向かってくる水の刃に対し、腰をやや落とす。
それから、嵐丸へと魔力を込めると、
「暴風乱舞!」
と、両手に握った剣に風を纏わせクロトは荒々しく何度も振るう。
大気を裂く鋭い音が響き、細かな水の刃を次々と破壊していく。だが、結果は先程と一緒だ。
弾けた水の刃は更に細かな水の刃となり、クロトに襲い掛かる。
全くの無駄な攻撃だったが、クロトは真剣な表情でその細かくなった水の刃を見据える。
どれだけ細かくなろうとも、魔力で生み出されたその水の刃は、微弱の魔力を纏っており、それがクロトの右目にはハッキリと見ることが出来たのだ。
その為、クロトにとってはどれだけ小さな水の刃になろうとも、かわす事は可能だった。
しかし、またしてもクロトは右手の甲に星型の文様を輝かせると、嵐丸を消し違う剣をその手に呼び出す。
今度は大剣だった。真っ黒な切っ先の平らな太い刀身は重量感があるが、それでもクロトはそれを軽々と片手で振り上げる。
今までの剣とは明らかに違う鋭く斬ると言うよりも、その重量を持ってして叩き斬る事に重点を置いた剣だった。
「土の剣。黒天」
クロトはそう呟き、土の剣・黒天を静かに構える。
今更、別の剣を出してもうどうする事も出来ない、と言う確信から劉漸の表情から怒りは消え、終始不敵な笑みを浮かべていた。
当然だ。先程のクロトの攻撃により、水の刃は一層細かくなり、劉漸の放つ霧雨と同じ程の細かな刃へと変っていた。
この状態まで細かくなった水の刃を、高々一本の剣で防げるわけがなかった。
余裕を見せる劉漸の目の前で、クロトは黒天を頭上へとかざすと、大きく体を回しながらその大剣を振り回す。
大剣が風を切る野太い音だけが響き、クロトの足元には体を覆うように土煙が渦を巻く。
全く、クロトの行動の真意が読めず、劉漸は眉間にシワを寄せる。そして、その突風を嫌うようにクロトから距離をとった。
暫く黒天を振り回していたクロトは、やがて手を止め、平たい切っ先を地面へと叩きつけた。
黒天は地面を砕き、大地を僅かに揺らす。地面へと減り込む黒天は、その土へと水を滲みこませた。
「黒天は土の剣。お前の水の刃は全て吸収した」
「くっ……それが、一体なんだと言うんだ!」
クロトの行動、発言に対し、劉漸の顔からまた余裕が消え、怒りをあらわとする。
しかし、そんな劉漸の変化にもクロトは悠然とした態度で息を吐くと、地面に突き立てた黒天を静かに持ち上げ肩へと担いだ。