第203話 影
肉を裂く鈍い音が響き、鮮血が迸る。
奥歯を噛み締めるレッドの左肩に深々と長刀・桜千が突き刺さった。
「ぐっ!」
咄嗟に身を右へと傾けたが、深々と刺さった長刀は肩を貫き、切っ先を背中から飛び出させる。
上手い具合に骨と骨の合間を抜けたのだろう。
しかし、致命的な一撃を受けてしまったレッドは、表情を歪める。すると、劉漸はその肩に突き刺した桜千を引き抜いた。
それにより、傷口から血が溢れ出す。桜千の能力により、凝血を抑止する力が作用し、出血は酷くすぐに衣服は赤く染まった。
よろめくレッドは右肩を壁へと当て、噛み締めた歯の合間から熱を帯びた息を吐き出した。
左肩に激痛が走り、その指先から血が点々と零れ落ちる。
不適な笑みを浮かべる劉漸は血の付いた桜千を一振りし、壁に血を飛び散らせた。
「案外、弱いな」
「うっ……くっ……」
劉漸の言葉を、苦悶の表情を浮かべながら聞くレッドは、何も答えない。いや、答えるだけの余裕がなかった。
激痛と焦りがレッドの思考を回転させ、現在、この状況をどうすべきかを考えていた為、答える事が出来なかったのだ。
巡り巡るレッドの思考は、次々と策を閃くが、どれもこれも上手く行くビジョンが見えない。
その為、レッドの表情は一層険しくなり、苦しげに片目を閉じた。
「はぁ……はぁ……」
こうしている間にも血は止めどなく流れ、レッドの足元には血溜りが出来つつあった。
半開きの口から漏れる吐息は次第に乱れ、顔の血色は悪くなっていた。血を流しすぎて、意識がモウロウとする。
それにより、思考は徐々に鈍くなり、やがて考える事が困難となった。
思考が回らなくなりレッドは膝を落とした。
濃霧に包まれた龍馬・秋雨・葉泉・雪夜の四人は、自らの影と戦闘を繰り広げていた。
自分と同じ姿、同じ能力のその影に四人は苦戦を強いられていた。
当然だ。自分自身と同じ力を持ち、考えを持つその影の動きは自分と瓜二つだった。
「くっ! この――」
龍馬が長刀へと精神力を注ぐと、影も同じく精神力を漆黒の長刀へと注ぐ。
同じ動作、同じタイミングで二人は長刀を振り下ろす。炎をまとった二つの長刀がぶつかり合い、衝撃が広がる。
しかし、濃霧は晴れる事は無く、すぐに二人を濃い霧が覆う。
「くっそっ! 鬱陶しいな!」
龍馬は声をあげ、周囲を包む濃霧を左手で払う。もちろん、それは無意味なのだが、そうせずにはいられなかった。
そして、影もまるで龍馬のマネをするように左腕を振るう。その動きが余計に苛立ちを募らせる。
秋雨もまた、自らの影との戦いに悪戦苦闘していた。自分を知っているからこそ、戦い辛い。
ただ、影の動きから次に何を行おうとしているのか分かる為、対応はしやすかった。だが、それは影の方も同じで、どんな攻撃を仕掛けようとも、全て相殺される。
その為、精神力だけを消費し、疲労だけが蓄積されていく。
そうならない様に計算し戦いを繰り広げるが、名案が浮かぶ事はなく、膠着状態が続いていた。
(他の皆はどうなってるんだ……)
僅かに焦りを見せる秋雨は二本の刀を構えると、耳の付け根から見え隠れする小さな角を煌かせる。
それに対応するように影の方も二本の刀を構え、耳の付け根から見え隠れする小さな角を輝かせた。
同じ動作、同じ構え。次に行う事はわかっている。なら、どうするべきか、そう考える秋雨は、一つの答えに行き着く。
(ここは――裏をかいて!)
二本の刃に水を纏わせる秋雨は、体勢を低くし地を駆ける。
「静明流――」
突っ込む秋雨と同じような姿勢で、影も突っ込む。
同じ構え、同じ初動から、何をしようとしているのか理解し、秋雨は唐突に跳躍する。それは、静明流の技にはない動きだったが、影もそれを真似る様に――いや、秋雨と同じ考えのもとに、跳躍した。
(くっ!)
まさかの事態に奥歯を噛み締める秋雨は、そのまま二本の剣を振る。
もちろん、影も同じく剣を振り、空中で二人の刃が交錯し、二人の体は後方へと弾かれた。
地面に着地した秋雨の体はそのまま後方に引き摺られた。足元に僅かな土煙を巻き上げ、両手の剣を構えなおす秋雨は、眉間にシワを寄せ、真っ直ぐに影を見据える。
(やっぱり、考える事も一緒って事か……)
そう考える秋雨は、思う。
(こうなってくると、分断されたのは痛い……)
と。
そんな中、最も苦戦を強いられていたのは、雪夜だった。
接近戦が出来ず、遠距離からの攻撃が主な雪夜は、迂闊に攻撃に転じる事が出来なかったのだ。
雪夜が攻撃に転じる事が出来ない理由。それは、濃霧によって視界が遮られ、狙いが定まらないと言う事と、他の三人に流れ弾が当たってしまうかも知れないと言う事が大きかった。
その為、雪夜は影が放つ弾丸を次々と撃ち落すと言う防戦一方になっていた。
「ホンマ、鬱陶しぃわ……」
ボソリと呟き、リボルバー式の銃に弾丸を込める。そして、影を確認し、動き出しや銃口の向きから何処に弾丸が放たれるのかを予想し、雪夜は引き金を引く。
重々しい銃声が重なるように轟き、雪夜の放った弾丸は見事に影の放った弾丸とぶつかり合った。火花が散り、弾丸は弾ける。
撃鉄を親指で落とし、更に引き金を引くと、また弾丸と弾丸がぶつかり火花が散る。
もう、何度目になるだろう。
何度も何度も轟くけたたましい銃声が、濃霧に溶け込む。
(何処の音も聞こえへんちゅー事は、ウチの銃声も聞こえてへんのやろな……)
雪夜はそんな事を思いながら、遠い目で濃い霧を見据えていた。
一方、葉泉と影の戦いはとても静かだった。
どちらとも微動だにせず、ただ向かい合う。お互いの考えが分かるからだろう。最もただしい選択をしていた。
それは、争わない事。余計な体力を消費しない事だった。
相手が同じ思考を持っているならばと、そう考え武器を構えずただ真っ直ぐに影を見据える。
予想通り、影は全く動かず葉泉と同じく相手を見ているだけだった。
(やっぱり、考え方も同じって事か……)
そう思う葉泉は、目を凝らし右手で頭を掻いた。
(とりあえず、この霧が晴れるのを待つべきか……何か行動に移すべきか……)
目を細め考える葉泉は、鼻から息を吐き出す。
(秋雨と雪夜は何れ気付くだろうが……。龍馬がなぁ……)
葉泉は困った表情を浮かべる。
この影は、相手の思考を読み動き出す。故に、戦意を感じとれば、それに応じて行動し、対応するのだ。
戦意を見せなければ、今の葉泉と影の様に微動だにせず動く必要がないのだ。
しかし、動かないと言う事は、現状何も解決していない為、葉泉は深々と息を吐き、ゆっくりと腕を組んだ。
小高い場所にある屋敷の門前に、天童と剛鎧の姿があった。
天鎧の羽織っていた桜模様の描かれた羽織を羽織る天童は、腰にぶら下げた二本の刀を揺らしていた。
天鎧の羽織を天童が受け継ぎ、天鎧の桜一刀を剛鎧が受け継いだ。故に、鍛えなおされた桜一刀は、現在剛鎧の手元にあった。
静かな面持ちで町の一角を包む濃霧を見据える天童は、眉間にシワを寄せ俯いた。
「そう不安そうな顔すんなよ」
腕を組む剛鎧が相変わらずの口調でそう言い、子供じみた笑みを浮かべる。
緊迫していると言うのに、変らぬ剛鎧に天童は安堵したように息を吐いた。
「相変わらずだな」
「お前こそ、あんまり背負い込むなよ。俺らはオヤジじゃねぇーんだ。出来る事を互いにやってこうぜ」
親指を立てそう言う剛鎧に天童は呆れた様に吐息を漏らした。
そんな時だった。唐突に空間が歪み、二人の前に一人の男が現れる。長い黒髪を結った和服の男だった。その男は、ゲタを鳴らし腰にぶら下げた刀へと左肘を置き二人へと静かに笑む。
「なっ! 何でお前が!」
いち早く声を上げた剛鎧は腰の桜一刀の柄を握り、天童は予期していたのか渋い表情で呟く。
「今度は何の用だ? まさか、私達の命を奪いに来たわけではあるまい?」
天童のその発言に、和服の男は瞼を閉じ肩を揺らす。
「ああ。そうだな。今のお前達に殺す程の価値はないだろうな」
「テメェ! ふざけんな!」
和服の男の言葉に、剛鎧が声を上げるが、それを天童は制する。
「落ち着け。剛鎧。挑発だ」
「兄貴……」
「ほぉーっ。流石に、領主らしくなってきたな」
そう言う和服の男に対し、天童は静かに腰にぶら下げた刀へと手を伸ばした。
「悪いが、人の性格は早々変るものではないさ」
天童がそう言い、二本の刀を抜くと、和服の男は呆れた様に頭を左右に振り、妖刀血桜を抜いた。