第20話 同族狩りへ
クロト・セラ・ミィの三人が海賊パルの船に運ばれ二週間程が過ぎようとしていた。
船に来て三日目、クロトは目を覚ました。体に異常は無く、すぐに動ける様になった。アレだけ禍々しい炎を身に纏ったと言うのに、傷一つ無く異常すらないそのクロトの体。それを、パルは不自然に思い、同時に恐ろしさを感じていた。内に秘めたクロトの禍々しい力を。
「はぁ…はぁ……」
「今日はコレで終わりだ」
「あ、ありがとうございます」
剣を鞘に収め、クロトは深々と頭を下げた。
あの日、何も出来なかった自分が情けなく思ったクロトは、パルに頼み込み、剣術の使える者に剣の扱いを教わっていた。
クロトは脅威になると、最初パルはその頼みを断り続けていた。だが、結局クロトの誠意に根負けし、剣術を教える事を許可した。クロトと接し分かったのだ。ミィの言っていた言葉の意味を。
「ふぅ……なぁ、一体、何処に向かってるんだ?」
甲板に座り込みタオルで汗を拭うクロトは、隅で携帯を弄るミィの方に視線を向ける。だが、ミィは携帯を弄ったまま静かに答える。
「知らねぇッスよ? そう言う事は、船長のパルに聞く方がいいッスよ?」
「そっか。あれ? そう言えば、セラはどうしたんだ?」
「セラなら、食堂でお手伝い――」
ミィがそこまで言いかけた時、突然乱暴に扉が開かれる。
「クロトー!」
部屋から飛び出して来たのはセラだった。その手にはトレイを持ち、その上には大小様々な握り飯。それを見た瞬間、クロトとミィは表情を引きつらせる。
「な、何だ……せ、セラ……そ、それ」
「何って? えへへ、作ったんだよ」
「つ、作ったッスかっ」
満面の笑みを浮かべるセラに対し、表情を引きつらせ嫌な汗を掻くクロトとミィ。二人は僅かに視線を合わせると、ほぼ同時に一歩後退する。
その行動に、セラは訝しげに首を傾げ右手を唇へ添えた。
「んっ? どうしたの? ほらっ、頑張ってるクロトの為に作ったんだから」
「えっ、あっ……」
言葉に詰まるクロトにミィは軽く肘打ちを見舞う
「ほら、クロトの為に作ったんだって」
「お、おまっ!」
「ほらっ、クロト」
クロトの声を遮り満面の笑みを浮かべたセラがトレイを前へと出す。僅かに背を仰け反らし、表情をしかめるクロトは隣に立つミィを横目で見る。引きつった笑みを浮かべ、すぐに視線を逸らすミィに「おまえっ」と小さく呟いた。
「ねっ、早く食べてよ」
「お、おうっ」
急かされ、クロトはトレイに乗せられた握り飯を一つ手に取った。その瞬間、米粒がボロリとこぼれた。
「……」
手に残ったご飯の塊を見据え硬直。暫しの沈黙。引きつるミィの表情。息を呑むクロト。そして、その沈黙の最中、セラの表情が悲しげに変わる。
「ううっ……た、たべ、食べたくないならっ」
「い、いやっ! た、食べる! 食べるぞ! はぐっ――むっ!」
クロトの顔は一瞬で青ざめる。口の中に広がる甘さ。これは、いつものアレだとすぐに気付く。砂糖と塩を間違えると言う極有り触れたドジ。僅かに口を動かし、甘いご飯を飲み込む。だが、セラに悟られぬ様笑みを浮かべると、
「う、うま、美味いぞっ……」
と、静かに呟いた。
「ほ、本当?」
その言葉に真っ直ぐなセラの瞳が輝きに満ちる。その瞳に、クロトはたじろぎ、引きつった笑みを浮かべた。
「ほ、本当に美味いぞ」
「それじゃあ、もっと食べて」
「なっ……」
思わぬ言葉に息を呑み、そのトレイに山盛りにされた握り飯を目視する。クロトの目に、それは禍々しく映り、奇妙なオーラが見えた。だが、セラの澄んだ期待に満ちた眼差しを前に、クロトは決意を固めミィの方に顔を向け、
「後の事は任せる!」
と、声を上げた後、クロトはセラの持つトレイを奪い取ると、流し込む様に握り飯を口に押し込んだ。
「おわっ! く、クロト!」
「もごもごっ」
「…………クロト。男ッス」
驚くセラ。目を白黒させるクロト。そして、感涙するミィ。
そんな異様な空気の中に扉が軋みながら開かれ、パルが姿を見せる。
「おいっ。これから、行く場所について――って、どうしたんだっ? クロトは?」
「い、いやっ、何でもないッス。気にしないで欲しいッス」
目を白黒させるクロトを見て驚くパルに、苦笑しながらミィが返答すると、「そうか」と小さく呟きクスッと誰にも分からない程小さく笑った。
時は十日程遡る。
薄暗くひんやりとした一室。かび臭さと僅かに漂う異臭。
壁に埋め込まれた鎖が二つ。その先には腕が錠を掛けられ、僅かに足を浮かせぶら下がる一つの影が薄らと浮かぶ。
僅かに聞こえる水音が、その静寂を僅かに彩る。赤い液にこぼれる小さな雫が、その液に波紋を広げた。
鎖が僅かに揺らぎ、ゆっくりとその影が顔を上げる。視界の先の鉄格子を見据え、その向こうから僅かに響く足音に耳を澄ます。薄暗い廊下を僅かな光が照らし、複数の影が見えた。やがて、その光は彼の居る牢の前で止まる。
眩く揺れる松明が、その一室を照らす。鎖で繋がれるのはケルベロスだった。漆黒の髪には僅かに凝血した血がこびり付き、その体には生傷が複数刻まれ血が薄らと流れ出ていた。足元に広がるその血溜まり。そこに波紋を広げる雫が足先がら静かに滴れる。
「番犬と呼ばれる男が無様だな」
薄汚いしゃがれた声が、松明を持つ兵士の後ろから聞こえた。やがて、牢の扉が開かれ、巨体の影がケルベロスの視界に入った。そして、僅かに記憶の片隅に残っていた顔がそこに現れた。
「貴様に切られたこの腕の痛み、忘れた事はない」
「…………悪い。俺は……忘れ、かけてた」
静かに笑みを浮かべ、強気にそう告げると、その男はランスを取り出し、それをケルベロスへと突き立てた。左脇腹へと切っ先が突き刺さり、激痛にケルベロスの表情が歪む。
それでも、奥歯を噛み締め声を殺す。
だが、男はケルベロスをいたぶる様に突き刺したランスでグリグリと傷口をえぐる。血が傷口から滲み出る。噛み締めた歯の合間から血があふれ出し、それが口角を伝い零れ落ちた。
「それ以上やめておけ。コイツに死なれるわけには行かない」
静かで穏やかな妙に優しげな声がその部屋に響き、その部屋にもう一つ影が進入する。真紅のローブを纏った一つの影。深く被ったフードが顔を隠し、そいつが男なのか女なのかも分からなかった。
コイツにケルベロスはやれた。幾ら数がいようと、そこら辺に居る一般兵如きにケルベロスが捕まるわけが無かった。あの日、コイツは突然ケルベロスの前へと現れ、ケルベロスは何も出来ずひれ伏していた。何が起こったのかも理解出来ぬまま。
「き……さまっ」
奥歯を噛み締め、ソイツを見据える。そのフードから僅かに見える群青の髪が僅かに揺れ、その奥に浮かぶ鋭い眼差しがケルベロスを硬直させた。対峙した時も感じた感覚。それは、恐怖と言うモノだった。
体中の血の気が引いていき、ケルベロスの体から力が抜けた。噛み締めた奥歯が緩み、口が開かれ大量の血があふれ出す。荒々しい呼吸を続けるケルベロスに、ソイツは歩みを進め首筋に何かを刺した。
「ぐっ! きさっ――」
「安心しろ。単なる薬だ。まぁ、体には良くない薬だがな。お前にはやってもらう事があるんでな」
「うっ……うがっ……」
体が焼ける様に熱く、頭の中は何も考えられぬ程真っ白になる。やがて、ケルベロスは意識を失う。だが、その体は欲する。血を、肉を。そして、轟く。獣の様な声が。
「さてっ……これで準備は出来た。後は、彼に任せましょう。同族狩りを」