第199話 龍馬・秋雨 対 劉漸
刃と刃が激しくぶつかり合い澄んだ音が何度も何度も響く。
地を蹴る音の後、風を切る鋭い音が聞こえ、また金属音が――。
龍馬、秋雨の二人を相手に、全くの互角――いや、それ以上の戦いを劉漸はしていた。
二人の息のあった怒涛の斬撃を、劉漸は後退しながら着実に受け流す。
圧倒的な手数で攻めているはずなのに、全く持って刃が劉漸には届かず、二人は内心焦っていた。
(くっ! 何で――)
(どうして、届かない!)
二人の焦る気持ちを知ってか、劉漸は不適な笑みを浮かべ、更に後退を続ける。
まるで初めから二人など相手にしていない、そんな風に見て取れた。
それが、二人の焦り――いや、苛立ちの理由だった。
初めから分かっていた事だが、実際に相手にされないとこれ程まで腹ただしいとは龍馬も秋雨も思ってもいなかった。
だからだろう。余計に意地になり、絶対に一撃与えてやると、劉漸を追い攻撃を続ける。それが、劉漸の罠だとも知らずに――。
どれ程、攻め続けたのか、流石に二人の攻撃の手が緩くなり始めていた。
当然と言えば当然だ。攻め続ければ、それだけ体力を消耗する。それに、これだけ攻撃しても相手に一太刀も与えられないとなると、精神的にも思ってしまう。
(コイツには敵わない)
と。
そんなネガティブな思考は本人達の意思とは関係なく、確実に動きへと僅かな支障を生む。
ほんの些細な事から、徐々に徐々に二人は体を鎖で締め付けられたように動きが鈍くなっていく。
(くそっ……)
龍馬は長刀を振り抜き、堅く瞼を閉じる。すでにその刃が劉漸に届かない事を確信し――
(何で……)
秋雨は右足を踏み込んだ際に俯いた。この後、自分が両手に持つ二本の刀を振り抜いても、無意味だと諦めて――。
そんな二人の考えを呼んだか、劉漸は不適な笑みを浮かべる。だが、二人は気付かない。
何故なら龍馬は堅く瞼と閉じ、秋雨は俯いていたからだ。
一歩踏み出した劉漸は体を捻り龍馬の一太刀をかわし、続いて秋雨の一撃を桜千で受け止めた。
今までとは違う重く鈍い金属音に、龍馬と秋雨は表情を変える。
しかし、もう手遅れだった。すでに二人の間合いへと入った劉漸は次の動きへと移っていた。
瞼を閉じた事が――俯いた事が――、完全に二人の反応を遅らせ、次の瞬間、二人の体は弾き飛ばされていた。
「うぐっ!」
「がはっ!」
腹部を押さえ地面を転がる龍馬と、右肩を押さえ横転する秋雨。だが、二人の体に外傷は無い。
劉漸が桜千を振り抜こうとしたその瞬間に背後から一本の矢が飛んで来たのだ。
その為、劉漸は、長刀での攻撃をやめ、龍馬の腹部に膝蹴りを入れ、秋雨の右肩へ掌底を見舞ったのだ。
そんな劉漸の頬からは僅かに血が滲み出ていた。背後から飛んできた矢が頬を掠めたのだ。
「全く、世話の焼ける方々やなぁ」
妙な訛りの妖艶な女性の声に遅れ、
「全くだ。それでよく、天童と剛鎧の一番弟子だと名乗れるな」
穏やかな男の声が静かな口調でそう述べた。
その声に、龍馬は表情を歪め、秋雨はバツが悪そうに俯いた。
涼やかな表情をする劉漸は、左手の親指で頬の血を拭うと、静かに振り返る。
「ほぉーっ。ようやく、隊長クラスがお出ましか」
劉漸はそう呟き唇をペロリと舐めた。
そんな劉漸の前に佇むのは、現直属第二部隊隊長の葉泉と、現直属第三部隊隊長の雪夜の二人だった。
黒髪に和服、草履姿の葉泉は矢の入った筒を背負い、その手に弓を持ち鋭い眼差しを劉漸に向ける。
「さて、元・静明流の師範、劉漸。これ以上、この土地で勝手なマネをされては困るな」
葉泉の言葉に、劉漸は小刻みに肩を揺らし笑う。
「これ以上、勝手なマネを? なら、止めてみろ。お前達の力で。この俺を」
大手を広げそう口にする劉漸に、葉泉は僅かに表情をしかめる。
だが、それを、雪夜が右手で抑えた。
淡い青の長い髪を揺らす雪夜は、色っぽい着物姿には似つかわしくないリボルバー式の銃を劉漸へと向ける。
落ち着いた端整な顔立ちは大人びており、その鋭い眼光の奥に見える淡い青の瞳は闘争心に溢れていた。
「ほな、ウチから行こか?」
銃口を向ける雪夜がそう宣言すると、劉漸は握り締めた長刀・桜千を逆さにもち、その切っ先を地面へと突き立てる。
「静明流独式六の太刀。濃霧」
「なっ!」
「チッ!」
劉漸の行動からやや遅れて、葉泉は矢を射抜き、雪夜は引き金を引く。
甲高い銃声が轟き、雪夜は親指で撃鉄を下し、葉泉は背負った筒から矢を抜いた。
しかし、矢と銃弾が劉漸に届くその前に、辺りは濃い霧へと包み込まれた。
濃霧により、四人は互いの姿も、劉漸の姿も目視する事が出来なくなり、瞬時に四人は警戒心を強める。
全神経を研ぎ澄ます四人は、武器を構えて周囲を見回す。
この時、すでに四人は互いの気配すら感じる事が出来なかった。恐らく、この濃霧がなんらかの影響を与えているのだと、四人は分析する。
(何処から来る……)
長刀を握る龍馬は周囲を見回す。
(一体、何をする気なんだ……)
訝しげな表情で周囲を警戒する秋雨。
(何やろ……嫌な空気やわ……)
美しい顔の眉間にシワを寄せ、雪夜は身を震わせる。
(空気が重い……)
体に絡みつく様な濃霧に、葉泉は僅かに身を退いた。
四人とも感じていた。何か違和感を。
警戒心を強める四人に対し、濃霧の中に劉漸の笑い声が響く。
「ふふふっ……」
「何処だ!」
即座にその笑い声に反応したのは龍馬だった。
だが、龍馬のその声は他の三人には聞こえない。
その為、三人は更に違和感を感じる。
(どうしたんだ、龍馬?)
(こんな時やったら、龍馬がすぐに声をあげそうやのに……)
(龍馬が静かだと? 何があった?)
三者三様に考えをめぐらせ、不安に駆られる中、その疑問を解消するように劉漸が口を開く。
「この霧の中では、キミ達の声は届かない。何を叫ぼうが、何を喚こうが、だ」
劉漸のその言葉で、秋雨、雪夜、葉泉の三人はようやく龍馬の声が聞こえなかった理由を理解した。
だが、何故、劉漸がそんな事をしたのか、何故、視界を遮る必要があったのか、だけが分からなかった。
恐らく、何らかの理由があるはずだと、三人は辺りを見回す。
もちろん、濃霧の為、何処を見ても真っ白で何も見えない。
その中で、葉泉は一つの答えを導く。
(上手い具合に分断されたわけか……)
それに遅れ、雪夜も同じ答えに行き着く。
(声も届かへんなら、誰かがやられてしもうても、わからへんな……)
更に遅れる事数秒、秋雨も同じ事を思う。
(やはり、一人ずつ潰していくつもりなのか……)
三人がそんな答えに行き着く中、龍馬は一人怒鳴り声を上げていた。
「くそっ! 俺と戦え! 隠れてないで出て来い!」
叫ぶ龍馬は長刀を右へ左へと振り回していた。
刃が濃い霧を裂くが、すぐにまた景色は真っ白に変る。
何度も何度も、そんな事を繰り返していると、また劉漸の声が静かに響く。
「悪いが、キミ達の相手をする程、俺は暇ではない。キミ達は自らの影と永久に戦っていればいい」
劉漸のその声を引き金に、四人の前に姿を見せる。漆黒の影。
それは、明らかに自らの姿を生き写しにしたかのような影だった。
(くっ! やられた!)
そう思う葉泉。元々、ここまでが、劉漸の考えていた策なのだと、ようやく気付いた。
(しもた……ハナから、ウチらは相手やなかったんか!)
と、雪夜も自らの失態を理解する。
いや、失態と言うよりも、驕っていたのだと反省する。
龍馬と秋雨は相手にしていないが、自分達は相手にするだろう、そう思っていたのだ。
だが、劉漸はハナから葉泉も雪夜も相手をするつもりなどなかった。
あの時の“ようやく、隊長クラスのお出ましか”と言う言葉は、ここに導く為の――自分達とはちゃんと戦うんだろうと、葉泉と雪夜に思い込ませる為の策略だったのだ。
濃霧を抜けた劉漸は長刀・桜千を鞘へと納めると、静かに呟く。
「俺の求めるのは、天鎧の息子。天童と剛鎧の二人だけだ。弱者になど興味はない」
と。