第19話 ミィとパル
ゼバーリック大陸の北東沖に浮かぶ一隻の船。
高らかに海賊旗を掲げたその船の一室に、クロトは横たわっていた。あの日、パルにこの船に連れてこられ、クロトは二日も眠り続けていた。魔力を消費し過ぎたのか、時折うなされる様に呻き声をあげる。
そんなクロトを心配そうに介抱するセラ。あの日、パルの手下がセラとミィの宿泊している宿に押し入り、この船に連れてこられたのだ。最初は暴れていたが、クロトの状況とパルの説明によりセラもミィも自分の置かれた状況を理解した。それに、パルと言う人物が自分達に危害を加える事は無いと、セラは直感的にそう感じた。だから、素直にパルの言う事を聞き、こうしてクロトの介抱していた。
ミィは船長室にいた。パルと二人きりで。静かなその一室で、机を挟み向かい合う二人。口にタバコを銜えたパルは複雑そうな表情を浮かべると、右手でタバコを口から離すと煙を噴出す。
「アレは何だい一体」
ボソッと呟いたパルにミィは眉間にシワを寄せた。アレとは、先日倉庫から飛び出した生物の事だ。問いただす様な眼差しをミィに向けるパルは、もう一度口にタバコを銜えた。
パルの目を真っ直ぐに見据えるミィは小さく息を吐き静かに口を開く。
「知らないッス。自分はもうあの家と関係ないッスから」
「そう。ふぅー。それじゃあ、あんたの家は一体何をしようとしているの?」
静かな口調で問う。あの港の倉庫、それはミィの家族がやっている店の倉庫だった。だから、依頼書を見た時、これは安全だと判断した。だが、その判断は間違っていたのだと気付かされた。パルから全ての話を聞かされた。あの倉庫にあったのは奇妙な生物で、それがクロトを襲った事、そして、その生物はパル達海賊を捕らえる為に存在していた事。
拳を握るミィは、パルに深く頭を下げた。その様子に、パルは銜えていたタバコを灰皿へと置くと、
「悪かった。別に、あんたを責めるつもりは無いよ。ただ、あの家はおかしい」
「うん……自分もそう思うッス。だから、自分はあの家を……」
「そうかい。まぁ、あんたがそう言うなら信用するよ。とりあえず、今は……」
と、パルは渋い表情を浮かべ窓の外へと視線を向けた。あの時の光景を思い出す。正体不明の謎の生物の事も気になったが、パルが一番気になったのは――クロト。あの漆黒の炎。あんな禍々しい炎を見たのは初めてだった。海賊をしていれば、危険な事やヤバイモノには鼻が利く様になり、間違いなくあの炎はそう言う部類のモノだ。
それを扱うクロトと言う存在。間違いなくこの世界に悪影響を与える危険分子だと確信していた。
「ミィ。お前とは古い友人だ。だから、言わせて貰う。奴には気をつけろ。」
パルが静かにそう告げると、ミィは俯き拳を握り締めた。
ミィとパルは、幼い頃同じスラム街に暮らしていた。ここゼバーリック大陸は大商業都市と呼ばれる一方で、貧富の激しい所でもあった。商業の出来る者達は膨大な金を手に入れ裕福になり、その才能に恵まれない者達は食う物も帰る場所さえも無い苦しい生活を強いられている。
そのスラム街で、ミィは幼少を過ごしていた。その時、パルと出会い一緒に過ごした。パルはミィよりも五歳程年上で、ミィは実の姉の様に慕っており、パルも実の妹の様に可愛がっていた。ゴミを漁り、金目の物を売り、何とか生活していた。
元々、ミィは物を見る目、鑑定眼が人より僅かに良く、スラムで生き抜く為にその鑑定眼に更に磨きを掛け、ミィは今の家に養子として迎えられる事になった。ミィ自身はそれを望まなかったが、パルはミィが幸せになれるならと、その日二人は決別し今に至る。
だから、パルはミィに何があったのか知らないし、ミィもどうしてパルが海賊をしているのか分からなかった。そして、どうしてパルがそんな事を言うのか分からなかった。
「クロトもセラも良い奴ッス。自分を助けてくれたし、信じてくれたッス」
「信じる……か。口でなら幾らでも言える安い言葉だな」
「――ッ!」
その言葉にミィは顔を上げ、パルを睨んだ。あの頃のパルなら、そんな事は言わなかった。だから、信じられなかった。今、目の前にいるのが、あの頃一緒にいたパルなんだと。
「どうしてッスか! どうして――」
「七年さぁ……」
「七年?」
ミィが思わず聞き返すと、パルはタバコを口に銜え直し、眉間にシワを寄せた。
「お前とあたしが決別して七年。あたしは色々見てきた。あのスラムを出て、この大陸をただ一人で旅した。命を削りながら、傷つきながら、色んな場所を。でもね。何処も一緒。商人達が我が物顔で道を往来し、金の無い者を蔑む」
タバコを右手で離し、煙を吹く。そんなパルの姿に、ミィは渋い表情を浮かべる。
「そんなのは体に悪いッス」
「分かってるよ。けど、これを作ったのは誰だ? これを売ってるのは誰だ? 考えてみろ」
「けど!」
ミィが声を荒げるが、パルは何事も無い様にタバコを銜えた。渋い表情を浮かべたまま、ミィは静かに俯く。もうあの頃のパルでは無いのだと諦め、小さな拳を握り締めた。
僅かに肩を震わせるミィは、そのままパルへ背を向ける。
「自分は、クロトの様子を見てくるッス」
「そう。ねぇ、そのクロトって、何者?」
「異世界から来た……らしいッス」
「そう……異世界から……」
ミィの言葉に静かに呟く。
僅かに疑いを含めた眼差しをミィの背中へと向ける。異世界から来たと言う事を信じられないと言うのが本音だが、頭の中に浮かぶあの日の光景を思い出すと、確かにこの世界の力ではない何かを感じたのも事実だった。それに、ミィが嘘をつくような人間で無い事はパル自身が良く分かっていた。だから、静かに息を吐くと、
「まぁ、気をつけろ。奴は何か危険なモノを感じる」
「分かったッス。けど、クロトはパルが思ってる様な悪い奴じゃねぇって事は覚えてて欲しいッス」
「ああ。あたしも、アイツ自身が悪いとは思って無いよ。奴には何かがある。それだけだ」
「そうッスか」
ミィは静かにそう告げると、ドアノブを握りまわす。金具が軋み嫌な音が僅かに響き、扉を開くと、その背中に向けパルの小さな声が聞こえた。
「ありがとう。この一服で最後にするよ」
と、言う優しく暖かな声が。
やっぱり、パルは昔のままなんだと嬉しく思ったが、ミィはその声が聞こえなかった様に自然に部屋を出ると、軽く頭を下げて扉を閉めた。
静まり返った部屋に一人。小さく吐息を漏らしたパルは、銜えていたタバコを灰皿へと擦りつけ、胸ポケットから出したタバコケースをゴミ箱へと放った。綺麗な放物線を描き、ゴミ箱の中へと消えた。
「ミィ……あんたは、あたしが守るよ」
椅子に腰を下ろしたパルは、机の上に置いた四丁の銃を見据えそう呟いた。その瞳を悲しげに揺らしながら。