第189話 クロトとイエロ
どれ程の時間が過ぎたのか、クロトはベッドの上で静かに瞼を開いた。
ぼんやりと天井を見つめるクロトは、深く息を吐き出し右手をかざす。その手の甲を見据えるクロトは眉間にシワを寄せると、ゆっくりと手を握り締めそれを胸へと下した。
体が非常に重いし、傷口もギリギリと痛む。
二度、三度と瞬きを繰り返した後、クロトは薄らと唇を開き吐息を漏らす。
どれ程まで寝ていたのか、腰が痛い。その為、クロトは痛む体を無理矢理起き上がらせる。
傷は大分癒えているはずだが、その痛みは凄まじい物だった。
「うぐっ……」
右手で胸を押さえ苦悶の表情を浮かべる。
それ程の激しい痛みだった。
大きく肩を上下に揺らすクロトは、深く息を吐き出すと呼吸を整える。
そんな折だった。
唐突に病室の戸が勢い良く開かれ、真っ白な丸いフォルムの姿をした生物が部屋に入ってきたのは。
突然の来訪者に苦しそうな表情を浮かべていたクロトも、思わず目を丸くし驚きを隠せずにいた。
それが着ぐるみであると一瞬分らなかったが、すぐにトサカの下辺りに見える愛らしい顔に気付いた。
しかし、何故、彼女が着ぐるみを着ているのか、どうしてこの病室に来たのか分らず、クロトは困惑していた。
困惑するクロトに対し、着ぐるみを来た少女――イエロは、満面の笑顔を向けると、右翼をトサカの下へとピシャリと当てる。
「ケッコー! おはようなのです!」
「お、おはよう……ございます……」
イエロの人懐っこい雰囲気に呑まれ、クロトも思わず挨拶を返した。
一瞬、看護婦か、と錯覚するクロトだが、まさか着ぐるみを着た看護婦はいないだろうと、すぐに考え直した。
透き通る様な真っ直ぐな瞳を向けるイエロに、クロトの瞳が右往左往と泳ぐ。正直、現状を把握できていなかった。
戸惑いうろたえるクロトを他所にイエロは、ピョンピョンと跳ねながらベッドへと近寄る。
「気分はどうなのですか?」
ニコニコとした顔を向けるイエロは、何処からとも無く体温計を取り出し、クロトへと差し出す。
差し出されたため、思わずクロトは体温計を受け取った。そして、それを腋に挟み熱を測る。
クロトが熱を測っている間、イエロは鼻歌を交えながら文字通り舞っていた。
彼女が何をしたいのか分らずクロトは眉間にシワを寄せ、腋に挟んだ体温計を取り出す。
「どうなのですか? 熱は――無いみたいなのですよ」
「エッ……あぁ……はい」
狼狽するクロトに対し、イエロは体温計をしまい丸椅子をベッドの横へと置き腰を据える。
相変わらずの満面の笑みに、クロトは警戒心を強めていた。
クロトの警戒心に気付いたのか、イエロは慌てて両手を振る。
「あわわわっ! だ、大丈夫なのですよ! 私は怪しい者じゃないのです!」
そう言うイエロだが、明らかに怪しい。怪しい以外の何者でも無く、クロトは目を細める。
第一、突然着ぐるみを着て部屋に来られて、怪しい者じゃないと言う奴をそうですか、と信じる事が出来なかった。
疑いの眼差しを向けるクロトに、イエロは苦笑すると、右翼で頭を掻き首を傾げる。
「ありゃりゃ? もしかして、大分、疑われちゃったり……してるのですか?」
困った様子のイエロに、クロトは深々と吐息を漏らすと脱力する。
見た目は怪しいが、その雰囲気から敵意は感じず、右目も全く反応を示さない事を考慮し、彼女は信用して大丈夫だと判断したのだ。
肩の力を抜いたクロトは、背を丸めると静かに瞼を閉じる。気を張っていた為忘れていた傷の痛みが、今になりぶり返し表情が歪む。
「ぐっ……あぁ……」
思わずクロトがそんな声を発すると、イエロは心配そうに顔を覗きこんだ。
「大丈夫なのですか?」
「えっ? あぁ……は、はい……」
胸を右手で押さえながらそう返答したクロトは、苦笑する。
心配させてしまったと、クロトは思ったのだ。
イエロに気を使うクロトだったが、すぐに思い出す。一体、何者なんだと。
「えっ、いや、あ、あなたは誰ですか!」
クロトが声を上げると、イエロはハッとした表情を浮かべた後に胸の前でポンと手を叩いた。
「そうだったのです。自己紹介がまだだったのですよ」
ニコニコと笑むイエロの顔に、クロトはドキッとする。妙に人懐っこく、妙に子供じみたその無邪気な笑みを、幼い頃から知っている笑顔にソックリだった。
頬を赤らめ、イエロから視線を逸らすクロトは、右手の甲で口を鼻を押さえる。
何だか恥ずかしくて仕方なく、鼓動は妙に速まっていた。
しかし、イエロは気にした様子は無く、話を進める。
「私はギルド連盟の雉、イエロなのですよ」
満面の笑みでそう言うイエロに、クロトは小さく頷き、
「そ、そうですか……」
と、答えた。
すると、イエロは困った様に眉を曲げる。
「クロクロ、テンションが低いのですよ?」
「く、クロクロ?」
イエロの言葉に驚きの声を上げる。すると、イエロは明るく微笑する。
「そうなのですよ。クロクロなのです」
イエロがクロトの顔を指差しそう言う。
その言葉にクロトは目を細める。そんな風に呼ばれたことなどなかった為、多少抵抗があったのだ。
呆然とするクロトに対し、イエロはパタパタと両翼を羽ばたかせクルンと椅子を回す。
「えへへー」
「あ、あの……それで、何でそんな人がここに?」
「あぁー……うん。実はなのですねー……」
「実は……」
「特に用は無いのです」
満面の笑みでイエロがそう言うと、クロトは思いっきりずっこけた。大分、間を空け、意味深な感じだったのに、用がないとは思わなかった。
ずっこけるクロトに対し、キョトンとした表情を浮かべるイエロは、苦笑する。
「何してるのですか? 怪我人なのですから、無理しちゃダメなのですよ?」
イエロの発言に、「えぇー」と思うクロトだがそれを表情には出さず、ただただ表情を引きつらせていた。
「まぁまぁ、そんな事はいいとして、どうなのですか? 体の方は?」
「えっ? あぁ……まだ、傷は痛みますけど……」
「いえいえ。そうではなく、その……違和感とか、ないのですか?」
少々不安そうにそう尋ねるイエロに、クロトはその言葉の意味を悟り、小さく二度、三度と頷く。
「えぇ……大丈夫ですよ」
苦笑しそう答えると、イエロは「そうなのですか……」と安堵したように呟き、肩の力を抜いた。
そして、俯き加減に口を開く。
「あまり、彼を信頼するのはよくないと思うのですよ?」
「えぇ……そうですね。ただ、今回は緊急事態と言う事だったので。それに、そんなに悪い奴には思えなくて……」
クロトはイエロにそう答える。
二人の会話に出てくる彼とは、クロトの中に居るもう一つの人格の事だった。
クロトがこの人格の事を知ったのは先日の事だ。丁度、クロトがあの細身の男に闇討ちされた直後だった。
闇の中で突如、クロトに話しかけてきたのだ。最初は疑っていたが、話している内にクロトは彼を信頼した。
まだ、彼が何者なのか、クロトには分からない。
一方、イエロはおおよその見当がついているのか、その表情は一層不安そうだった。




