第184話 水
倒れた龍馬の前で、長刀を握り締める男は長い髪を左手でたくし上げ、その長刀の切っ先からは鮮血を滴らせる。
全身に血を浴び、衣服も顔も真っ赤に染まる男は、白い歯を見せ笑うとゆっくりと長刀を振り上げた。
地面に仰向けに横たわる龍馬の体からドクドクと血は流れ出す。傷は長刀の刃幅、約五センチ程の小さな傷だが、それでも、血の勢いが止まらない。
右手で傷口を押さえ、表情を歪める龍馬の口から漏れる呻き声が、男の背筋をゾクゾクとさせていた。
意識が薄れていく。血を流しすぎ、体が段々冷えていく。龍馬は思う。死ぬのだろうか、と。
そして――
(俺は、こんなにもよえぇーのか……)
と、痛感した。
強くなったと思っていた。亡き師範を越えたそう思ってきた。だが、本当はまだまだ追い越してもいなければ、並んでも居なかった。
それ程まで、差があったのだ。
悔しくて、その目からは涙が零れ落ちる。そして、左拳を握り締めた。
そんな龍馬へと男は刀の切っ先を向け、やがて一直線に切っ先を振り下ろした。
直後、銃声が轟き、男の右肩を後ろから弾丸が撃ちぬいた。
鮮血が弾け、男の体が僅かに前方へと傾いた。それにより、振り下ろした長刀も狙いが逸れ、龍馬の顔の前に切っ先は落ちる。
鈍い音をたて、地面へと刺さった長刀に体重を掛け、男は左手で右肩を抑えた。
「…………」
無言のまま男は左手を離し、その手に付着する鮮血を見据える。
その時、後方から激しい怒声が轟く。
「テメェか! クロトを斬りつけた野郎は!」
凛とした美声に男は静かに振り返った。
「お前は……」
目を凝らす男の視線の先に居たのは、露出度の高い衣服に身を包んだパルと軽装のレッドの二人だった。
鋭い眼差しを向ける二人に対し、深く息を吐き出した男は地面に突き立てた長刀を引き抜く。そして、静かに二人の方へと体を向けた。
「誰かと思えば、無能の女帝と、聖剣を奪われた勇者か……」
「誰が無能だと!」
パルは右手に握ったシルバーの銃を男の方へと向け、更に腰にぶら下げたもう三丁の銃の内、光沢のある青色の銃を取り出す。
二丁の銃を向けられるが、男は臆した様子は無く不適な笑みを浮かべた。
(な、何だ……あの余裕は……)
男の余裕の表情に、レッドは違和感を覚える。
だが、パルはそんな事、気にならない程怒りを滲ませ、右手に握ったシルバーの銃の銃口へと指を掛けた。
緊迫した空気が漂い、やがてパルが引き金を引いた。単発の銃声が轟き、弾丸が銃口から放たれる。
螺旋を描き直進する弾丸に対し、男は静かに刃を立て、その弾丸を刃の平で受け流した。
澄んだ金属音の後に火花が散り、刃が僅かに振動する。そして、男のにやけ顔がパルへと向けられた。
「くっ!」
「落ち着け! 挑発に乗っちゃダメだ!」
「私は落ち着いている!」
パルはそう声を荒げると、二丁の銃の引き金を交互に引く。
交互に二丁の銃が銃声を轟かせ、何度も跳ね上がる。しかし、男は向かい来る弾丸に対し、腰を僅かに落としその長刀へと魔力を練り込んだ。
「静明流独式四の太刀。水面」
静かに流れる様に長刀を何度も振り抜く。
刃へと弾丸が当たる度に火花が散り、刃は振動する。その振動はまるで水面に広がる波紋の様に幾重にも折り重なり、広がっていく。
やがて、パルの二丁の銃が弾丸を使い果たし、カチッカチッと音を立てる。しかし、パルはそれを宙へと放ると、腰にぶら下げたもう二丁の銃を抜き、同時にその銃口へと魔力を込めた。
「これなら――どうだ!」
銃口に集めた魔力が急速的に圧縮され、赤い輝きを放つ。
「クロスファイヤー!」
二丁の銃の引き金を同時に引くと、銃口から赤いレーザーの様に炎が飛び出し、直後二つは交錯し合い、男へと迫った。
それに対し、男は静かに笑うと長刀を下段に構えた。
「静明流独式一の太刀。飛沫」
切っ先が地面を切りつけながら一気に切り上げられる。すると、刃を覆う水の膜が飛沫を上げ、真っ直ぐに向かい来る二つのレーザーの様な炎を真っ二つに切り裂いた。
だが、それだけでは終わらない。弾け跳んだ飛沫は、無数の水の刃へと化すと、そのまま前方に居るパルとレッドを目掛け、空を滑走する。
「くっ!」
思わず声を漏らすパルは、その水の刃へと次々に弾丸を放つ。しかし、水の刃は弾けバラバラになればなる程、その水の刃を増加させ、二人へと襲い掛かる。
「うぐっ!」
鋭い水の刃が次々とパルとレッドの体を斬りつけた。鮮血が弾け、銃を構えるパルは自然と後退する。
そして、レッドも、思わず身を僅かに屈め、両腕で顔と胸を守った。
どれ程の水の刃が二人を切りつけたのか分らないが、水の刃が消え去った頃、その場には大量の血痕が飛び散っていた。
呼吸を乱すレッドとパルの二人は、静かに顔を挙げ眉間へとシワを寄せる。
(コイツ……強い!)
レッドはそう思い奥歯を噛み締め、
(このまま、また何も出来ないのか……)
と、パルは悔しげに唇を噛み締める。
完全に意気消沈する二人に対し、男は不適な笑みを浮かべると構えを解いた。
長刀を握る男の右手からは点々と血が滴れる。最初に撃ち抜かれた右肩からの出血が酷かった。それでも、これ程まで圧倒的な戦いを繰り広げていたのだ。
深呼吸を二度程繰り返した男は、やがて静かに足を進める。
「さて、お前は狩る側か? 狩られる側か?」
静かにそう尋ねる男は長刀の切っ先を引き摺りながら、パルとレッドの方へと歩む。
体を起こすレッドは目を凝らし、状況を把握し考える。武器の無いレッドには、考える事しか出来なかった。
一方、パルも静かに体を起こすと、大きく両肩を上下させながら男を真っ直ぐに睨みつける。ここで引くわけにはいかなかった。
男とパルの視線が交錯し、数秒。パルはもう一度手に持った二丁の銃へと魔力を練り、銃口を男の方へと向ける。
「雷鳴は轟き、雷火は駆ける」
二丁の銃がバチバチと雷撃を迸らせると、銃口の中で眩く雷が輝く。
「全てを焦がすは、雷の道」
銃口の中で更に魔力を増幅させる雷撃は、一層その輝きを強め、弾けた雷はパルの皮膚を裂く。
「弾け飛べ! ライトニングバースト!」
パルが同時に二丁の引き金を引く。すると、閃光と共に銃口から目にも止まらぬ雷の弾丸が放たれた。
発砲した衝撃は凄まじく、パルの両肩を突き抜け、その体は大きく後方へと吹き飛ぶ。空中で一転した後、パルの体は仰向けに地面へと落ちた。
一方、放たれた雷撃は片方が地面を抉り、もう片方は大気を裂き男へと直進する。
そして――一瞬の内に激しい爆音が轟き、雷撃が周囲へと弾けた。
木々が燃え上がり、地面が焦げる。周囲一帯から噴き上げる黒煙がその破壊力を物語っていた。
そんな中、黒煙の中心で一つの塊が蹲り、その前に長刀が地面へと突き刺してあった。あの男の持っていた長刀で間違いなく、パルもレッドもその様子に直撃したのだと確信した。
だが、次の瞬間、二人は驚愕する。
なんと、その黒い塊は静かに立ち上がると、何事もなかったかの様に体についた煤を右手で払ったのだ。
「な、何で……」
驚きのあまり、そう口にしたパルに対し、男は不適な笑みを浮かべ答える。
「静明流独式五の太刀、波紋」
男はそう言い、地面に突き立てた長刀を抜いた。
静明流独式五の太刀、波紋。これは、突き立てた刃を中心に波紋の様に水の膜を幾つも広げ、周囲一帯を攻撃する技。
これを使用し、男は雷撃を無効化したのだ。水が電気を通しやすいと言う事を利用した防ぎ方だった。
故に、男の半径一メートル程には焦げ跡一つ残っていなかった。