第183話 伝承された技
澄んだ金属音が響き、激しい土煙が舞い上がる。
弾かれた龍馬は地面に二本の線を描き、仰け反った上半身をゆっくりと引き戻す。
両腕が痺れる程の凄まじい斬撃に、龍馬の表情は強張った。
マフラーを巻く細身の男は、ゆらりと上半身を揺らすとその手に握る刃の長い刀を龍馬の方へと傾け、その目元を緩める。
「さぁ、お前は狩る側か? 狩られる側か? どっちだ?」
刃が不気味に輝き、男の漆黒のローブを風が静かにはためかせる。
息を呑む龍馬は右足をすり足で前へと出すと斜に構え、長刀を左腰の位置に構えた。
灰色の髪を揺らし、深く息を吐き出す龍馬は、意識を集中し全神経を研ぎ澄ます。
師範クラスと敵対するのは初めてだ。紅蓮流の道場では一・二度、師範と手を合わせたがあの頃は手も足も出なかった。
それも、十年程昔の事で、今では師範クラスと同等に戦える自信はある。しかし、それでも、この男の異質な雰囲気に、龍馬の直感が告げていた。コイツには勝てないと。
以前、龍馬はこの男を見た事がある。それは、バレリア大陸にある紅蓮流剣術道場に入門していた時、紅蓮流と対なる流派、静明流剣術道場と対抗戦をした時だ。その時、静明流を指導していた師範が、この男だった。
まるでその当時のままの若々しい男の姿。魔族の血は混ざっていない普通の人間のはずのこの男が何故、若々しいままなのか、魔族の赤い瞳をその目に宿しているのか、龍馬は疑問に思っていた。
剣を下段に構えたまま動かぬ龍馬に対し、男は長い黒髪を揺らし、不適に肩を揺らす。
そして、その目を見開くと、マフラーの向こうから低い声を轟かせ、走り出す。
「お前は狩られる側だ!」
低い姿勢で突っ込む男の右手に握られた長刀の先が地面を裂き火花を散らせ、土煙を舞い上げる。それでも、刃は一切欠ける事無く、左足を踏み込むと同時に、その刃が地面から飛び出し龍馬へと下から襲い掛かる。
「ぐっ!」
それを迎え撃つ様に、龍馬も長刀を振り下ろす。
重力に逆らう男の刃よりも、龍馬の方に圧倒的に分がある……はずだった。だが、結果は――
「うぐっ!」
僅かに声を漏らし、龍馬の上半身が大きく弾かれる。それでも、勢いを殺せず、足が一歩、二歩、三歩を後退した。
そんな龍馬に前傾姿勢の男は、振り上げたその腕を引き、顔の横に刀を構えると、折りたたんだ腕を伸ばし、鋭い突きを龍馬の胸へと放つ。
(ヤベッ!)
龍馬は直感する。だが、すぐに脱力すると、膝がガクンと落ち、そのまま背中から地面へと倒れ込んだ。
それにより、男の放った突きは空を切り、鋭い風音だけがその場に響き渡った。
ゼロコンマ数秒の間、時が止まり、我に返った龍馬は右へと転がり、すぐに立ち上がる。その額からは僅かに血が流れ出し、そこで初めて先ほどの突きが額を掠めていた事に気付いた。
「上手くかわしたモノだな……」
伸ばした腕を戻し、男が体を龍馬の方へと向ける。
言葉や雰囲気はとても静かだが、その身から放たれる殺気はおびただしく、龍馬は額から大粒の汗が溢れていた。
ここ数年で十分な程強くなってきたと言う自負があった龍馬だが、それでも師範を務めていた男とこれ程の差があるのか痛感させられていた。
奥歯を噛み締め、それを否定する様に龍馬は頭を左右に振る。そんな事は無い、自分ももう師範と同じ位の強さのはずだ、そう言い聞かせ、龍馬は長刀を握る手に力を込めた。
そして、その刃に精神力を込め、やがて紅蓮の炎を刃へとまとわせる。
「ほぉー……刃に炎を……。お前、まさか、紅蓮流の使い手か?」
静かな声で問う男に対し、龍馬は何も答えずゆっくりと長刀を振り上げる。柄を握る手は後頭部の位置まで振り上げられ、炎をまとう刃はその背に触れそうな程接近していた。
龍馬のその構えに、男はクスリと笑う。
「その構えは、火斬か……。ふっ……ふふっ……。いいだろう。お前に、教えてやろう。貴様の技がいかに容易く破れるかを」
男はそう言うと右足を退き、斜に構え腰を落とす。そして、顔の横へと刀を水平に構えた。
一対一に特化した紅蓮流一刀、火斬。紅蓮流を極めた者にのみ継承されるその技を、龍馬は道場を出てからもずっと磨き続けてきた。
だからこそ、この技には自信がある。絶対に相手を仕留める自信が。
その為、この男の“いかに容易く破れるか”と言う言葉に怒りを感じていた。
それが影響しているのか、龍馬の刃を包む炎は荒れ狂い、何度も炎を弾けさせる。
「やってみろよ。俺の――紅蓮流の一撃は、重い。それ程、長く、伝承されてきた」
「ふっ……伝承されてきたと言う事は、それはもう使い古し。それを、その身に教えてやる。さぁ、早く放て」
挑発するようにそう口にする男に、龍馬は奥歯を噛み締める。
「なら、見せてみろ!」
背を仰け反らせ、龍馬はその手に力を込めた。
「紅蓮流――」
その言葉を聞き、男も動く。
「静明流独式三の太刀――雫」
踏み締めた左足に力を込め、男は左腰を引く。そうする事により、右腰が前へと出、右足が自然と一歩前に踏み込まれた。同時に今度は左肩を引き、連動する様に右肩が前に出る。それにより、肩口に折り曲げ構えられていた右腕が自然と伸び、その手に握られた刀は一直線に前へと飛び出す。
それは、音も無く静かに突き刺す。
衝撃が龍馬の体を襲い、振り下ろそうとした龍馬の手はピタリと頭上で止まる。刃を包む炎だけが虚しく迸り、龍馬は驚き瞳孔を広げていた。
「どうした? 驚き声も出ないか?」
男の言葉に、龍馬は奥歯を噛み締める。
龍馬の手に握る長刀。その柄の先に、男の放った刃の切っ先が突き刺さっていた。それにより、龍馬の腕は、それ以上前へと動かす事が出来なかったのだ。
悔しげな表情を浮かべる龍馬に対し、男はマフラーを揺らし笑う。
「どんな力も、打ち出す前に止めてしまえば、どうと言う事は無い。それが、どれ程の威力を誇っていようがな。力を追求した紅蓮流は、所詮、この程度だ」
男の言葉に龍馬は何も言い返せない。実際、簡単に破られた。
だが、それでも龍馬はその場から距離を取り、もう一度精神力を集中し、刃を構える。今度は左腰の位置に中段で。
その動きに、男はもう一度笑う。
「今度は、炎陣か? 確か、アレは二刀の技だったはずだが……。そうか……変則と言うわけか」
その言葉に龍馬はうろたえる。
確かに男の言う通り、紅蓮流の炎陣は二刀、所謂二刀流で扱う技だ。両手に持った二つの剣に炎を灯し、自分を中心に回転し周囲の敵を攻撃すると言う多勢に襲われた時の技。
もちろん、これも破壊力は抜群で、回転により生み出された炎の渦で、更に多くの敵を焼き払う事が出来る。
これを、龍馬は一刀で出来る様にアレンジした変則的な構えだった。
「まぁ、いいだろう。その技も容易く、崩してみせよう」
大手を広げ、そう宣言する男に対し、龍馬は回転する。
「紅蓮変則一刀――炎陣!」
紅蓮の炎が龍馬を中心に円を描く。その瞬間、男は跳躍し龍馬の頭上へと入った。
「炎陣。自らを中心とし回転し、周囲に斬撃と炎による広範囲に渡る攻撃。だが、しかし、その中心は無防備となる」
男は不適に笑う。だが、中心が無防備になると言っても、その炎の渦により生じる高熱は皮膚をも焼く程高温だった。
もちろん、それは龍馬も同じ。故に、長く続ける事は困難な状況だった。
空中で渦により生じた風を受ける男は、その手に持った長刀の切っ先を真っ直ぐ下へと向け、やがて身を任せる様に渦に合わせた体を回転させる。
「静明流独式五の太刀。――波紋!」
青く迸る水が男の体を包む。そして、回転数を上げると、紅蓮の炎を一瞬にしてかき消し、そのまま真下にいる龍馬目掛けて、その切っ先を叩き付けた。
衝撃が地面を駆ける。土煙が柱の様に真っ直ぐに上へと噴き上がり、砕けた地面には波状の模様が男を中心に幾重にも円を描き陥没していた。
「うぐっ……」
間一髪でその一撃をかわした龍馬は、地面を転げやがて空を見上げる。右の肩口から血が僅かににじみ、その手が微かに震えていた。
舞い上がった微量の土が地上へと降り注ぎ、パラパラと小さな音を立てる。
自分が極めてきた、今まで共に強くなる為に研ぎ澄ましてきた技が、いとも容易く破られ、龍馬の心は折れかけていた。
それでも、龍馬は立ち上がり、全精神力を刃へと注ぐ。
紅蓮流で最も破壊力のある技、極炎に全てを賭ける事にしたのだ。
だが、男はその様子に肩を竦め、
「諦めが悪い奴だ。そんなに、お前の流派がいかに無能なのか、知りたいようだな」
呆れた様にそう述べた。
「黙れ! 俺は、俺は――」
龍馬の怒りに鼓動する様に刃と包む炎は火力を増し、やがて煌きだす。質の高い、良質な炎がその刃を包み込み、龍馬はその長刀をゆっくりと頭上へと構えた。
そして、男もそれに合わせる様に左足を前に出し、腰を落とし、顔の横に長刀を水平に構える。
「紅蓮大刀――」
「静明流独式三の太刀――」
二人が同時に動き出す。
だが、やはり結果は――。
「――雫!」
無音の突きが、龍馬の腹部を貫いた。振り下ろされた刃は男へと到達する前にその炎を燃やしきり、そのまま龍馬の手から離れ地面へと落ちる。
龍馬の背を貫いた切っ先から鮮血が滴れ、その体は前のめりに倒れた。