第176話 人斬り事件
朝の鍛錬を終えたクロトは、ケルベロスと共に船へと戻っていた。
白髪に褐色のケルベロスは目立つが、そのクールな顔立ちの所為か、何故か魔族と言うよりも美男子として人の目を惹いていた。
深くフードを被るクロトはそれが少々不服だった。
同じ魔族なのに不公平だと、膨れっ面のクロトは深々とため息を吐いた。
そりゃ、ケルベロスは足も長く、背も高い。顔立ちも大人びているし、何よりも切れ長の眼差しが女性を虜にしていた。
不満げに隣りを歩くクロトに、ケルベロスはポケットに手を入れ眉間にシワを刻んでいた。
「どうかしたのか?」
「いや、別に……」
肩を竦め頭を左右に振ったクロトは不意に立ち止まる。その動きにケルベロスも数歩前に進み足を止め、振り返った。
「どうした?」
ケルベロスが怪訝そうにクロトに尋ねる。
すると、クロトはその視線を右へと向けたまま、首を傾げた。
クロトの視線を向ける方へとケルベロスも視線を向ける。
その視線の先には人だかりが出来ていた。そして、その人だかりの中心には木製の立て札があった。
騒然とする人々は、その立て札に書かれた号外に不安を募らせる。号外が出る程の大きな事件でもおきたのだろうか、とクロトは目を細めた。
「何かあったのかな?」
クロトが呟く。だが、ケルベロスは興味が無いのか、小さく首を振り、肩を竦める。
「さぁな。だが、俺達には関係ない事だろ」
「うーん……まぁ、そうかもしれないけど……」
「とりあえず、ここではあまり大きな動きは出来ないんだ。下手に首を突っ込むなよ」
ケルベロスがそう釘を刺すと、クロトは目を細め苦笑する。一応、先日の件もある為、クロトも下手に首を突っ込むつもりは無い。
ただ、何があったのかを知っておくのも、大切だろうとクロトは判断する。そして、人だかりの方へと足を進めた。
「お、おい! クロト――」
ケルベロスは呼び止めたが、クロトはその制止を聞かず、人だかりの後方に佇んでいた若者へと声を掛ける。
「何かあったんですか?」
比較的、丁寧な口調でそう尋ねると、若者達は振り返る事無く静かに答えた。
「んんーっ。人斬りか……」
腕を組む龍馬がボソリと呟いた。
足元にはワラを被せられた一つの遺体が大量の血を流していた。異臭が漂わせるその遺体に、秋雨は表情を歪める。
「酷いな……」
表情を歪め、鼻と口を右手で覆い、秋雨は周囲を見回す。
周りには数人の兵が人払いの為に一定間隔を開け佇んでいた。
散乱する血はすでに凝血し、赤黒く固まっていた。所々にバラバラにされた体の一部があるが、それは、この遺体の者ではない、別も者のものだった。
「どの位、時間がたっていると思う?」
ワラを捲り絶命したその者の顔を見据える秋雨が、龍馬へと静かに尋ねる。
秋雨の問いに、龍馬は周囲に散った血の凝血具合と殺された者の腐敗具合から、冷静に分析する。
「腐敗具合から見て、深夜遅くだろうな。しかし、辻斬りってわけじゃないよな。見た所、武器の類ももってねぇーし、てか、こんな人目につきそうな所で殺すかね?」
肩を竦め、右手の平を上にして顔の横まで上げると、龍馬は小さく左右に首を振る。
この遺体のある場所は昼になれば人通りも多く人目につく場所だ。夜になれば街灯も点灯するし、決して人を襲うには都合のいい場所と言うわけではない。
片膝を着き右腕を膝の上に置く秋雨は、深く鼻から息を吐き出し、眉をひそめる。
「もしかすると、すぐに誰かに発見して欲しかった、と言う見方も出来る」
「そんな事して何の意味があるんだ? まさか、自分の力を誇示したかったって事か?」
不満げに右足へと体重を乗せる龍馬は、右手を腰にあて呆れた様に息を吐く。
「んな事すんのは、ただの馬鹿だな。こんな事して力の誇示になるかよ」
「そうじゃなく、私達に対する挑戦、もしくは挑発と、言う事も考えられる」
秋雨がそう呟き、静かに立ち上がる。その表情は穏やかだが、その目は怒りが滲み出ていた。
静かなる怒りを見せる秋雨に、龍馬は深く息を吐く。
この二人の関係性は、熱くなりやすい龍馬を冷静な秋雨が抑えると言うモノ。しかし、もう一つ二人が組まされる理由がある。
それは、冷静な秋雨が怒り暴走するのを龍馬が止めると言う事。正直、いつも冷静な秋雨がキレると龍馬以上に暴走する。
その為、龍馬は今から不安でしょうがなかった。
深く吐息を漏らした龍馬は、不意に兵達が整備する人込みへと目を向ける。その瞬間、龍馬は一人の人物と目があった。
真紅のローブを纏い、深々とフードを被った明らかに怪しい人物。しかも、その赤い瞳は明らかに魔族の表れで、龍馬と目が合うとその怪しい人物は背を向け人込みの外へと抜け出す。
「おい。秋雨」
「ああ。どうやら、あの人が何か知ってるようだ」
その瞬間を秋雨も目撃しており、怖い顔を向けていた。
「追うぞ!」
龍馬を振り返る事無くそう告げた秋雨は走り出す。すでに暴走する予兆があり、龍馬は頬を右手の人差し指で掻き、深々とため息を吐き、秋雨の後を追った。
その際、兵達にこの場を保存し、誰も近づけるな、と指示を出していた為、龍馬は出遅れた。
人込みを掻き分け、外へと抜け出したとき、すでに秋雨の姿は無い。その為、龍馬は困った様子で辺りを見回し、右手で頭を掻いた。
長い灰色の髪を激しく揺らし、大きく息を吐いた龍馬はトボトボと足を進めた。と、その時、真紅のローブを揺らす者が目に入り、龍馬は驚きの声を上げる。
「見つけたぞ! て、秋雨の奴は何やってんだ!」
龍馬の声に、真紅のローブを纏っていた者も気付き、顔を向ける。訝しげな眼差しを向けるその者に対し、龍馬は背負った長刀へと手を伸ばし、腰を落とした。
その行動にローブを纏った者は、深々と被っていたフードを右手で取る。淡い青色の髪がふわりと揺れ、その合間から耳の付け根から生えた十センチ弱の角が見え隠れする。
僅かに膨らんだ胸が弾み、綺麗な顔を真っ直ぐに龍馬に向ける。
驚愕する龍馬は長刀へと伸ばしていた手を止め、声を上げた。
「お、お前! な、何でこんな所に!」
龍馬の声に、その女性は透き通るような綺麗な声を発した。
「あなたこそ、どうしてこんな所に? たしか、現在は直属部隊の隊長を任されていると聞きましたが?」
「俺は任務でここに居る! てか、八会団のあんたがこんな所に居ていいのか? エルド」
鋭い眼差しを向ける龍馬に対し、エルドと呼ばれた女性は深く息を吐き出す。そして、軽く肩を竦めると、ジト目を龍馬へと向ける。
「私は八会団として面会に。まぁ、取次ぎは取れませんでしたが」
エルドの声に龍馬は訝しげな眼差しを向ける。警戒しているのか、決して間合いを詰めようとせず、一定の距離をとっていた。
その頃、秋雨は町を抜け、林へと足を踏み入れていた。
目の前には真紅のローブをまとう人物の姿あり、秋雨はそれを見失わないように必死に走っていた。
やがて、開けた場所へと出ると、そこにローブを纏った者が仁王立ちし、待ち受けていた。
その人物の殺気に、秋雨はすぐさま足を止めその場を飛び退く。すると、その瞬間に先程まで秋雨の足が置かれていた地面を鋭く刃が切りつけた。
火花が散り、地面に深く刻まれる切れ込み。僅かに土煙が舞い上がり、砕けた刃が宙へと舞う。
地面の上を滑るようにし動きを止める秋雨の足元には、僅かに土煙が舞い上がった。
折れた刃の先が、地面へと突き刺さり、ローブをまとうその男は、首に巻いたマフラーを左手で上げ、口元を隠す。そして、右手に持った折れた剣を投げ捨てた。
その男の行動に、姿勢を低くする秋雨は両腕を交差させ、腰にぶら下げた四本の刀の内、二本の刀を握り締める。
空気が張り詰め、今にも開戦するのではないかと思わせる程の緊迫感が辺りを支配していた。
静けさに包み込まれ、吹き抜ける風により木々がざわめいた。
そんな中で、秋雨は静かに尋ねる。
「貴様か、あの人を惨殺したのは」
秋雨の言葉に対し、ローブをまとう男は右腕を右斜め下へと伸ばし、その手の中に一本の剣を呼び出す。
その行動に敵意があると判断し、秋雨も静かに二本の刀を抜く。鯉口に刃が擦れ、嫌な音を奏で僅かに火花が散る。
二本の刀を構えた秋雨に対し、マフラーで口元を覆う男は、くぐもった声で言い放つ。
「俺は狩る側。アイツは狩られる側。お前はどうだ? 狩る側か? 狩られる側か?」
そう言うと、男の瞳が赤く染まる。そして、おびただしいほどの禍々しい魔力が全身から迸った。