第173話 激怒するパル
船へと戻ったクロトは、早速パルに怒鳴られていた。
「お前は馬鹿なのか! もっと周りの事を考えろ! 状況を把握しろ! 何を考えてるんだ!」
畳み掛ける様に激しい言葉を浴びせるパルに、クロトは背を丸め俯いていた。
自分が悪い事は理解している為、クロトは何も反論しない。いや、正確には出来ない。
その為、ただ黙ってパルの説教を受けていた。
鳴り止まぬパルの怒鳴り声に、ミィは両手で耳を塞ぎ目を細める。久しぶりに激怒している姿を目にし、ミィは深くため息を吐いた。
「もし、龍馬や秋雨と知り合っていなければ、お前は討伐の対象になっていたんだぞ! 分っているのか!」
「は、はい……」
「これ以上、問題を起こすな! ただでさえ、海賊って事で、目をつけられているんだ!」
パルはそう怒鳴ると腰に手をあて、息を吐いた。そして、左手で頭を抱えると、小さく頭を振る。
「とりあえず、今日はもういい。私は疲れた。寝る! もう、騒ぎは起こすな! いいな!」
パルは最後にそう怒鳴り、長い黒髪を揺らして船長室へと戻っていった。
心が折れそうな程、ボロクソに言われたクロトは、暫くその場を動けなかった。
今はそっとして置くのがいいだろうと、誰もクロトには近づかない。それ程、クロトの落ち込みようは酷かった。
立ち直るまでに、どれ位の時間が過ぎたのか、クロトが動き出したのは夕刻になった頃だった。
よっぽど堪えたのか、クロトは壁に背を預け、肩を落とす。それから、二度、壁に頭をぶつけ、もう一度深く息を吐き出した。
「大丈夫ッスか?」
恐る恐るクロトへと歩み寄ったミィが、そう声を掛ける。とても、声を掛け辛い状態だったが、勇気を出し声を掛けた。
しかし、クロトの反応はイマイチで、あぁーと、間抜けな声を上げる。
あまりにも悲惨なクロトの状態に、ミィはどうしようもないな、と右手で頭を掻いた。朱色の髪を揺らすミィは、右肩を落とし目を細める。
そんな重い空気の中、のん気なレッドの声が響く。
「あれ? どうしたんですか? 暗いですよ?」
空気など読まぬ爽やかなレッドの笑顔に、ミィは苦笑する。流石に、空気を読めよ、と言いたげなミィの視線には気付いたのか、レッドは首を傾げる。
「な、何ですか?」
「いや、な、何でも無いッス……」
無頓着なのか、それともワザとなのか分らぬレッドのその行動に、ミィは頭を左右に振った。
木刀を二本手に持つレッドは、右手に持ったものを肩へと担ぐと、もう一方をクロトの方へと差し出す。
レッドの突然の行動に、クロトは訝しげにその顔を見上げる。
すると、レッドは笑みを浮かべ、
「気分転換に、手合わせでもしませんか?」
「手……あわせ?」
眉間にシワを寄せ、クロトがそう聞き返すと、レッドは小さく二度頷き、
「えぇ、どうですか?」
と、微笑む。
微笑まれても、と思いながら、クロトは困惑気味に差し出された木刀を手に取った。手合わせを了承したわけでは無く、とりあえず受け取っておこうと、言う考えだった。
しかし、レッドはそれを了承だと判断し、距離を取り木刀を構える。
甲板は珍しく人が居らず、静かだった。そこに佇むレッドへと、クロトは目を丸くする。
今、どう言う状況なのか、どうなっているのか、イマイチ理解できず、挙動不審なクロトに、レッドは赤紫の髪をサラサラと揺らし声を上げた。
「さぁ、やりましょう! クロトと手合わせするのは初めてですね」
すでに手合わせする事が決定事項の様に述べるレッドに、クロトは未だに状況が把握できず、ミィへと顔を向けた。
ミィもあまりの話しの流れについていけず、肩を竦める。
木刀を握ったまま座り込むクロトに、急かすようにレッドは声を張る。
「何してるんですか! 早く始めましょう!」
「えっ、あっ……はい……」
もう断る事が出来る状況では無いと、クロトは渋々と立ち上がる。すると、ミィがその肩を掴み、クロトの耳を口元へと引き寄せた。
「魔力は禁止ッスよ? 船を破壊されちゃ困るッスから!」
「わ、分かってるよ……」
ミィの忠告に、クロトは静かにそう呟き、鼻から息を吐いた。
ミィに言われなくても、魔力を使う気なんて無い。幾らレッドが勇者と呼ばれていても、魔力を使って手合わせをしたら大惨事になる。そうなるのは避けようとクロトは深く息を吐き出し、肩の力を抜いた。
一歩、二歩と歩みを進め、クロトはレッドと対峙する。船員達はパルの怒鳴り声を聞き、船に居るのは危険だと、町の酒屋に行った為、見学はミィのみ。
ケルベロスは何処に行ったのか、船に姿はなかった。
静かな空間に潮風が静かに吹き抜け、僅かな波で船が揺らぐ。
「行きますよ?」
レッドが静かに告げ、クロトは二度、三度と頷き、
「ああ」
と、渋々と答えた。
すると、レッドは唐突に真剣な顔つきへと変り、静かに甲板を蹴った。
音も無く駆けるレッドの動きに、完全に油断していたクロトの反応は遅れ、簡単に間合いへと入られる。
「うっ!」
表情を引きつらせ、クロトの左足が半歩下がった。そして、レッドの攻撃を防ぐ為に、防衛行動へと移る。
低い姿勢で間合いに入ったレッドは、両手に握り締めた木刀を右側床スレスレに構える。踏み込まれた左足のつま先が外へと向かい、捻られた腰は左肩を外へと回すと自然と円を描く様に回転し、木刀を横一線に振り抜いた。
甲高い衝撃音が響き、クロトの木刀が腕ごと弾かれる。
「ぐっ!」
大きく頭上へと伸びる右腕の筋が軋み、背筋が伸び自然と上体は仰け反った。
(な、何だ……この力……)
表情をしかめ、クロトは右目を閉じ左目でレッドを見据える。
いつもの穏やかレッドの眼差しは無く、鋭く殺気立った眼がクロトを睨む。
「僕も、大分馬鹿にされてますね。本気で相手をしてもらえないなんて」
静かなレッドの声に、クロトは身の毛もよだつ。それ程、レッドの声が静かで恐ろしくクロトの耳に届いたのだ。
その瞬間に、クロトは反射的に左拳を握り、魔力を練りこむ。
「クロト! ダメッス!」
ミィが瞬時に叫ぶが、クロトは止まらない。
練りこんだ魔力が発火し、左拳を赤黒い炎が包む。そして、クロトの左拳は振り抜かれ、レッドの右頬を殴打した。
鈍い打撃音が響き、レッドの上半身が弾かれる。衝撃により体は後方へと吹き飛び、クロトとレッドの間に距離が開いた。
「はぁ……はぁ……」
息を乱すクロトは、瞳孔を広げる。一瞬だが、本気で殺されると直感した。その為に自己防衛本能が働き、今の一撃を繰り出したのだ。
殴られた事により、捻られた首を戻すレッドの右頬は僅かに黒焦げ、黒煙が漂っていた。だが、外傷は殆ど無く、レッドはすぐに木刀を構えなおす。
一方、クロトも左拳に灯した赤黒い炎を消し、弾かれた右腕を戻し木刀を構えた。
いつしか、クロトの表情は真剣なものへと変り、鋭い眼差しをレッドへと向ける。
「な、何してるんスか! 魔力はダメだって――」
ミィがそう声を上げるが、もうクロトにもレッドにもその声は届かない。それ程、二人は集中していた。
二人は静かに息を吐き出し、やがて駆け出す。
両手で握った木刀を右腰の位置で構えたクロトは、木刀に魔力を注ぐ。
一方、レッドも同じように右腰の位置に木刀を構え、聖力を木刀へと纏わせる。
「焔――」
「ホーリー――」
二人の視線が交錯し、高らかに声を張る。
クロトの木刀を赤黒い炎が包み、レッドの木刀を眩い光が包む。
「――一閃!」
「――スラッシュ!」
両者が同時に左足を踏み込み、体重をその指先へと乗せ、腰に構えた木刀を横一線に振り抜いた。
赤黒い閃光と眩き閃光がぶつかり合い、周囲へと更に強い輝きを広げる。
遅れ、両者の技と技のぶつかり合いによって生じた激しい爆音が轟き、船を大きく傾け水柱が噴き上がった。
船首と船尾が交互に大きく上下に揺らぎ、海は激しく波立つ。
よろめくミィは何とか手すりに掴まりその場に踏み止まり、二人を見据える。
振り抜かれた二人の木刀は根元から折れ、クロトの木刀の先は燃え尽き炭となり、レッドの木刀の先は光を失い甲板へと二度三度とバウンドし転がった。
「はぁ……はぁ……」
「ふぅー……ふぅー……」
二人の荒い呼吸音が僅かに聞こえる。
これが、二人の本気なのだと、ミィは息を呑み、目を見開いていた。
直後、船室のドアが激しく開かれ、乱れた髪のパルが甲板へと飛び出す。
「テメェーら! 人の船で何してやがんだ!」
怒声と共に放たれた鉛玉がクロトとレッドの足元に正確に撃ち込まれ、二人は慌てて両手を上げた。
「ご、ごめん!」
「す、すみません!」
二人して瞬時に声をあげ、持っていた木刀の柄を投げ捨てた。
そんな二人を不機嫌そうに睨みつけたパルは、言うまでも無く、激しい罵倒を小一時間程浴びせた。