第169話 魔法石
夕刻頃、クロトは船へと帰還した。
静かな波の音が響き、潮風が吹き抜ける穏やかな夕刻だった。
船上で談笑する船員達は、酒を酌み交わし賑わっている。
そんな中、不貞腐れた様に甲板で胡坐を掻くセラは、その手に魔力を集中していた。
エメラルドに教わった魔力コントロールの修練方法を行っていた。
指先に宿す光は赤・青・黄・緑・橙と、全て拮抗した光の強さを維持し、それを胸の前でゆっくりと合わせる。
両手の指先に集まった魔力は反発する事無く溶け込むように合わさると、更に光の強さを強めた。
安定した魔力コントロールをこなすセラだが、その表情は浮かない。
常に眉間にシワを寄せ、頬はやや膨れていた。
それでも、完璧に魔力をコントロールしているセラに、ミィは危なげに手すりに腰を据え驚いていた。
「ほへぇー。セラて、ホントに魔力使えたんスね」
「んんっ……」
不満そうに返答するセラに、ミィは苦笑し朱色の髪を揺らし頭を掻いた。
クロトが船に戻ってきてからずっとこの調子だった。
何が不満なのかは分かりきっている。
クロトが船に戻るなり、パルパル、とパルの名前を連呼しながら船長室へと走っていったからだ。
しかも、「おかえりー」と声を掛けたセラを無視して。
だからこそ、セラは不機嫌だった。
膨れっ面で魔力をコントロールし続けるセラに、ミィがため息を吐いたその時、
「ふざけるな! 出航など出来るか!」
と、穏やかな空気を裂くパルの激しい怒声が轟いた。
その声に驚き、手すりから転げ落ちそうになるミィは、膝裏でギリギリ手すりに捉まり、海に転落するのを免れていた。
逆さづりにされ肩口まで伸びていた朱色の髪を逆立てたミィは、両手を胸に当てホッと息を吐き出す。
「だ、大丈夫ですか?」
丁度、港で情報収集をしていたレッドが、そんなミィを発見しそう尋ねた。
すると、逆さづりのままミィも半笑いで、
「へ、平気……ッス」
と、答えた。
それから、少し遅れ、手すりの向こうから慌てた様子のセラの声が響く。
「だ、だだ、だ、大丈夫! い、今、ひ、引き上げるから!」
セラの慌ただしい声に、ミィはホッと息を吐き出し、顔を上へと向け、
「早くお願いするッス。自分、頭に血が上りそうッス……」
と、言うと、レッドが腕を組み提案する。
「それなら、僕がこっち側からキャッチした方が早いのでは?」
しかし、今の状況のミィには冷静に考えて答えるだけの余裕は無く、
「ど、どっちでもいいッス! 出来れば早くお願いするッス!」
と、ズレ落ちそうになる服の裾を両手で引き上げ、そう声を荒げた。
その後、数分を掛け、セラがミィを船へと引き上げた。
甲板に腰を落とし呼吸を荒げるセラと、顔を真っ赤にするミィ。
そんな二人の下へとゆっくりとした足取りでレッドがやってきた。
「いやー。大変でしたね」
「た、た、たい、大変……じゃ、じゃな、じゃなくて……」
呼吸を乱すセラの途切れ途切れの言葉に、レッドは苦笑する。
何となく言いたい事が分かったのだ。
もっと早く来て、手伝って欲しかった、と言う所だろう。
困り顔で頬を掻くレッドは、そんな恨めしそうなセラの眼差しから逃げる様に顔を背け、思い出したように尋ねる。
「そう言えば、さっき聞こえたのはパルさんの声みたいでしたけど、何かあったんですか?」
その言葉に、一瞬にしてセラの表情がむくれ、唇を尖らせ黙り込んだ。
あからさまに不貞腐れるセラに、レッドは小首をかしげ、ミィへと視線を向ける。
そんなレッドの眼差しにミィは引きつった笑みを浮かべた。
「あぁー……うん。気にしないで欲しいッス」
困ったようにそう呟いたミィは、右手の人差し指で頬を掻き、ガックリと肩を落とした。
状況がイマイチつかめず、レッドは怪訝そうに眉をひそめ、鼻から息を吐いた。
暫くの後、クロトがドンヨリとした空気を漂わせ、甲板へと姿を見せる。
怒鳴られた後、何を言われたのか、クロトは肩を落とし完全に凹んでいた。
「何をやらかしたんスか?」
凹むクロトへとトテトテと歩み寄ったミィが満面の笑みを浮かべ尋ねる。
その問いにクロトは深々と息を吐き出すと、左手で頭を掻いた。
短い黒髪を僅かに揺らすクロトは、もう一度深々と息を吐き出し、肩を落とす。
「あぁー……」
「な、なんスか? 落ち込みすぎッスよ?」
「うーん……それがさぁー……」
クロトは目を細め、そう呟き船長室でのやり取りを詳しく説明した。
事の次第は、昼間の事。
鍛冶屋の主人に課せられた条件の事だ。
その条件は、クロトの魔剣を打ちなおす為に必要な材料、すなわち、魔法石を一週間以内に集めて持ってくる事だった。
しかも、最上級の魔法石を五つも。
魔剣は、五つの属性を持つ魔法の剣。
故に、五つの属性の魔法石が必要となるのだ。
その魔法石を手に入れる為、船に戻ったクロトは出迎えたセラを無視し、船長室に居るパルの下に向かったが、この条件を告げた結果が、あの船内から轟いたパルの怒声だった。
事と次第を理解したミィは、呆れた様に右手で頭を抱え、聞き耳を立てていたレッドもただただ苦笑していた。
イマイチ、状況の理解出来ないセラは、トボトボと控えめな足取りでクロトとミィの所にやってくると、小さな声で尋ねる。
「あ、あのさぁ、どうしてパルは怒ったのかな? 魔法石なんて何処にでもあるモノでしょ?」
セラの言葉に、クロトも腕を組み大きく頷いていた。
セラと同じ事をクロトはパルに言ったのだ。
だが、その瞬間、「お前はバカなのか!」と言われ、その後グチグチと今回の件とは関係ない事まで文句をぶちまけられた。
その事を思い出したのか、腕を組んでいたクロトはまた大きく肩を落とし、重苦しい空気を漂わせる。
落ち込むクロトを一旦無視し、ミィはセラの方に体を向け、パルが怒った理由を説明した。
「パルが怒った理由は、一つッス。明らかに時間が足りないって事ッス」
「時間が足りない? どう言う事?」
「まぁ、魔法石にもランクがあって、低級や中級の魔法石なら恐らく、ここクレリンスにもあると思うッスけど……」
「けど?」
少々言い辛そうなミィに、セラがそう繰り返すと、後ろで話を聞いていたレッドが静かに口を開いた。
「ここ、クレリンスには基本的に鉱山が無いんです。故に、魔法石や鉄鋼と言った鉱物は輸入しているんですよ」
「へぇー……そうなんだー」
納得した様に頷くセラに、レッドは「そうなんですよ」と穏やかに答えた。
それに、ミィが複雑そうに眉間にシワを寄せ付け加える。
「ちなみに、鉱物を多く所有しているのはゼバーリックで、最上級の鉱物が採れるはゼバーリックなんスよ」
「へぇーじゃあ、ゼバーリックに行けば、最上級の魔法石が手に入るの?」
「うーん。それは難しいッスねー。そもそも、簡単には譲ってはくれないと思うッスよ?」
「えっ? どうして?」
純粋な眼差しを向けるセラに対し、困った様に頬を掻くミィは商人として厳しい口調で答える。
「最上級の魔法石って言うのは、本当に一握りしか無い貴重な物なんスよ。自分達みたいな一般人じゃ絶対に手の届かないそれはもう高額な値段で取引されてるッス。買えるとしたら、一国の主とか、巨大ギルドとか、貴族とか、選ばれた者だけなんス!
パルもこの事を理解してるからこそ、怒ったんスよ?」
腰に左手をあて、右手を軽く振りながらそう言うミィを見据えるセラは、キョトンとした表情を浮かべた後、首を傾げ、
「じゃあ、創ればいいんじゃない?」
「創るって何をッスか?」
「最上級の魔法石?」
「何で疑問詞なんスか?」
「うーん。気分?」
右手の人差し指を立て、頬に当てるセラに、ミィは目を細める。
それから、肩を竦め、
「大体、魔法石を創るなんて事は人には無理ッスよ。魔法石は自然に――」
「違うよ? 魔法石って言うのは高質な魔力を練りこんで生み出させるものなんだよ?」
「へっ?」
セラの言葉にミィもレッドも、クロトまでもが目を丸くする。
そんな三人にセラは自信満々に説明する。
「確かに、魔法石には天然のモノもあるけど、あれも基本は同じだよ? 自然から生まれる魔力が集まって結晶化したのが、魔法石なんだよ。だから、魔族――特に魔人族は生み出そうと思えば魔法石を創れるんだよ」
エッヘンと胸を張り堂々とするセラの姿に、三人は呆然とする。
「は、初めて、セラが賢いって思った……」
クロトがそう呟くと、ミィも小さく頷き、
「じ、自分もッス」
と、その意見に賛同する。
だが、その言葉がセラは不満だったのか、右頬を膨らませ、
「むぅーっ。私、これでも頭は良い方なんだよ? 確かに、ちょっとドジだし、世界の事とか殆ど知らなかったけど……一応、一国の姫だし、ちゃんと勉強してるんだから」
と、二人に反論した。