第161話 砕かれた魔剣 奪われた聖剣
港を出港し、一週間が過ぎた。
風も波も穏やかな静かな航海だった。
船の揺れも無い為、クロトも船酔いせず何とか今日もノルマの鍛錬を終え、汗だくで甲板へと出た。
甲板では忙しなく厳つい船員達が走り回っていた。
航海は順調なのに、何故そんなに慌ただしく動き回っているのか。
その疑問の答えは――。
「皆、相変わらず凄い働き者だよねー」
甲板でミィと立ち話をするセラが笑顔でそういうと、その言葉に船員達の顔は緩み、「あいあいさーっ!」と野太い声を張り上げる。
彼らがこれ程までやる気に満ち溢れているのは、恐らくこの船にセラが居るから。
パルは綺麗だが、船員達にとっては怖い存在で、ミィは彼らにとっては幼すぎる。
それ故、セラの存在と言うのは癒し的な存在になるのだ。
タオルで汗を拭うクロトは、現金な彼らの姿にただただ苦笑する。
そんな折、クロトの背後からレッドが顔を覗かせ、
「やぁっ! クロト!」
と、爽やかな声を響かせた。
神出鬼没のレッドの声に肩を大きく跳ね上げたクロトは、瞬時に反転し右手で胸を押さえ呼吸を荒げる。
クロトのあまりの驚きっぷりに苦笑するレッドは、その赤紫色の髪を掻いた。
「な、何だよ? そんなに驚く事無いだろ?」
「い、いや……。驚くって……」
クロトの心臓はまだドギマギしていた。
そんなクロトの気持ちなどさほども理解していないレッドは、頬を右手で掻き「そうかな?」と小首を傾げる。
「それにしても、ばっさり切りましたね?」
レッドがそう言い、クロトの頭を見据える。
出航時、大分伸びていた髪は、これでもかと言う程短髪にされ、額が見える程前髪も短くされていた。
レッドのその言葉に苦笑するクロトは、持っていたタオルを頭に被せ、逆立つ短く整えられた黒髪を乱暴に掻き毟った。
正直、この事に関しては触れて欲しくない所だった為、クロトの表情はやや引きつっていた。
クロトがこんな短髪になったのはつい一週間前、出航して直後の事だった。
ミィがパルに頼み込み、クロトは散髪してもらう事になったのだが――。
それは、もう大変な事だった。
本当に散髪をした事があるのか、と言う位ハサミを持つ手は震え、妙にパルはテンパっていた。
そんなパルに任せたのが間違いだった。
気付いた時には、クロトの髪はこの様なありさま。
別に髪にこだわり等あったわけじゃない。
あったわけじゃないが、ここまで短髪にしたのは初めてで正直まだこの髪型にはなれていなかった。
だから、悪気が無いレッドの言葉にすら悪意を感じてしまっていた。
凹んでいるクロトに対し、レッドは困った様に右手で頭を掻き、
「どうかしたかい?」
と、相変わらずの爽やかっぷりをアピールする。
そんなレッドに苦笑するクロトは、深くため息を吐いた。
そんな折、不意にクロトは気付く。
「アレ? そう言えば、聖剣はどうしたんだ?」
いつもレッドが背負っていた聖剣がそこにはなかった。
再会した時から薄々違和感を感じていたのだが、それが今まで何なのか分らなかった。
その答えがようやく分り、クロトが不思議そうな表情を浮かべる。
すると、レッドは苦笑し、困り顔で頭を掻いた。
「いや、それが……」
言い辛そうなレッドに、クロトは首をかしげた。
「う、奪われた!」
クロトが驚きの声を上げると、レッドは
「はい、そうなんですよー」
と、困った笑顔で答えた。
呆然とするクロトは、呆れた様に大きなため息を吐くと、右手で額を押さえる。
「え、えっと……ご、ごめん。もう一回確認するけど……聖剣を奪われたんだよね?」
「ああ。奪われた。完全に油断していたよ」
レッドがそう言い、僅かに表情を曇らせた。
父から受け継いだ聖剣を奪われたのは、やはりショックだったのだろう。
クロトも実際、魔剣ベルを失いショックは大きかった。
だから、レッドの気持ちが痛いほど分かった。
しかし、レッドは務めて明るく、爽やかな表情で笑う。
「まぁ、今回の件で思い知らされましたよ。僕はまだまだ弱いって事が」
「そっか……。悪い。変なこと聞いて」
「いえいえ。どちらにせよ、レーヴェスは取り返しますよ」
そう満面の笑みで答えた。
レーヴェス。
聖剣でありレッドの相棒。
何故、それを奪ったのかはわからないが、レッドの目は見据えていた。
レーヴェスを取り返す未来を。
そんなレッドに触発されたのか、クロトはその場に召喚する。
「来い。ベルヴェラート」
と、砕けボロボロになった魔剣ベルを。
魔剣のその姿にレッドは表情を険しくする。
「ど、どうしたんですか? これは?」
驚くレッドにクロトは深く息を吐き、肩を竦めた。
「この前の大戦で砕かれた……。ベルは俺を逃がす為に戦って……」
眉間にシワを寄せ悔しげな表情を浮かべるクロトに、レッドは目を伏せる。
「そう……ですか……」
正直、なんと言っていいのか分からなかった。
この状況だと、恐らく直すのは不可能だろう。
そう考えた為、レッドは複雑だった。
もし、レーヴェスがこんな状況になったら自分はどうだろうか、今のクロトの様に普段どおりに振舞えるだろうか、と思う。
そんなレッドの気持ちを悟ったのか、クロトは魔剣を消すと半笑いを浮かべ頭を掻いた。
「何か、しんみりしちゃったな。悪い」
「いえ……。それより、これからどうする気ですか? その魔剣は?」
そう尋ねるレッドにクロトは腕を組み深く息を吐いた。
「まぁ、次に行く場所は凄腕の職人が多いって聞くし、とりあえず、直せないかどうか見てもらうよ」
笑顔でそう言うクロトに、レッドは伝える事が出来なかった。
もうその魔剣を直す事は不可能だと。
一人別室で精神統一を行うケルベロスは、不意に瞼を開いた。
と、同時に部屋の扉が開かれ、相変わらず露出の激しい格好のパルが静かな足音を響かせ部屋へと入ってきた。
ショートパンツから伸びる細く長い脚には茶色のブーツを履き、腰に手を当てるパルは、福与かな胸を僅かに弾ませケルベロスへとジト目を向ける。
静寂の中で、二人の視線が交錯した。
眉間にシワを寄せるケルベロスは、何も言わず佇むパルへと、低い声で尋ねる。
「何の用だ?」
「別に……」
白髪の合間から覗く赤い瞳を見据え、パルは静かにそう答える。
長い黒髪が揺れ、パルは右手で右耳を触り、ふっと息を漏らす。
何を考えているのか分らず、不快そうな表情を浮かべるケルベロスに、苛立ちが見え、ゆっくりとパルは口を開く。
「あんた、何を隠してるんだい? そもそも、人が急激にそんな髪色になるとは思えないんだけどねー」
胸を抱き上げる様に腕を組むパルがそう言い、あからさまな疑いの眼差しを向ける。
その眼差しにケルベロスは右の眉をビクッと動かし、小さく舌打ちをした。
「お前には関係――」
「まぁ、私には関係ない事だけど……クロトやセラには関係ある事だろ? 何故、そんな頑なに隠すんだ?」
ケルベロスの声を遮り、パルがそう言う。
その言葉にケルベロスは一層不快そうな表情を浮かべた。
その目は明らかにお前に言われなくても分っていると言いたそうな目だが、パルはその眼差しへと冷ややかな眼差しを向ける。
「その表情だと、分っていないみたいだな」
「何をだ?」
「薄々気付いてるぞ。クロトは、お前の事」
パルに言われなくても分っていた。
その為、ケルベロスの表情が確実に曇った。
パルよりも長くクロトと居るのだから、クロトがどう言う事を考えているのか分っているつもりだ。
だからこそ、ケルベロスは複雑そうな眼差しで呟く。
「分かってるさ……そんな事……」
と、静かな口調で。