第159話 レッドとパル
「全く、驚いたッス」
一段落着き、ミィがそう呟いた。
相変わらず、店内は静かなメロディーが鳴り響いていた。
仏頂面で腕を組むケルベロスは、不満げに鼻から息を吐くとそのまま窓の外へと目を向ける。
その対面に座るセラは半笑いでその光景を見据え、その隣りでミィは空っぽのパフェ用の皿を見据えていた。
その対面にはクロトがケルベロスと大分距離を開け座っていた。
吐息を漏らすミィはスプーンを置くと、朱色の髪を僅かに右へと流し、首を傾げる。
「暫く見ない間に大分、変った様に見えるッスけど、何かあったんスか?」
僅かに目を細め、眉間にシワを寄せ尋ねるミィに、クロトはただただ苦笑する。
隠す必要は無いが、特別言う必要も無いだろうと、クロトは軽く手を振った。
「いや、別に何にも無いよ」
「そうッスか?」
ミィはチラッとケルベロスへと目を向けた。
何故だか、クロトとケルベロスの間に亀裂の様なモノが見えた気がしたのだ。
しかし、それは自分の勘違いだろうと、ミィは首を左右に振り、ニコッと笑った。
「それならよかったッス。けど、ケルベロスの老化にはホント驚いたッス」
「だよねー。私も最初見た時は誰かと、思ったよー」
ミィとセラが顔を見合わせ「ねぇー」と笑いあう。
その光景をクロトは笑顔で見ていた。
心の底からではない取り繕った笑顔で。
一方、ケルベロスは全く持って関せず、何も言わず外を眺めていた。
和む空気の中、クロトはふっと息を吐くと、唐突に表情を引き締め尋ねる。
「それで、本題に移るけど、俺達を待ってたってどう言う事だ?」
真剣な眼差しを向けるクロトに、ミィは椅子に座りなおすと小さく頷き、
「そ、そうッス。クロト達の足が無いだろうって、レッドに言われて……」
「えっ? レッドも一緒なのか?」
「うん。そうッスよ?」
ミィが首を傾げ、そう告げた。
それにあわせる様にクロトも首をかしげ、
「何でレッドが一緒に?」
「まぁ、詳しい事は本人に聞いて欲しいッス。自分も詳しくはわかんねぇーッスから」
ミィはそう言いニコッと無邪気な笑みを浮かべた。
その笑みにクロトは右の眉を僅かに曲げ、「そっか」と腕を組んだ。
何故、レッドかここに居て、ミィ達と一緒にいるのだろうか、とクロトは疑問に思ったのだ。
確かに、次の大陸に行く為の手段がなかったのも事実だが、イマイチ疑問が残る。
唇をへの字に曲げ、考え込むクロトに対し、ミィは不安そうに首を傾げる。
「どうかしたんスか?」
「そうだよ。何か不満でもあるの?」
セラがミィの肩を抱き、潤んだ瞳をクロトへと向ける。
その眼差しにクロトは引きつった笑みを浮かべ、小さく首を振った。
「いや、何でレッドは俺達がここに来る事知ってたんだろうって思って……」
「そりゃ、手紙に港で待ってるってあったし……」
セラがそう口にすると、クロトは苦笑する。
「そうじゃなくてさぁ……そもそも、何でレッドは俺らがヴェルモット王国に居るって知ってたんだって事だよ」
困り顔でクロトがそう言うと、セラは口元へと右手の人差し指をあて、「うーん」と艶かしい声を上げた後に、
「そだね!」
と、満面の笑みを浮かべた。
セラの返答に対し、流石のミィも少々呆れた様な笑みを浮かべ、「確かにそうッスね」と答えた。
クロト達がヴェルモット王国に居たのはたまたまだった。
あの戦争の後に和平条約が結ばれるなど想像もしていなかったし、たまたまそうなった為、そこに居たクロト達にレッドは何故手紙を残せたのだろうか、と言う疑問をクロトは前々から考えていた。
しかし、そんなクロトの疑問をミィは一蹴する。
「とりあえず、本人に聞くッス! それが、一番ッスよ!」
「えっ、あぁ……うん。そうだな」
あっさりと答えを出すミィに、クロトは聊か戸惑っていた。
自分はあんなに考えたのに、何だか無駄な体力を使っただけだったみたいだ、などと考え、クロトは失笑した。
「じゃあ、案内するッスよ!」
静かにミィが席を立ち、ピョコピョコと歩き出す。
そんなミィに続き、セラ、クロトと続き、最後にケルベロスが無言で歩き出した。
三人はミィに先導され街道を進む。
船着場へと向かっているのか、徐々に潮の香りが強くなっていた。
久しぶりの再会でミィは浮かれているのか、足取りは軽くスキップを交える。
そんなミィの背中を追うセラも嬉しいのか、常に笑顔を絶やさず、肩も弾んでいた。
二人の妙なテンションにクロトは少々戸惑っていた。
別段問題は無いのだが、クロトにそのテンションについていくだけの勇気は無い。
何故なら、二人に周囲の視線が集まっていたからだ。
本来なら赤の他人と言う振る舞いをしたい所だが、ミィについていかないとレッドにも会えないだろうと渋々その背についていく。
そして、ケルベロスは相変わらず沈黙を守り後へと続く。
四人の間には流れる空気は明らかに異様なモノだった。
ハイテンションの二人に戸惑い気味のクロト、沈黙するケルベロス。
これだけの条件が揃えば、周りの人が視線を送るのも頷けた。
「ここッスよ!」
暫く歩いた後、船着場近くにある宿の前でミィがそう声を上げた。
その声に、宿の二階の窓が開き、ボサボサにした長い黒髪を右手で掻く一人の女性が声を張る。
「ミィ! 何処に行って――わわっ! く、クロト!」
その女性はミィの後ろから続くクロトの姿を発見し、大慌て部屋の奥へと引っ込んだ。
それから、部屋の奥から何やらドタバタと物音が響き、時折モノの割れる音と「ひゃぁっ!」と言う悲鳴が聞こえた。
開かれた窓を見上げるクロトは目を細めると、ゆっくりと視線をミィへと落とす。
「え、えっと……今のパル……だよな?」
少々困惑気味なクロトの質問に対し、ミィは振り返り苦笑し右手で頬を掻く。
「そうッス。パルッス。ここん所忙しかったみたいッスから、恐らく徹夜明けッス」
「こら! 余計な事を吹き込むな!」
ミィの声が聞こえたのか、開かれた窓の向こうから凛としたパルの声が轟いた。
相変わらず地獄耳のパルに、ミィは困り顔で
「と、言う事ッス。自分は口を噤むッス」
と、右手の人差し指を唇へとあてた。
そのミィの仕草にクロトは困った様な笑顔を向け、ホッと息を吐いた。
まだ窓の向こうから物音が響く中、宿の扉が開かれ、赤紫の髪を揺らすレッドが満面の笑顔で四人を出迎える。
「待ってたよ! クロト!」
「あ、ああ……お、遅くなってごめん」
明るく相変わらず爽やかなレッドに、クロトはうろたえ返答する。
そんなクロトの手を両手で握り、レッドは上下に大きく振った。
「いやいや。大丈夫ですよ。クロトも大変でしたでしょうし」
爽やかな笑顔のレッドにクロトはただただ苦笑していた。
それから、レッドの目はセラとケルベロスへと向く。
二人とは初対面の為、レッドは訝しげな表情を浮かべる。
静寂が漂い、波の音だけが響く。
眉間にシワを寄せるケルベロスは、マジマジと顔を見るレッドを睨んだ。
「何だ? 血塗れ童子」
ケルベロスのその発言に一瞬レッドの表情が曇るが、すぐに笑顔を作ると右手を差し出す。
「僕はレッド。キミがもしかするとケルベロス……かな? 聞いていた話と大分印象が違うみたいで、驚いたよ」
だが、ケルベロスはレッドの手を取ろうとはせず、腕を組んだまま鼻を鳴らす。
「だからどうした。悪いが俺は、お前を信用していない」
「…………そうですね。初対面ですし、信用してくれと言ってもお互い人間と魔族ですから」
丁寧な口調でそう言うレッドは差し出した右手を引き、そのまま頭を掻いた。
それから、一瞬妙な間が空く。
それは、誰かが意図して行った事ではなく、自然と生まれた重苦しい空気だった。
誰もがその空気に息を呑み、沈黙する中、宿の扉が開かれ、
「ま、また、待たせたな!」
と、僅かに頬を紅潮させたパルが完璧に身支度を済ませた格好で飛び出してきた。
その瞬間に、ミィは安堵したように息を吐き、クロトはその姿に思わず微笑した。
それを引き金に、セラもレッドも思わず笑い、パル一人だけがわけが分らず不思議そうに首を傾げていた。