第149話 港で待ってる
クロトが目を覚ましたのは一週間後の事だった。
硬く寝心地の最悪なベッドの上、クロトは体を起こす。
最悪な目覚めだった。
体が重く、気分は悪い。
激しい頭痛に吐き気、これ以上無い位クロトは絶不調だった。
殺風景な何も無い一室。
ここが何処なのかすら分からず、クロトはただ漠然と辺りを見回す。
埃っぽく冷たい空気が漂っていた。
暖房設備が無いのか、室内だと言うのに寒く体は自然と震える。
それから、クロトはひび割れた窓ガラスに気付いた。
「そうか……そこから冷気が入ってきてたのか……」
眉間へと僅かにシワを寄せ呟いたクロトは、白い息を吐き出しベッドから立ち上がった。
だが、その瞬間膝から力が抜け床にそのまま膝を落とした。
「うぐっ……」
体に力が入らず、クロトはその場に蹲った。
そして、思い出す。この状態に似た状態に陥った時の事を。
それは、大幅に魔力を消耗した時と同じだった。
恐らくベルに持っていかれたのだ。限界まで魔力を。
それにより、クロトの体は力が入らないのだ。
膝を震わせるクロトは、壁に手を着きゆっくりと立ち上がる。
「はぁ……はぁ……」
激しい疲労感に、視界が歪む。とてもじゃないが歩ける状態ではなかった。
その為、すぐに壁に体を預けたままゆっくりと腰を床へと落とした。
呼吸を荒げ、天井を見上げるクロトは、全身の力を抜き瞼を閉じる。
冷たい風がひび割れた窓ガラスから入り込み、クロトの意識は徐々に遠退いていく。
そんな折、錆びれた金具を軋ませ、ボロボロの扉が開かれた。
「クロトー、まだ寝てる?」
部屋を覗き込んだのは、セラだった。
褐色の肌に茶色の髪を揺らし、何処から持ち出したのか可愛らしいエプロンを身に纏っていた。
王女には不必要なエプロンだが、何故だかセラには様になっていた。
「クーロト?」
疑問形の声で、部屋を覗き込むセラは、空っぽのベッドを見て慌てて部屋へと駆け込んだ。
「く、クロト!」
ベッドの向こう側で座り込むクロトを発見し、セラは驚きの声をあげる。
慌ててクロトの傍へと駆け寄るセラは、その体を起き上がらせた。
「だ、大丈夫?」
「あ、ああ……」
セラの言葉にクロトは静かにそう答えた。
一応、心配掛けまいと笑ってみせるが、どうにもその笑顔は胡散臭かった。
呆れた様に鼻から息を吐くセラは、腰に手を当てると頬を膨らせる。
「もう! そうやって無理やり笑わないで。辛いときは辛いでいいじゃない。全く!」
「ご、ごめん……」
妙に威圧的なセラの言葉に、クロトは思わず謝ってしまった。
そんなクロトに肩を貸し、立ち上がらせると、セラはそのままベッドへと運んだ。
ベッドに戻されたクロトは、少々困った様な笑みを浮かべ、セラを見据える。
何故か、少しだけ印象が変って見えた。これもエメラルドとの修行によるものなのだろうか、とクロトは思う。
そんな事を思うクロトに、セラは薄い掛け布団を掛け、息を吐いた。
「全く……男共は手が掛かって嫌ね!」
「男共?」
クロトが思わず聞き返すと、セラは左手を腰にあて、右手の人差し指を顔の横で立てる。
「そっ! もう、ケルベロスも魔力を消失しちゃって……」
「しょ、消失! な、何で? てか、何やったんだよ!」
驚き体を起こしたクロトだが、その体をセラは強引にベッドへと押さえつけた。
「だから、クロトも重症なんだから動かないの!」
硬いベッドにクロトは頭を激しく打ちつけ、「うぐっ!」と声を漏らした。
両手で頭を押さえ悶絶するクロトを尻目に、セラは腕を組みムフンと鼻から息を吐いた。
「暫く絶対安静なんだからね!」
「わ、わ、分かった……よ」
頭を押さえたままそう答えたクロトに、セラはニコッと笑みを浮かべた。
それから、どれ位の時間が過ぎたのか、長く静寂が続いた。
ひび割れた窓ガラスから差し込む風の音だけが響く。
脚の長さの違う丸椅子に腰掛けるセラはカタン、カタン、と何度も椅子を前後に揺らしていた。
何もする事も無くただ天井を見上げ続けるクロトは、チラッとセラの顔を見ては視線を逸らし唸り声を上げる。
何故、セラがこの部屋に止まっているのか、疑問に思う。
セラの言葉からすると、ケルベロスも重症である事は確かだろう。
しかし、セラはケルベロスの所に全く行こうとしない。いや、それどころかこのままこの部屋に居座るつもりだと言うのは明白だった。
その為、クロトは非常に落ち着かない様子だった。
やがて、その空気に耐え切れず、クロトは静かに口を開く。
「なぁ、セラ」
「んっ? 何?」
満面の笑みを向けるセラに、クロトは困った様に頬を掻き、
「ケルベロスは……大丈夫なのか?」
と、尋ねた。
すると、セラは少し考えて、
「うん。大丈夫」
と、答えた。
あまりに躊躇無く答えられた為、クロトも「あ、ああ……」と返答する事しか出来ず、また沈黙が続いた。
沈黙の中、クロトは考える。
そして、意を決した様に口を開いた。
「あ、あのさぁ」
「んっ? 何?」
またしても満面の笑みを向けるセラに、クロトは半笑いし頬を掻く。
「こ、ここ、何処? ……と、言うか何でセラがいるんだ?」
これだ、とばかりにクロトはそう口にした。
思い出したのだ。
確か、セラはエメラルドの所で修行している最中じゃないかと。
クロトがそう尋ねると、セラは小首を傾げる。
「えっ? 修行を終えたからここに居るんだよ? 当たり前の事、聞かないでよ」
「だ、だよね……」
苦笑しクロトが頷く。
すると、セラはえへへ、と笑い、
「それで、ここはヴェルモット王国の王都だよ」
と、答えた。
その答えに僅かな沈黙の後、クロトが飛び起き声を上げる。
「えぇっ! ヴェルモット王国の王都!」
「ほら、起き上がらない!」
飛び起きたクロトを強引に硬いベッドへと押さえつけた。
ゴンッと鈍い音が響き、クロトはまた頭を押さえ悶絶する。
そんなクロトの様子にセラは呆れた様に息を吐くと、
「ほら、まだ体の調子よくないんだから、大人しく寝てなきゃダメだよ?」
当然の様にそう言い放った。
もちろん、セラの所為だろ、と声を大にして言いたかったが、クロトはそれを呑み込み、涙目でセラを見据える。
「そ、それで……な、何でここに?」
この疑問が一番大切だと、クロトは思ったのだ。
そのクロトの問いにセラは、小首を傾げ「うーん」と唸り声を上げる。
それから、数秒の時間が経ち、二度、三度とセラは頷いた。
「うん。実はあの後、色々あってね。同盟を結んだらしいんだよ」
「どう……めい?」
クロトが訝しげに尋ねると、セラは「うん」と満面の笑みを浮かべた。
寝ている間に何が行われたのかわからずクロトは眉間にシワを寄せる。
そんなクロトにセラはポンと手を叩き、
「そうそう。レッドって人からの手紙預かってたんだけど……」
「えっ? レッド?」
「うん。知ってる?」
セラがエプロンのポケットから手紙を取り出し、そう口にした。
その言葉にクロトは「ああ。知ってる人だよ」と、答えその手紙を受け取った。
何故、レッドがその手紙をセラに渡したのか、どうしてここにレッドが居るのか、などと様々な疑問を抱きながらもクロトは静かに手紙を開封した。
そこには、ただ一行。
“港で待っている”
と、この世界の言葉で書かれていた。
その言葉にクロトは眉間にシワを寄せ、やがてセラへと目を向ける。
渋い表情のクロトに、セラも息を呑み真剣な眼差しを向け、
「な、何? 何て書いてあるの?」
と、尋ねた。
そのセラの言葉にクロトは苦笑すると、
「ごめん。何て書いてある?」
と、文字の書かれた紙をセラへと見せた。
クロトの言葉に思わずこけそうになったセラは、苦笑する。
思い出したのだ。クロトがこの世界の住人で無い事も、この世界の文字を読めない事も。