第148話 魔剣と氷の女王
重々しい金属音が幾重にも重なり響き、火花は寒空を美しく彩る様に散った。
衝撃が次々と広がり、地面が砕ける。
土煙を巻き上げ、小柄なベルが地面を転げた。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返すベルは、剣を地面に突き刺し、ゆっくりと立ち上がる。
着ていた黒衣は所々が裂け、血が滲み出ていた。
色白の肌を赤く染めるその血は、足元から地面へと広がる。
そんな彼女へと下駄を鳴らしゆっくりと歩みを進める和装の男。
切れ長の冷めた眼差しがベルへと向けられ、その男の手に握られた刀の切っ先からは点々と鮮血が滴れる。
赤く染まったその刀の刃を振るい、男は刀を肩へと担いだ。
「何だ? 案外、期待はずれだな」
男は低い声がそう告げ、不適な笑みを口元へと浮かべる。
魔力を使わぬ相手に魔力を消費するわけにも行かず、純粋な剣術、力勝負になっていた。
正直、ベルにとって力勝負は不利なものだった。小柄であるのと同時に、魔力で筋力を強化する事も出来ない。
故に、ここまで防戦一方に回っていた。
「ぐっ……」
膝に力を込め、半開きの口から白い息を吐き出すベルは、すり足で右足を前へと出した。
このまま防戦一方になるのはマズイと考え、攻勢に打って出ようと考えたのだ。
しかし、そのベルの動きに和装の男は刀で肩を叩き、冷ややかな眼差しを向ける。
「何だ? まだやるのか?」
「と、当然だ……」
「なら、次は全力で来い」
「言われなくてもそうするさ!」
ベルはそう言い全魔力を放出する。そうしなければこの男には勝てない、そう感じ取ったのだ。
それに、ここでこの男一人に手こずっている場合ではない為、ベルは覚悟を決めた。
膨大な魔力を帯び、ベルのオレンジブラウンの長い髪が僅かに浮き上がる。
迸る魔力の波動に、男は不適な笑みを浮かべ、肩に担いでいた刀を鞘へと納め、腰を落とした。
「さぁ、一瞬の勝負だ」
和装の男はそう言い、精神力を全身へとまとわせる。
静かなその殺気にベルは眉間へとシワを寄せ、奥歯を噛み締めた。
明らかに空気が変り、気温が少しだけ下がった。
それを感じ取り、ベルは息を呑む。
「居合い……」
和装の男がそう告げ、下駄の前方へと体重を乗せた。
その動きにあわせる様にベルもその剣を腰の位置へと構え、息を吐き出す。
剣の刃に真っ赤な炎が灯り、やがて刃を朱色に染めた。
残り僅かな魔力を全て刃へと注ぎ込む。
(これで、全てを決める……)
覚悟を決め右足を踏み出す。
「焔一閃!」
踏み出した足を捻り、腰を回転させ朱色の刃を振り出す。
それにやや遅れ、和装の男は左手の親指で鍔を弾いた。
「極閃!」
それは、一瞬だった。
和装の男の声が聞こえたその瞬間、大気を裂く閃光。
何が起こったのかベル自身理解出来ていない。
だが、次の瞬間、ベルの体は鮮血を噴かせ、振り抜いたはずの朱色の刃は根元だけを残し消え去っていた。
「ぐふっ!」
ベルは血を吐いた。体に赤い線が走り、やがて魔力が失われ光に包まれる。
ゆっくりとその視線が閉じられ、体は地面へと落ちる。
そんな中でも、ベルの目は真っ直ぐに和装の男を見据えていた。
いつ、振り抜かれたのか、男は抜き身になった刀を軽く振り、ゆっくりと鞘へと納める。
不適な笑みを浮かべ、その声だけが耳に残った。
“所詮、テメェーは使われる側なんだよ”
と、言う言葉だけが――。
消え行く意識の中、ベルも思う。
魔剣である自分では、限界があるのだと。持ち主であるクロトの力があったなら、どうだっただろうか、この場を切り抜ける事は出来ただろうか。
などと、たらればの事ばかりを考え、静かにその体は消滅した。
その場に残されたのは錆びれた根元から折れた刃と、刃を失った柄と鍔だけ。
和装の男は折れた刃を下駄で踏み締めると、そのまま刃を砕き、ゆっくりと足を進める。
「さて、俺の仕事はこれで終わりか……今回も、ハズレクジを引かされたか……」
和装の男はそう呟くと下駄を鳴らしその場から消えていった。
場面は変る。
火の粉が宙を舞い、氷が地面に張るその場所で、対峙する二人。
真紅のローブを身にまとう魔術師は、僅かに額に汗を滲ませ、破壊された右腕を押さえ白い息を吐き出す。
圧倒的な強さを見せる目の前の女の姿に、魔術師はその名を思い出していた。
この北の大地に巣食う氷の女王エメラルドの事を。
三人の魔王にも匹敵する力を持つと言われている。そんな女を相手にしているのだと理解し、魔術師は口元に薄らと笑みを浮かべた。
白髪を揺らすエメラルドは、そんな魔術師の笑みに眉間にシワを寄せる。
「何がおかしいのかしら?」
「ふっ……最強の魔女ヴェリリースに、氷の女王エメラルド……。魔術師としては光栄だね。そんな有名な者達の最期を拝む事が出来るなんて」
ボロボロのなりでその様な事を吐く魔術師に、エメラルドは警戒心を強めた。
強者だからこそのエメラルドの行動に、流石の魔術師も複雑そうな表情を浮かべる。
あの笑みも先程の言葉も、エメラルドを挑発したつもりだった。だが、エメラルドはその挑発には乗らない。
それ程、彼女は修羅場を潜ってきたのだろう。
紫の潤んだ唇を緩めるエメラルドは、魔術師へと赤い瞳を向ける。
「あなた、その体でまだやりあうつもりなの?」
冷静なエメラルドの言葉。目の前で自分の師匠が殺されたと言うのに、彼女はいたって冷静だった。
たとえ何が起きても冷静であれと言うヴェリリースの教えだった。
その為、彼女は一瞬怒りを滲ませたがすぐに冷静になった。
エメラルドのその言葉に、魔術師は肩を揺らし笑う。
「当然だろ……。例え、相手が誰だろうと、俺は戦い続ける」
魔術師はそう言い、魔力を左手へと集める。
その行動にエメラルドは薄らと開いた唇から白い吐息を噴出した。
「いいわ。なら、私も本気で――」
そこで、銃声が轟いた。
一瞬、時が止まり、エメラルドの体が僅かに跳ねた。
そして、鮮血がその胸から弾ける。
「うぐっ!」
表情を歪めたエメラルドに、魔術師の表情は綻ぶ。
「油断したな。氷の女王」
「ッ!」
口角から血を流すエメラルドは、右手で胸を押さえ、すぐに傷口を凍らせ止血する。
だが、その瞬間を狙い済ました様に次々と弾丸がエメラルドの体を撃ち抜く。
何が起こっているのか全く分からないエメラルドに、背後から男の声が聞こえた。
「すでにお前は私の手の中で踊っていたんだよ。氷の女王、エメラルド」
漆黒のローブを揺らすその男の声に、エメラルドは表情を歪める。
「そ、その声は……貴様が、どうして……」
その間も納まる事なく弾丸はエメラルドの体を撃ち抜く、着物は血で赤く染まり、その体には無数の弾痕が残される。
それでも、エメラルドは倒れる事なく、その場に仁王立ちし、荒い呼吸を繰り返す。
「はぁ……はぁ……」
「全ての弾丸を受けて尚経ち続けるか」
もうろうとする意識の中、エメラルドは不敵に微笑した。
しかし、その瞬間、意識は断たれる。
魔術師が放った紅蓮の炎が空より飛来して。
巨大な炎の玉は大量の血を足元に広げるエメラルドを押し潰した。
衝撃が地響きを生み、辺り一帯へと広がる。
激しい蒸気が吹き荒れ、辺りを呑み込む様にうねりを上げ、ローブをまとう魔術師と男を呑み込んだ。
炎は轟々とドーム状に広がり、激しく燃え続けた。
積もった雪を溶かし、湿った木々を焼き払い、炎は燃え続けた。
全てを焼き払うまで何日も何日も――




