第147話 ベルの戦い
ベルは一瞬にして間合いを詰めると、身を屈め鎧の男へと蹴りを見舞った。
それは、鎧と兜の間を縫い、その男の顎を的確に蹴り上げ、衝撃で男の体は宙へと舞う。
そして、ベルはそれを追う様に跳躍した。
「くっ!」
表情を歪める鎧の男が空中で体勢を整えようとするが、ベルはそれをさせまいと、自らの背丈よりも長い剣を一振りした。
赤い閃光が飛来し、鎧の男が垂直に地上へと叩きつけられた。
轟音が轟き、爆風が吹き荒れる。
この男の鎧が攻撃を反射するという事を知っていたベルは、それを利用し、あえて男の鎧を力強く叩いた。
そして、反射された勢いで一層高く空へと舞い、そこから地上を見渡す。
それから、クロトを投げた方角へとチラリと視線を向けた。
一瞬見えた。氷の鳥が。その背に乗る者の魔力の波動が。
彼女達がクロトの下へ向かったのなら安心だと、ベルはすぐに視線を地上へと向け、やがて急降下する。
目標は決まっていた――。
「完全に遊ばれてんじゃ――!」
真紅のローブに身を包んだ魔術師の前に、ベルは音も無く着地する。
僅かに土煙を足元に舞わせ、ベルは低い姿勢で腰の位置に剣を構えた。
先程、クロトが冬華と呼んだ少女を背にするベルは、静かに顔を挙げ魔術師を睨んだ
フードの奥の赤い瞳と目が合う。それと同時に、ベルは腰の位置に構えた剣を横一線に振り抜いた。
「ぐっ!」
表情を歪めた魔術師はその背を限界まで仰け反らせる。
魔術師の顔の前を漆黒の刃が横切り、その切っ先は僅かにそのフードの先を掠めた。
すぐさま魔術師はその場を飛び退き、鼻筋にシワを寄せ怒鳴る。
「てっめぇー! なめてんじゃねぇーぞ!」
しかし、ベルは魔術師になど目も暮れず、後ろに居る冬華へと視線を向けた。
「あなたは、逃げなさい」
静かにそう告げる。
ベルにとって彼女は全くの他人だが、何故だか助けなければならない、そう感じたのだ。
それは、先程のクロトの反応と、彼女に以前にも感じた事のある不思議な気配を感じ取った。だからこそ、ベルは彼女を助ける為に、一人で立ち向かう。
残り僅かな魔力で。
だが、そんなベルに幸いな事に、目の前の魔術師は怒りの声を上げる。
「てめぇー! ぶっ飛ばす!」
何が魔術師の怒りに火を点けたのか、ベルにはさっぱり分からなかった。
しかし、魔術師の体から迸る魔力の波動に、ベルは薄らと笑みを浮かべる。
「これは、ありがたい……」
そう呟き剣を下す。
魔術師の右手に魔力が凝縮し、赤い光が集まる。
その時、何処からか声が響く。
「止めろ! ソイツは――」
聞こえた声にベルは
「もう遅いな」
と、静かに呟き、ゆっくりと息を吐く。
「フレイムレーザー!」
魔術師の幼さの残る声が轟き、その手から放たれる。
真っ赤な炎を圧縮したレーザーが。
そのスピードは恐ろしく速い。だが、ベルにはそんな事関係なく、左手をかざし真っ向からそのレーザーを受け止めた。
爆音が轟き、激しい衝撃が広がる。
しかし、思ったよりもその勢いが弱かった為、魔術師の表情は険しかった。
「な、何だ……」
やがて、土煙の向こうから感じる膨大な魔力の波動を。
「中々、質の良い魔力だ……。これで、もう少し長く戦えそうだ……」
僅かに吹いた風が土煙を払い、その向こうから無傷のベルが姿を見せた。
息を呑む魔術師に、銃を持った漆黒のローブに身を包む男が声を上げる。
「ソイツは魔剣だ! 魔力の類は吸収される!」
「なっ!」
驚く魔術師に、ベルはゆっくりと一歩前に出ると、後ろに冬華へと声を上げる。
「早く行け!」
「えっ、あっ、はい!」
ベルに怒鳴られ、冬華は走り出した。
黒髪を揺らし立ち去る冬華の後姿に、魔術師は怒鳴り声を上げる。
「逃がすと思って――」
追いかけようと動き出す魔術師の前に、ベルが割り込んだ。
その動きに魔術師は表情を強張らせる。自分がこのベルと相性が最悪だと分かっているのだ。
しかし、そんなベルへと、背後から迫る巨大な影。
その影は大きな剣を振り上げる。
「きさまの相手はこの俺だ!」
黒光りする鎧を纏った男が、振り上げた大剣を振り下ろした。
だが、ベルはそれを見ることなく剣を頭上へとかざし、刃を受け止める。
重々しい金属音が響き、衝撃がベルの長いオレンジブラウンの髪を揺らした。
奥歯を噛み締める鎧の男に対し、ベルは剣を弾き返すと体を前方へと倒し、そのまま後ろ蹴りを見舞う。
その体の柔軟性から振り抜いた左足は大きく伸び、男の顎を蹴り上げた。
大きく顔はかち上げられ、男の背筋が伸びる。
そして、激しく脳を揺さぶられた男の体が地面へと崩れた。
「悪いが、私はお前一人の相手をしている暇は無い」
「くっ! てめぇ!」
鼻筋にシワを寄せ、怒りを滲ませる魔術師。
だが、そんな魔術師の前に、今まで気配を完全に消していた和装の男が下駄を鳴らし現れた。
束ねた黒髪を揺らすその男にベルは眉間にシワを寄せる。
明らかに魔術師と鎧の男とは違う不気味なオーラに、ベルは息を呑んだ。
「コイツは俺が相手をする。お前らはあの女を追え」
「くっ! まぁ、魔力の使えないあんたに任せるわ」
魔術師がそう言い空へと舞った。
「私が逃がすと、思ってるのか!」
ベルはスグに剣を構え、跳躍する。
しかし、その目の前に突如、和装の男が姿をみせ、鞘に納まったままの刀でベルを殴りつけた。
「ぐっ!」
地上へと無理やり叩き落されたベルは、バランスを崩し膝を落とす。
それに遅れ、和装の男が静かに地上に降り立つ。
「言ったろ? お前の相手は俺だ」
「くっ……」
眉間にシワを寄せ、ベルは険しい表情を見せる。
そんなベルへと、和装の男は静かに刀を抜いた。
不気味な空気を漂わせるその刀にベルは警戒心を強める。
「俺の血桜と、魔剣。どちらが強いのか証明しようじゃないか」
「悪いが、瞬殺させてもらう」
「やれるものならやってみろよ」
不適な笑みを浮かべ、和装の男は腰を落とした。
宙を舞う魔術師は、冬華をその目で探す。
轟々と燃える森の中、一人の少女が走るのが目に止まる。
不敵な笑みを浮かべ、魔術師は右手を構えた。
「これでも、くらえ!」
発射口に赤い光が凝縮される。
膨大な魔力を集め、狙いを定める魔術師は、大きく声を上げる。
「フレイムレーザー!」
衝撃で右腕が大きく跳ね上がる。
直進する赤いレーザー。だが、直後、そのレーザーが凍り付き、空中で粉々に砕け散った。
「なっ!」
魔術師は突然の事に驚く。
幾ら寒いと言っても、炎のレーザーだ。そう易々凍りつくなどありえない事だった。
何が起こったのか理解出来ていない魔術師に、突如氷のツブテが飛来する。
「うぐっ!」
驚いていた為、反応が遅れ、氷のツブテは見事に魔術師に直撃し、そのまま地上へと叩きつけられた。
氷は衝撃で砕け散り、魔術師の体は地面へと減り込んだ。
「だ、誰だ……」
口角から血を流しながら、魔術師は体を起こす。
すると、そこに着崩した着物をまとう一人の女性が降り立った。
長い白髪を揺らすその女性は、紫色に染まった唇を妖艶に緩める。
「ふふふっ。よかったら、私の相手をしてくださらないかしら?」
大人びた静かな声に、魔術師は眉間へとシワを寄せる。
「あんた、誰だ? 俺の邪魔してんじゃねぇ!」
魔術師が右腕をその女性の方へと向ける。
だが、女性は妖艶な笑みを崩さず、左手を差し出す。
すると、冷気が漂い、魔術師の義手に霜が走る。
「ぐっ!」
その瞬間、魔術師の表情が歪んだ。
霜により義手が軋み、魔力伝達回路が破損し上手く魔力が練りこめなくなっていた。
険しい表情を浮かべる魔術師に、女性は「ふふふっ」と笑う。
だが、その表情は次の瞬間響き渡った数発の銃声で凍りついた。
そして、その視線は銃声の方へと向く。
彼女の目に飛び込む。数発の銃弾を浴び血を噴くヴェリリース。
その体が静かに地面へと倒れ、二度、三度とバウンドした。
目を見開くその女性は、その瞬間に声を上げた。
「先生!」
すぐに駆け出そうと身を翻す。
しかし、そんな彼女の前に炎の玉が落下し、その行く手を阻む様に広がった。
そして、彼女の背後で静かな笑い声が響く。
「くくくっ……あんたは俺の相手をしてくれるんだろ? そうか……くくっ……あんた、あの魔女の弟子か」
肩を揺らし笑う魔術師に、女性はゆっくりと振り返る。
その全身から膨大な魔力を迸らせ、その皮膚には鱗模様を浮かべて。
「貴様……死んでも、文句は無いな?」
「――ッ!」
魔術師は、ここで後悔する。自分が対峙している相手が、ここに居る誰よりも危険な存在なのだと、一瞬で理解したのだ。