第145話 冬華
澄んだ金属音が響き、二つの刃が交錯する。
火花が散り、二人の視線がぶつかった。
フードの奥から覗くその淡い紫色の瞳を見据え、ヴェリリースは左足を振り切った。
左足は見事に男の右脇腹へと突き刺さる。
男の体が右へと僅かに折れ、その口元が歪む。
一瞬、男の力が緩んだ。その瞬間、ヴェリリースは大鎌の刃を返し、そのまま男の剣を払い上げた。
剣を払い上げられ、男の両腕が大きく頭上へと振り上げられる。
そして、ヴェリリースの目の前に現れる。無防備になったその腹部が。
「くっ!」
表情を歪める男は、すぐさま魔力を練り上げる。
一方で、ヴェリリースもその拳を硬く握った。
「属性硬化!」
男が腹部へと属性硬化を行い、
「属性強化! 金剛!」
ヴェリリースは左拳へとこの世界で最も硬いとされる金剛石、ダイヤモンドを纏わせる。
(なっ! まさか!)
男もその事に気付いた。だが、もう遅い。
「流星弾!」
振り上げた左拳が、煌くと同時に目にも止まらぬ速さで、男の腹部を打ち抜いた。
一瞬にして地上へと男は叩きつけられ、その衝撃は爆発の如く周囲へと広がる。
激しい土煙と大量の土が舞い上がり、大きく穴が開いた地面の中心で、男は仰向けに倒れていた。
衣服の腹部が大きく裂け、僅かに割れた腹筋にはヴェリリースの拳の跡が刻まれていた。
「がはっ!」
せき込み血を吐く男は静かに瞼を開く。
空に浮かぶ黒衣の魔女、いや、最強の死神、ヴェリリースの姿に思う。
やはり、あの人は最強だと。
だが、男はゆっくりと起き上がる。
技の威力こそ派手に見えたが、その実、男に殆どダメージはなかった。
その理由を男は瞬時に見抜いた。
不適な笑みを浮かべる男は、その手に剣を携えヴェリリースを見上げる。
その視線にヴェリリースも悟った。この男がヴェリリースの抱える問題に気付いたのだと。
両者の眼差しが交錯し、男は静かに肩を揺らし笑った。
「最強の死神も、歳には勝てんか……」
「そうだねぇ……。人はいつか必ず死ぬモノ。永遠に続く命など無いんだよ」
「くっ……くくっ……私はそれを手に入れる。必ず!」
男がそう言い放ち、左手をヴェリリースへと向けた。
いつの間に練られたのか、その手は黒光りする鉱石に包まれていた。
「その体では、もう質の高い魔力は練られまい」
不適に笑みを浮かべる男は、更に魔力を左手へと練りこむ。
質の高い膨大な魔力がその腕に集まる。
冷たい風に吹かれるヴェリリースはドクロの仮面越しに男を見据え、白い息だけを吐き出す。
この状況を打開する為の策を練っていた。
と、言うより、次にこの男がするであろう行動を予測していた。
(さてさて……どう言う攻撃に打ってでるかねぇ……)
年寄りには厳しい上空の寒さにヴェリリースは僅かに体を震わせる。
(節々が痛むねぇ……。これだから、歳は取りたくない……)
そんな事を思いながら、ヴェリリースは地平線の向こうへと目を向ける。。
もうすっかり太陽は昇り、夜の闇は消え去っていた。
深く息を吐き出すヴェリリースはその太陽を見据え、
「さて……これで、見納めだね……」
と、意味深に呟いた。
そんなヴェリリースに地上から男が声を上げる。
「死ね! 最強の魔女!」
その声にヴェリリースは視線を落とす。
「ロックニードル!」
男が声を上げると、左手からツララ状の岩がヴェリリースへと向かって放たれる。
しかし、ヴェリリースは焦った様子も無く、左手をかざすと、向かってくるツララ状の岩を軽々と受け止める。そして、そのまま左へと受け流した。
最小限の魔力で攻撃を受け流したヴェリリースは、そのまま男へと急降下する。
足音も無く地上へと降り立ったヴェリリースは、その手にした大鎌の刃を男の喉元へとあてた。
「チェックメイトだ」
「それは、どうかな?」
男が不適な笑みを浮かべる。
その直後だった。
鈍い音が体を駆け巡り、鮮血がヴェリリースの視界へと舞う。
腹部から突き出した鮮血をまとう切っ先が、ヴェリリースの視界に入った。
そこで、ヴェリリースはようやく気付いた。自分が刺されたと言う事に。
「ぐふっ……」
ドクロの仮面の口から血が噴き出る。そして、その仮面はゆっくりと彼女の顔からはがれ、地面へと落ちた。
「ご主人様!」
クマが叫ぶ。
崩れ落ちる様に倒れるヴェリリースは、そこでようやく自分の背後を確認する。
地面から生える土の腕。その手に握られた鋭利な刃が、ヴェリリースを貫いていたのだ。
(ぐっ……油断した……)
表情を歪めるヴェリリースの体が地面へと倒れる。それを見届け、背中から突き刺した刃を抜いた男は、不適に笑う。
「あんたの教えだったな。大技の後には必ず隙が出来るって。どうだ? 隙なんてあったか?」
肩を揺らし笑う男は、土で出来た腕を元の土へと戻すと、その手に持った大剣を振り上げた。
突然の光景にクロトはすぐに立ち上がった。
何が起こったのか分からなかった。
突然、ヴェリリースの背後に腕が生え、その刃を背中へと突き立てていた。
どうにかしなければと、クロトは魔剣ベルを握り締め足へと力を込める。
だが、その膝から力が抜け、クロトは地面へと平伏す。
「うぐっ!」
『大丈夫か! クロト!』
「ああ……けど、足が……」
震える足にクロトへ目を向ける。
頭を強打されたダメージがまだ抜け切っていなかった。
それでも、ベルを地面に突き立てまた立ち上がり、ヴェリリースと男の方へと視線を向けた。
「ベル!」
『待て! まだ、魔力は使うな!』
「けど――」
クロトがそう怒鳴った時だった。
「ご主人様!」
クマの叫び声が響き、ヴェリリースの前へとそのクマが飛び出す。
血を流し平伏すヴェリリースの前で両腕を広げ、立ちはだかるクマに、男は静かに笑みを浮かべる。
「もう、お前に用は無い」
「クマの仕事は――」
「死ね」
クマが言い終える前に、冷めた目を向け、男はその手に握った剣を横一線に振り抜いた。
刃が首へと減り込み、そのまま首を切断した。クマの頭が飛び、その切り口から綿が飛び出す。
それに遅れて、鮮血が迸り、雪原の上にクマの頭が二度、三度とバウンドした。
切っ先から滴れる鮮血がポツポツと地面へと落ち、やがて、男の膝がガクガクと震える。
「な、な、なん……で……」
呆然と立ち尽くす男の腹部に、深々と透き通る蒼い刃が突き刺さっていた。
そして、その刃が伸びるのは目の前に仁王立ちする頭を失ったクマからだった。
純白の美しく長い柄が綿と一緒にクマの腹から飛び出していた。
何が起こっているのか男には理解出来ていない。
もちろん、クロトにも何が起こったのか分かっていない。
呆然と立ち尽くしていた。
一方で、ヴェリリースだけが血を吐きながら笑みを浮かべる。
「ふっ……ふふっ……」
「きさ……ま……何を……」
口角から血を流す男はゆっくりとヴェリリースへと視線を落とす。
だが、次の瞬間、男は目を見開く。
「お、お前は……た、確かに、私の手で……」
驚愕する男が、一歩、二歩と後退り、開ききった瞳孔を震わせる。
クマの腹を割き、綿まみれの姿を見せる少女は、肩口で黒髪を揺らし、幼さの残るその可愛らしい顔を男へと向けた。
短いスカートを揺らし、膝丈まで届くニーハイソックスの姿の少女に、クロトもまた驚愕していた。
その人物をクロトはよく知っていた。
そして、思う。
何故、ここに居るのか、と。
静かな時が流れ、クロトの唇はゆっくりとその名を口にする。
「と、冬華……」
と。恐る恐る震えた声で。