第137話 ケルベロスとファイ
場所は変り、グランダース領土、国境付近。
ケルベロスとファイの二人はグランダース軍、ヴェルモット王国軍の兵達の合間を縫い、遂に辿り着いた。
ヴェルモット王国白銀の騎士団の異名持ちの男の前に。
白銀のマントを揺らす男。頭に被った銀の兜から伸びる長い黒髪が緩やかに吹き抜ける風に揺れる。
異質な空気を漂わせるその男は、腰にぶら下げた剣に手を伸ばすと、静かに瞼を開いた。黒の右の瞳と、赤い左の瞳のオッドアイに、ケルベロスもファイも息を呑む。
「魔族との混血か!」
ケルベロスがそう声をあげると、男は静かに剣を抜く。
刃が擦れる嫌な音が響き、美しいその剣が姿を見せる。
周囲に居た兵達は男が剣を抜くと同時にクモの巣を散らす様にその場を離れ、一帯にはケルベロスとファイとその男だけが残った。
ピリピリと張り詰めた空気に、ケルベロスは左足を半歩退いた。
一方で、ファイもその男の殺気にいつに無く真剣な表情を向ける。
二人の眼差しを受け、男は不適に笑みを浮かべ、剣を構えた。
それに連動する様にケルベロスは右手に蒼い炎を灯し、ファイはその手に氷で作った剣を生み出す。
「待っていたぞ。番犬ケルベロス!」
男がそう言い放ち、剣を振り抜く。
距離はまだあり、間合いにも入っていないはずなのに、と、ケルベロスは違和感を感じる。
しかし、男の刃が振り抜かれると同時に疾風がケルベロスとファイの間を駆け、次の瞬間鮮血が二人の体から噴き上がる。
「ぐっ!」
「なっ……」
右脇腹が裂けよろめくケルベロスは左膝を落とし、表情を歪める。
同じように左脇腹を裂かれたファイは白装束を赤く染めながらも、すぐに傷口を凍らせ止血を行った。
何が起こったのかは二人は分からない。だが、白銀の騎士団としてのこの男の実力だけはハッキリと分かった。
傷口を押さえ立ち上がるケルベロスは深く息を吐き出すと、右隣に立つファイへと目を向ける。
「大丈夫か?」
「はい。傷口は凍らせたので……あなたの方こそ大丈夫ですか?」
無表情でそう言うファイに、ケルベロスは「ふんっ」と鼻で笑い
「貴様に心配される程やわではない」
と、静かに告げ、ケルベロスは拳を構えた。
出血は止まっていないものの、それでもケルベロスは強気に男の姿を見据える。
銀の兜をした男は、二人の様子に腰をやや落とすと剣を下段に構えた。
「さぁ、華麗に踊ってくれよ」
男の左目が輝き、その剣に魔力が帯びるのを二人は感知する。
「来るぞ!」
「分かってます」
身構える二人に対し、男は口元へと薄らと笑みを浮かべ、
「漣!」
男がそう言い剣を振るう。残像が浮かぶほど素早いその腕の振りから放たれる斬撃が次々と二人へと襲い掛かる。
しかし、その直後、前へと飛び出したファイは片膝を着くと、魔力を込めた左手を地面に当て叫ぶ。
「アイスロック!」
二人の目の前へと氷の塊が現れ、男の放った斬撃を防ぐ。甲高い音が響き、氷の結晶が僅かに舞う。
氷の塊は削られていくが、それでも男の斬撃を全て受け止めた。
「ほぉーっ……漣をそんなモノで防ぐとは……」
削られた氷が一帯に散らかり、冷気が漂う中で、ファイは訝しげな表情を見せる。
確かに一撃一撃は鋭く速い。だが、その威力が低すぎると感じていた。
あの風貌、あの口振りからでは、もっと破壊力の高い攻撃が出来るはずだと。
やがて、氷が音を立て崩れ落ち、ケルベロスとファイの視界に男の姿が映る。
何処か余裕の窺えるその姿に、ファイは静かにケルベロスへと告げる。
「私がコイツの相手をします。あなたは先へ行ってください。何か、嫌な予感がします」
「いや、こいつは俺がやる」
「いえ、私が!」
言い合う二人に対し、男は呆れた様な眼差しを向け、やがて構えた剣を振り抜く。
「白波!」
下から上へと切り上げる様に振り抜いた刃から放たれた斬撃は地面を裂き、真っ直ぐに二人の間を割ってはいる。
「くっ!」
「チッ!」
二人が同時に地を蹴り左右に散ると、二人はほぼ同時に魔力を練り放つ。
「蒼炎拳!」
「氷結弾!」
蒼い炎に包まれた右拳を振り抜き、ケルベロスは蒼い炎を放ち、ファイは左手の平から氷の塊を男へと飛ばす。
だが、二人の攻撃は男へと直撃する前に互いの技を打ち消す様にぶつかり合い相殺された。
その為、男の下へと届いたのは涼しげな風だけで、長い黒髪だけを緩やかに揺らせる。
「なっ! 貴様!」
「何してるんですか!」
ケルベロスとファイは互いに顔を見合わせ怒鳴りあう。
そんな二人に男は不適に笑う。
「ふふっ……仲間割れか? どうやら、この俺をバカにしているようだな」
男はそう言い肩を揺らすが、ケルベロスもファイもその言葉を聞かず、互いに言い合っていた。
「私がやると言ったじゃないですか!」
「ふざけるな! 俺がやると言っただろ!」
「バカですか! あなたは先に行ってくださいと、言ったでしょ!」
「何故、俺がお前の指図を受けなければならない!」
揉める二人に、青筋を浮かべる男は、眉をピクつかせると、魔力を剣へと纏わせ、叫ぶ。
「俺を無視するんじゃねぇ!」
左足を踏み込むその動きに、ケルベロスもファイもただならぬ力を感じ、一瞬で魔力を練り構える。
「大津波!」
男が右から左へと全力で剣を振り抜くと、その斬撃は大きな波の様に空へと浮き上がり、二人を――いや、前方に居る全ての者を呑み込む様に一気に降り注ぐ。
「に、逃げろ!」
「アーバン様の津波が来るぞ!」
ヴェルモット王国軍の兵達が口々にそう声を上げ、その場から離れように逃げ出す。
大きくうねりを上げるその斬撃がケルベロスとファイを覆う様に影を作り出した。
逃げ惑う王国軍の兵だが、逃げ場など何処にも無い。そのうねりは大きすぎた。
その事が分かっているケルベロスとファイは落ち着いた面持ちで魔力を限界まで集める。
(くっ! まだだ……まだ……)
ケルベロスの額から大粒の汗がこぼれる。
(このままだと、ケルベロスと相殺される……どうすれば……)
先程の光景を思い出し、ファイはチラッとケルベロスへと目を向けた。
だが、互いに考えている余裕は無く、そのアイコンタクトは失敗に終わる。
地響きが起こり、激しい土煙が徐々に二人の方へと近付いていく。
「くっ!」
険しい表情を浮かべるケルベロス。右拳に集めた蒼い炎は煌き、高濃度の魔力が集まっていた。それにより、皮膚が裂け血があふれ出していた。
しかし、この寒さにより、その火力は中々上がらない。
それを知ってか、ファイが最初に動く。
右手に握った氷の剣を地面へと突き立て、同時に膝を着き両手を振り下ろし、叫ぶ。
「アイスエイジ!」
ファイが声をあげると同時に、場の空気が急速に低下し、地面は駆ける様に凍り付く。
そして、土煙も、なだれ込む斬撃をもその氷の中へと呑み込んだ。
だが、氷にはすぐに亀裂が走る。
「ぐっ……」
斬撃の勢いが強く、とてもじゃないが防げそうになかった。
「ケルベロス! まだですか!」
「お前の所為で、周囲の気温が下がったんだ! 余計時間が掛かる!」
ファイにケルベロスは乱暴に答えた。
ファイが時間を稼ぐ為に行った事は分かっているが、何分二人の相性は悪い。ファイが技を使えば使うほど、ケルベロスの炎の火力は弱まり、魔力の消費が激しくなるのだ。
「ぐっ……」
「ッ!」
険しい表情を浮かべる二人に、アーバンと呼ばれた白銀の騎士団の男は、静かに笑う。
「くくくっ……。いつまで持つかな?」
「くっ!」
その声が聞こえたのか、ファイはそう声を漏らし、俯いた。
そんな折だった。突如、二人の背後で声が響く。
「二人を援護するぞ! 整列!」
龍魔族の一団だった。
横並びに一列に並んだ龍魔族の兵は、大きく息を吸うと、魔力を腹の中で練り込む。
「放て!」
若い男がそう叫ぶと、横並びに並んだ兵達は一気にその口から息を吐く。
“グオオオオオオッ!”
咆哮だ。
数十人の龍魔族による咆哮は衝撃波となり氷付けにされた斬撃とぶつかり合った。
轟音が周囲へと広がり、衝撃にケルベロスもファイも吹き飛ばされそうになっていた。
「ぐっ! もう……少しだ……」
そう呟いたケルベロスは、右足を前へと踏み出すとゆっくりと体重を掛ける。
そして、一気に地を蹴り、亀裂が深く刻まれるその斬撃へと突っ込んだ。
「蒼炎!」
ケルベロスが右拳を振り上げる。
拳を包む炎が一瞬弱まったが、炎は爆発するように弾けると火力を上げ、白煙を吹き上げた。
「――牙狼拳!」
ケルベロスは左足を踏み込むと同時に腰を回転させ、右拳を氷付けの斬撃へと打ち込んだ。