第135話 忌まわしき血族
目の前に広がる戦場に、ケルベロスは目を見張る。
左手の方角に見える鉄の壁。ここは間違いなくヴェルモット王国領土だと思われる。
だが、ケルベロスは妙な違和感を感じ、眉間にシワを寄せた。
その違和感とは、攻め込まれているのが龍魔族側のようにみえたのだ。そして、ケルベロスは気付く。空が明るくなり始めている方角に。
「まさか!」
驚き声をあげると同時だった。背後で足音が響き、ファイの声が聞こえる。
「えぇ。あなたの考えている通り、ここはグランダース領土ですよ」
「ふぁ、ファイ!」
振り向きケルベロスが声をあげると、ファイは空色の髪を揺らし不服そうな表情を浮かべる。
「どうやら、私達は南に向かって歩かされていたようですね」
「くっ! じゃあ、すでに他の場所では戦争が開戦されているって言うのか!」
ケルベロスが声を荒げると、ファイは静かに頷く。
「恐らくはそうでしょうね。それよりも、ルーイットとティオの姿がありませんが、知りませんか?」
「なっ! ルーイットはお前と一緒じゃないのか?」
「いえ、私は一人でここに飛ばされました」
「くっ! じゃあ、ルーイットは一人か!」
慌てるケルベロスに対し、ファイは落ち着いた面持ちで腕を組む。
「しかし、見事に分断されてしまいましたね」
「何、落ち着いてるんだ! ルーイットが敵に会ってたら……」
「大丈夫じゃないですか? 彼女にも獣化と言う手段があるんですし」
落ち着いたファイの言葉に、ケルベロスは表情をしかめる。確かにルーイットが獣化できると言う事を知ったが、それを差し引いてもこの寒い地域での獣魔族の戦闘力は大幅に落ちる。
それを考えると、やはりルーイットを一人にしておくのは危険だと、ケルベロスは判断した。
「俺は、ルーイットを探しにいく」
「どうやってですか?」
「あいつらを蹴散らせて、ヴェルモット王国領土に入る」
ケルベロスがそう言うと、ファイの表情が僅かに曇る。そして、その視線は静かに崩れた鉄の壁へと向けられた。
「アレが、何か分かりますか?」
ファイがその視線で示す場所へとケルベロスは静かに視線を向けた。その視線の先に佇む一人の男。白銀のマントを羽織り、美しい白銀の胸当てをしたその男の姿に、ケルベロスの表情も歪む。
「まさか、白銀の騎士団か!」
「恐らく、異名持ちです」
その言葉にケルベロスは息を呑む。一度、白銀の騎士団の異名持ちと対面していた為、ハッキリと分かる。その男の漂わせる風貌がギーガと似ていると。
唇を噛み締めるケルベロスは、フッと息を吐くと肩の力を抜く。そして、考える。
(落ち着け……何か方法はあるはずだ……)
正直、今、二人で挑んでも勝てる気がしない。一対一ならまだしも、あれほどの兵を相手にした直後で戦うのは不利だ。しかも、ケルベロスにとってこの環境は最も不得手とする環境。火力が上がり難く、魔力の消費も激しい。
その為、不用意に能力も分からぬ白銀の騎士団の異名持ちに挑むわけにはいかなかった。
その頃、国境から東、ベルモット王国領土へと三十キロ程、離れた雪原にルーイットは倒れていた。
ギーガの断絶により空間を飛ばされ、ルーイットの体だけがポツンと綺麗な雪原に仰向けに転がる。足跡も無く、ただ静かに雪だけが降り注ぐ中、ルーイットは目を覚ました。
フードの中でピクリと動く耳が何か物音を感じ取ったのだ。すぐさま起き上がったルーイットは辺りを見回す。そして、一つの人影を見つけた。漆黒のローブを纏った不気味なオーラを放つ男だった。
「だ、誰……」
ルーイットが静かに口を開く。
冷たい風が吹き抜け、男のローブが揺れる。頭に深々とフードを被っている為、その表情、顔付きは分からない。
だが、その男は口元に薄らと笑みを浮かべる。その不気味な笑みにルーイットは寒気を感じ、思わず身構えた。
「な、何よ! あ、あなた、誰なのよ!」
ルーイットの言葉に、ローブをまとう男が重々しく口を開く。
「ルーイット……キメラ型の獣魔族……」
しゃがれた濁った声に、ルーイットの肩がビクッと跳ねる。恐怖を感じると同時に疑問を抱く。何故、この見知らぬ男が自分がキメラ型だと知っているのか、と言う事を。
警戒するルーイットは、一歩後退りする。すると、男の赤い瞳がフードの奥から覗き、ルーイットの体は硬直した。
相手が魔族だと分かったが、それ以上に明らかな敵意を感じ取ったのだ。身の毛を逆立て、威嚇する様に牙を向けるルーイットに対し、男はゆっくりと右手を上げる。
「流石、獣魔族。私の異質さに気付いたか」
「な、何……。あなた、一体……」
眉間にシワを寄せるルーイットに、男はゆっくりとその手の平に魔力を集める。その行為にルーイットも奥歯を噛み締め、覚悟を決める。
(知り合いは誰もいない……なら、キメラの力を使っても平気よね……)
そう自分に言い聞かせ、ルーイットは全身へと力を込める。体中から溢れ出す強い精神力の波動がルーイットの足元の雪を吹き飛ばした。それにより雪煙が激しく舞い上がり、ルーイットの体を覆い隠す。
激しい衝撃に男は表情をしかめるが、すぐに不適な笑みを浮かべその手に練り込んだ魔力を放つ。
「ロッククロス」
練り込んだ魔力が十字型の石の刃へと化すとそのまま雪煙の中へと放たれる。
激しい衝撃音が轟き、雪煙が一気に吹き飛ぶ。木っ端微塵に砕かれた石の刃はその破片を降り注がせる。
そこに仁王立ちするのは変貌したルーイットだった。隆起した二の腕、化物の様に鋭い爪を持つ指。そして、裂けた口から覗く二本の牙から唾液が零れ落ちる。
「キメラ……か。化物だな」
「そう思われても構わない。私はあなたを排除する」
おぞましい声でそう告げるルーイットに、男は不適に笑う。その笑みにルーイットは恐怖を感じる。と、その時だった。突如、足元の感覚が失われ、ルーイットの動きが拘束される。
「な、何?」
突然の事に驚くルーイットが自分の足を確認する。すると、その足は完全に石化していた。いつ、何をされたのか分からず、動揺するルーイットに対し、男は肩を揺らし笑う。
「これで、一番の邪魔者は駆除出来た。後は私の手の平の上で踊らされるだけ」
「グッ! い、一体、何の――」
そこでルーイットの声が途切れる。体が石化し、遂に声を出す事すら出来なくなったのだ。
やがて、その視界すらも暗くなり、ルーイットの意識は断たれる。
完全に石化したルーイットを見据え、男は静かに腕を下ろすと、フードから覗く黒髪を揺らす。そして、静かに呟く。
「ふふふっ……静かに眠れ。忌まわしき血族よ」
男はそう言うと姿を消した。
それから暫くして、二つの足音が僅かに響く。
「あれ? 確かにここで強い魔力の波動を感じたんだが?」
逆立った真紅の髪の男が、そう声をあげた。雄々しく黒のコートを揺らす男は切れ長な目で辺りを見回すと、腰の剣へと伸ばしていた右手で頬を掻く。
「本当に感じたんですか? マスター」
その男の後ろからトボトボと歩みを進める青年がそう口にした。深い蒼の髪を揺らし、腰に四本の剣をぶら下げた青年は、ふっと息を吐くと空を見上げる。
白い息を吐き出す二人は、静かに歩みを進め、石化したルーイットを発見する。
「アレ? 何だこれ?」
石化したルーイットを見上げ、真紅の髪の男がそう呟いた。すると、蒼い髪を揺らす青年が、目を細め身震いさせる。
「石造……ですか? まるでさっきまで生きていたみたいな感じですけど……」
「だな。すげぇー迫力」
ルーイットの体をパンパンと叩き、男は笑う。そんな男へとジト目を向ける青年は、呆れた様に吐息を漏らし、
「何やってるんですか? そんな事して壊したらどうするんですか?」
「なーに。こんな所においてあるんだから、高価なもんじゃねぇーだろ」
穏やかにそう言う男は豪快に笑う。
そんな男の姿に目を細める青年は、肩を落とし深く息を吐いた。
「マスター……先を急ぎましょう」
「おおっ! そうだな。冬華達が心配だ。こんな事してる場合じゃねぇな!」
青年の言葉に、男は思い出したようにそう言うと、もう一度石化したルーイットを見上げ、鼻から息を吐き出す。
「これ、もらってくか?」
「えっ? またですか? てか、どうやって持ち帰る気ですか? それに、またギルドのメンバーに色々言われますよ?」
「まぁまぁ、他の連中は何とかするって、持って帰るのは……とりあえず、この戦いが終わってから飛行船で……」
そこまで言って男の表情が曇る。
「そう言えば……飛行船墜落したんだった……」
「ですよ。それに、今はそんな事よりも大切な事がありますから」
青年がそう言うと男は深くため息を吐き、名残惜しそうに石化したルーイットを見据え、諦めた様に歩き出した。
最後に残されたルーイットの石造は冷たい風に晒され、その体には雪が静かに積もっていった。