第131話 誰かを助ける為の力
ケルベロス達が白銀の騎士団“断絶”のギーガと戦っている頃、ヴェルモット王国地下のクロトもまた動き出そうとしていた。
長く身を隠し、奴隷となった魔族達を見据える事しか出来なかったクロトの我慢も限界だったのだ。
シャルルの傷も全快し、目も覚ました。故に、ここが動き出すタイミングだとキエンも判断した。
屈伸運動を繰り返すクロトは、真剣な眼差しで息を吐き出す。そして、決意を決めた様にシャルルへと目を向けた後にキエンを見据える。
クロトのその赤い瞳に、キエンは小さく頷いだ。茶色の短い髪を左手で掻き揚げ、キエンは立ち上がる。
その物音にシャルルは顔を上げ、小首を傾げる。何が起こっているのか、今の所理解はしていなかった。
「あ、あの……お出かけですか?」
シャルルが不思議そうにそう尋ねる。
シャルルには話していないのだ。これから、クロトとキエンが行おうとしている事を。
その為、シャルルは何処か不安そうな顔をしていた。感覚が鋭いのだろう。クロトとキエンが行おうとしている事を直感的に気付いているのだ。
そんなシャルルへとクロトは微笑する。目の見えないシャルルには無意味な事だが、それで空気が少しでも和めば良い、そう思い行った行動だった。
クロトのその行動にキエンは訝しげな表情を浮かべ、呆れた様に息を吐く。
しかし、そんなキエンの気持ちとは裏腹に、シャルルの表情はパッと明るくなり、安堵した様に微笑する。まるで、クロトの笑顔がシャルルには見えている様だった。
聊か疑問を抱いたキエンだが、シャルルには何か特別な力があるのだろう。と、鼻から息を吐き出し頷いた。
クロトはシャルルの頭を優しく撫で、静かに告げる。
「ちょっと、俺達は出てくる。ここで大人しくしてろよ?」
優しくクロトがそう言うと、シャルルは小さく頷いた。
「はい。私、大人しくまってます」
無垢な笑みを向けるシャルルに、クロトも優しく微笑み静かにその手を頭から離す。
だが、振り返ったその瞬間にはもうクロトの表情に笑みは無く、静かな口調でキエンへと呟く。
「行こう」
と、短く。
その言葉にキエンは小さく頷き、「ああ」と返答し歩き出した。
クロトはその後へと続き歩き出し、次の瞬間右手に魔剣ベルヴェラートを召喚していた。金色の鍔が輝き、美しい刃が姿を見せる。
明らかに魔力の質が変化した事に、キエンは薄らと恐怖を感じた。それ程、クロトの魔力が恐ろしく純度が高かったのだ。
闇の中をゆっくりと歩んでいると、不意にベルが言葉を発する。
『どうかしたのか? 珍しく、魔力が荒れているが?』
「なんでもないよ」
静かに返答するクロトに、ベルはやはり違和感を感じる。
いつものクロトならもっと明るく答えるはずだが、その返答の声に殆ど感情を感じなかったのだ。
久しぶりに呼び出された為、ベルは状況を把握出来ていなかった。その為、暫く成り行きを見守る事にした。
静かに歩むクロトとキエン。二人の足音だけが静かに響いていた。
なれた足取りで足元の穴を飛び越え、ようやく二人は目的の場所へと辿りつく。薄らと光の差し込む先へと赤い眼差しを向けるクロトは、深く息を吐き出した。
遅れて、キエンも気合を入れる様に息を吐き出し、クロトへと振り返る。
「もう一度確認するぞ」
「ああ」
キエンの言葉に感情を押し殺したクロトが短く答える。その答えに、キエンは僅かに眉間にシワを寄せた。
二人の視線が交錯し数秒、ようやくキエンは口を開く。
「いいか。俺達がする事は、無闇矢鱈に人を殺す事じゃない」
「ああ。俺らがするのは、班長を捕らえる事」
「そうだ。あの場所では、数十の兵と束ねる班長と呼ばれる者が居る。ソイツさえ捕らえれば、兵は統率を失い機能しなくなる」
キエンが右腕を上下に揺らしながらそう言うと、クロトは小さく頷く。
「分かってる。だが、向こうが襲ってきた場合は――」
「その場合は戦闘は致し方ない。だが、殺すな。いいな」
「ああ……分かってる。分かってるけど……」
一度瞼を閉じたクロトが、ゆっくりと瞼を開きキエンを見据える。怒りが滲み出るその瞳は薄らと赤く輝いていた。それは、クロトの目が涙で潤んでいたからだ。
その眼差しにキエンは静かにクロトの肩を掴む。
「お前の気持ちは痛いほど分かる。だが、お前がここで兵を殺したら、結局、ソイツらとやってる事は一緒だ。
俺達がするべき事は捕らわれた魔族を解放する事だけだ」
真っ直ぐに目を見てそう告げたキエンに、クロトは唇を噛み締めると瞼を閉じる。
そこでようやくベルも状況を理解し、静かにクロトにだけ告げる。
『お前は人を殺していい奴じゃない。今までだってそうだ。お前は、人を助ける為に力を使ってきた。
だから、今回もそうしろ。結果、人をあやめる事になるかもしれない。だが、誰かを壊す為に力は使うな』
ベルの言葉が頭に響き、クロトは小さく何度も頷く。その言葉が温かく、本当に自分の事を思っているのだと、クロトには分かった。
それから、数分後、クロトとキエンは飛び出す。光の差し込む壁をぶち破って。
最初に飛び出したのはキエン。壁が破壊される音で、労働を強いられる魔族が振り返り、周囲に居た兵が声をあげる。
「な、何者だ!」
だが、その刹那、キエンは跳躍すると一気にその兵士との間合いを詰め、側頭部へと蹴りを見舞う。鈍い打撃音が響き、一発で兵の意識を刈り取る。
その物音に、他の兵達もすぐに集まり、一帯は騒動となっていた。
奇妙な機械を人力で動かす魔族や、鎖で壁につながれる魔族は、キエンの登場に僅かながら希望をその目に宿す。
しかし、その希望が絶望へと変る。
「一体、何の騒ぎだ? 我を白銀の騎士団“爆拳”グラスと知っての狼藉か?」
そこに姿を見せたのは、二メートルの巨体を揺らす男だった。鋼鉄の手甲を両手にしたグラスと名乗る男は、右目に眼帯をし短い黒髪を左手で掻き毟る。
鋭い眼差しを向けるグラスに、キエンの表情は引きつった。
「マジか……聞いてねぇよ。白銀の騎士団の異名持ちが居るとか……」
明らかに険しい表情を見せるキエンは、半歩下がる。
「何だ? 貴公は?」
「俺はキエン。悪いが、ここヴェルモット王国で行っていた悪行の数々――ッ!」
キエンが全てを言い終える前にグラスの右拳が振り下ろされた。紙一重でキエンは後方へと飛び退く。だが、振り下ろされたグラスの拳が地面へと直撃すると同時に、激しい爆発が起こる。その爆発により激しい衝撃が生み出され、キエンの体は後方へと弾かれた。
「ぐっ!」
飛び交う大小様々な砕石がキエンの体を襲い、皮膚が裂け鮮血が迸る。
地面は岩肌が鋭く、横転するキエンの体は傷だらけになり、血が点々と滴れていた。
「ギリギリでかわした様だが、我の拳から逃げられると思うな」
不適な笑みを浮かべるグラスに、体をゆっくりと起こしたキエンは苦痛に表情を歪める。
その時、キエンから遅れてそこへと姿を見せたクロトが、一気にグラスとの間合いを詰め懐に入り込んだ。
「グラス殿!」
兵の一人が声を上げ、グラスもようやくクロトの存在に気付く。
「きさ――一体、何処から!」
顔を右へと向けそう声をあげるグラスに、キエンは苦笑し呟く。
「テメェの右側は死角だろうが……」
そう、クロトが懐に入り込むまで気付かなかったのは、クロトがグラスの死角である右側から突っ込んできたからだった。
「くっそが!」
右足を退き、クロトを体の正面に捉えたグラスが右拳を振り上げる。だが、その瞬間、クロトはグラスの右側へと回りこんだ。それにより、またグラスはクロトの姿を見失った。
そして、クロトは剣を返しその体へと剣を振り抜いた。