第130話 違和感
ティオの作戦通り、ケルベロスは壁を破りヴェルモット王国への侵攻に成功していた。
だが、事は予期せぬ方向へと進んでいた。
「な、何だ! これは!」
驚き声をあげるケルベロス。
血に染まった雪原が、そこには広がっていた。
シンシンと降り注ぐ雪が、山の様に重なった人の残骸を覆い隠す様に積もる。しかも、漂う血の臭いは生臭く、今、まさにここで皆殺しにされたのだと分かる。
獣魔族であるルーイットはその臭いに鼻を摘み、眉間には深いシワがよっていた。嗅覚が他よりも優れている為、ルーイットは一層キツイ臭いを感じていた。
険しい表情を浮かべるティオは、積み重なった屍の前に右膝を落とすと、静かにその肉体に触れる。すでに肉体は冷たく凍り付いていた。その為、ティオは静かに瞼を閉じると、唇を噛み締める。
白装束でその場を静かに歩き回るファイは、この残骸に異様なモノを感じていた。まるで抵抗など無く殺されている様に感じていたのだ。
そう感じた理由は、殺された彼らが武器を手にしていないからだった。これ程激しく血が散乱していると言う事は、相当凄まじい惨劇だったはずなのに、どうして武器を抜かなかったのか。その疑問からファイは妙な胸騒ぎを感じていた。
黒いコートを纏ったケルベロスは、頭に被っていたフードを剥ぐと、静かにティオの後ろへと足を進める。
「どうだ?」
「一太刀で絶命と、言った所でしょうか?」
「剣によるモノか? それとも――」
「恐らく……剣によるモノかと」
ケルベロスの問いに、ティオは静かに答えた。そして、遺体に触れていた右手を離すと、静かに立ち上がる。
酷く落ち込むティオの肩を、ケルベロスは右手で掴み、静かに口を開く。
「落ち込んでいる場合じゃないだろ。今はどうしてこんな事になったの――!」
ケルベロスは息を呑み、ティオ、ファイも同じく臨戦態勢へと入る。僅かに聞こえた足音と、微かに漂う強者の気配を感じ取ったのだ。
一方、鼻を摘み、耳をフードで完全に覆っているルーイットは、そんな三人の様子にわけが分からずオロオロとしていた。獣魔族としての機能を失っているルーイットには全く期待などしていないケルベロスは、大声で叫ぶ。
「下がれ! ルーイット!」
「えっ? な、何? 一体、何?」
オロオロとするルーイットは慌てて言われたとおりに下がる。それとほぼ同時に、それは起こった。
激しい地響きと共に地面が爆発、積雪もろともと山積みになっていた屍を弾き飛ばした。
その衝撃により宙へと投げ出されるケルベロスとティオの二人。
一方、ファイは瞬時にルーイットの前へと体を居れ、その手に魔力を込める。一瞬の判断だった。この中で今、一番守らなければならない存在が、彼女だと言うファイの直感。
何故、そう思ったのかはファイ自身も分からない。ただ、今回の爆撃がまるでルーイットを後方へと導く為の伏線の様にファイは感じたのだ。
直後だった。白く染まった木々の合間に何かが煌き、怒号が轟いたのは。遅れて、大気を裂く衝撃が積雪に一本の太い線を描き、ファイへと――いや、ルーイットへと目掛け直進する。
胸の前で手を叩いたファイは大きく息を吸い、
「アイスロック!」
両手を前方へと広げ、冷気を込めた息を噴出す。すると、ファイの目の前に巨大な氷の塊が生み出され、それが、衝撃を受け止めた。
澄んだ綺麗な音が響き、氷の塊が砕ける。完全に押し殺した衝撃は静かな風となり、ファイの長い空色の髪をなびかせる。そんな冷たい風をファイの後ろで受けたルーイットは「くしゅん」とクシャミをすると、目を細め唸り声を上げた。
「な、何なの? 一体?」
「いいから、私の傍から離れないでください」
視線は正面に向けたまま、ファイは強い口調でそう言い放った。目的が何なのか分からないが、狙いがルーイットである事だけははっきりとした。
空中へと投げ出されたケルベロスは拳へと蒼い炎を灯すと、近くを舞っていた遺体をその手に掴む。
「すまんが、火種になってもらう!」
「なっ! そんな、死人になんて事を!」
ティオがそう声をあげるが、ケルベロスは遺体を蒼い炎で包むと、森へと向かって投げつける。
ケルベロスも死んだ者に対して、こんな事はしたくないが、状況が状況だった。その為に行った行動に、ティオは怒りをその顔に滲ませる。
蒼い炎に包まれた遺体は森へと落下。そして、一気にその炎を木々へと広げる。黒煙と蒸気が混ざり合い湧き上がる中、ケルベロスとティオはようやく地上へと降り立った。
残骸が降り注ぐそんな中で、二人は睨み合う。いや、ティオが一方的にケルベロスの胸倉を掴みその鋭い眼差しを向けていた。
「何故、あんな事が出来るんですか! 人間とは言え、彼は死人! ちゃんと弔うのが礼儀じゃないですか!」
声を荒げるティオに対し、ケルベロスはその視線をティオの肩越しに森の方へと向けていた。正直、今、ティオの相手をしている余裕などなかった。
自分と目を合わせないケルベロスに対し、奥歯を噛み締めるティオは、その手を離すと静かに森の方へと体を向けた。
「いいですか。この件については後でキッチリと責任を取ってもらいます」
「ああ。構わん。まずは目の前の敵だ」
二人の視線を浴び、蒼い炎で燃える森の中から一人の男がゆっくりと足を進める。炎の熱で足元の雪が溶け、歩くたびに水音が響き泥が僅かにズボンの裾へと跳ねていた。
蒼い炎の明かりに照らされ、逆立てた赤い髪が不気味に輝く。白銀の胸当てをし、純白のコートを羽織っている事から、彼が白銀の騎士団のメンバーだと気付き、二人の警戒心は一層強まる。
異様な空気を放つその男はその手に一本の大剣を転送し、その切っ先を地面へと引き摺っていた。
「貴様らか……」
静かな声がそう告げる。穏やかだが、何処か怒気の篭ったその声に、空気が僅かに張り詰めた。
ピリ付く空気に、ケルベロスは両拳に灯した蒼い炎の純度を上げる。
その隣りに並ぶティオは、背負っていた盾を左手に持つとその盾に納まっていた剣を抜いた。緊迫した空気の中で、その男の黒い瞳が静かに二人を見据える。そして、鼻筋にシワが寄り、目付きは一気に鋭く変った。
「貴様らが! 俺の部下達を!」
踏み込まれた右足へと全体重を乗せ、地を蹴る。爆音が轟き、激しい後塵が舞った。
前傾姿勢でその大剣を地面に引き摺りながら間合いを詰める男に、まずティオが前へと出る。左手に持った盾を体の前に構えた。
相手の攻撃に備えた防御の姿勢。だが、刹那、その盾が男のいつ放たれたか分からない大剣での突きで大きく後方へと弾かれた。
「くっ!」
「退け! ティオ!」
後方へと僅かに仰け反るティオの肩を掴み、強引に後方へと引っ張ったケルベロスが、そのまま前へと出る。男は大剣を突き出し、その身は無防備になっていた。この隙をケルベロスが見逃すはずがなかった。
右足を踏み込み、煌く蒼い炎に包まれた左拳を振りかぶる。大きく捻られた上半身が弾丸を放つかの如くその拳を放った。
しかし、その拳はかわされ、男の左頬を僅かに掠めただけだった。
「くっ!」
一撃をかわされたケルベロスはすぐに左足を踏み出すと、そのまま体を反転させ、足元に積雪を巻き上げ男の背中を見据える。
一方で、男も突き出した剣の切っ先を地面へと突き立て、勢いを付けたまま身を反転させ、ケルベロスへと体を向けた。
そんな男の背後ではケルベロスによって後方へと引き倒されたティオが大きく転げ、雪塗れになっていた。
「くっ……い、いきなり、何するんですか……」
目を細め、ティオは雪を払いながら立ち上がる。そして、男の背中へと武器を構えた。
「番犬ケルベロス……何故、貴様がここに居る」
低音の静かな声でそう述べた男に、ケルベロスは訝しげな表情を向ける。見覚えはないが、その身にまとう空気にケルベロスは口にする。
「お前……まさか、白銀の騎士団の異名持ちか……」
「ああ。貴様の言う通り、俺は、白銀の騎士団“断絶”のギーガ。我が剣は、一太刀で相手を絶命させる」
その言葉にケルベロスは先程の遺体を思い出す。
それは、ティオも同じだった。あの光景、そして、無抵抗な彼らの姿。その事から導きだした答えに、険しい表情を浮かべる。
「貴様! まさか、自分の部下に手を――」
「何を馬鹿な事を言う。俺が、ここに来たのは今しがただ。貴様らこそ、俺の家族である部下を殺してただで済むと思うな」
明らかな矛盾に、ケルベロスもティオも何か違和感を覚える。まるで、何か見えざる者の手の上で上手い具合に動かされている、そんな感じがしていた。