第13話 商人エリオス・ミィ
「自分の名前は、エリオス・ミィッス」
甲板の中心で、右手で胸をポンと叩きながらミィはそう自己紹介した。
そこで、クロトは初めてミィが女なんだと気付いた。操舵室から睨みを利かせるケルベロスも僅かに驚いた表情を見せたが、それを隠す様に一層睨みを利かせる。
淡い朱色の髪を揺らし、「エヘへ」と無邪気に笑うミィに、セラは「やっぱりぃ」と、胸の前で一度と手を叩き、嬉しそうに笑う。何処をどう見てミィを見て女の思ったのか、クロトは疑問に思ったが、それはきっと女の直感なのだろうと、小さくため息を漏らした。
「私はセラ。よろしくね」
と、セラがミィの右手を両手で握り締め、嬉しそうに上下に振る。「よろしくッス」と、引きつった笑みを浮かべるミィの視線が僅かに操舵室の方へと向けられた。その視線にセラは体を操舵室の方へと向け、右手をケルベロスの方へ伸ばし、
「あれはケルベロス」
と、ニコヤカに紹介する。その言葉に、ミィの体がビクッと飛び上がった。
「け、ケルベロス! あ、あの番犬ケルベロスッスか!」
驚きの声を上げたミィは、操舵室に居るケルベロスに目を向け、唇を震わせる。そして、ケルベロスと視線が合うと、両手で頭を抱え込み、甲板の隅で蹲り「こ、殺されるッス! 殺されるッス!」と何度も連呼する。それ程まで、ケルベロスは人間達の中で恐れられているのだ。
ミィの反応に、クロトは右手で頭を掻きながら操舵室へと目を向けるが、その頃にはもうケルベロスの視線は海の方へと向けられ、自分には関係ないと、言わんばかりの態度を見せていた。
確かに、クロトにとってもケルベロスは怖い程の奴だが、それでもミィが怯える程のモノじゃない。彼が人間に対し、どの様な事をしたかは分からないが、初めて会った時の事を思い出すと大方の予想はついた。
怯えるミィに対し、セラは優しく微笑みながら、「大丈夫大丈夫」と言い聞かせる。セラの優しい声に、ミィは恐る恐る振り返り、セラの優しい笑顔にパァッと明るい表情を見せ、「セラが言うなら安心だ」と幼さの残る無邪気な笑顔を見せた。その笑顔を見ると、ミィもまだ幼い子供なのだとクロトも理解した。
「あとね。彼がクロトだよ。異世界から来たんだって」
「へぇー。異世界から……」
腕を組み微笑ましい光景を見ていたクロトに二人の視線が向けられた。セラの説明に納得がいかないとでも言いたげに、ミィはマジマジとクロトを見据える。
確かにクロトの着ている学生服はこの世界には無い不思議な服だったのだろう。ミィは疑いの眼差しを向けながらも、その服装に不思議そうに首を捻った。そんなミィの視線に、ジト目を向けたクロトは、「異世界って……」と呟き右手で頭を掻く。クロトからすれば、このゲートと呼ばれる世界の方が異世界だからだ。
とりあえず、ミィに対し笑って見せるクロトは、今度は困った様に右手で頬を掻いた。特に子供が苦手と言うわけでもなかったが、こんなに疑いの眼差しを向けられてどう対応して良いのか分からなかった。
「ほらほら、クロト。クロトも何か言ってよ」
「え、えっと……クロトです。よろしく」
「むーっ。ホントに異世界から来たんスか? 全然そんな風に見えないッスよ?」
疑いの目を向けるミィが、ついに本音を告げた。その言葉にクロトは僅かに表情を引きつらせ苦笑すると、セラの方へと視線を向けた。だが、セラはそんなクロトの視線には気付かず嬉しそうに鼻歌を歌っていた。
疑われても、それを証明するすべなど――と、小さくため息を漏らしたその時、クロトは自分のズボンのポケットにある、ある物を思い出し、
「これで、異世界から来たって証明にならないか?」
と、ポケットに右手を突っ込み、手の平サイズのそれを取り出すと、ミィの目が輝く。
「な、なな、なんスかそれ!」
手の平に乗った小型機器、携帯電話に声をあげる。クロトが唯一持って来ていたモノだったが、正直ここでは何の意味も無いモノだろう。防水加工がされている為、とりあえず正常に機能していたが、アンテナは立っていない。
クロトの手から携帯を取ったミィはそれを観察する。「何スか何スか」と、興味深々に声を上げるミィにクロトは苦笑し、セラの方に顔を向けると、セラもその瞳を僅かながら輝かしていた。
「ねぇねぇ。これって、どう言う道具なの? 武器? 武器?」
両肩を掴み、目を輝かせながら問うセラに、クロトは視線を逸らしながら、「武器じゃなくて、機器な」と、小さく呟いた。その声はセラに届かなかったのか、「ねぇねぇ、武器なの?」と何度も体を揺すりながら聞く。
頭を前後に揺らされるクロトの顔色が徐々に青ざめていく。激しく揺さぶられた為、酔ったのだ。「うっ」と、声を漏らすとセラも異変に気付き手を放し、「きゃーっ! クロト!」と声をあげ慌てだす。手すりに捕まり海に向かって上半身を投げ出すクロトは、暫しそのままダウンした。
「だ、大丈夫? クロト……」
クロトの背中を擦りながらセラが尋ねる。返答は無く、「ううっ」とうめき声が返って来た。
「はうっ」と声を漏らしたセラは、携帯電話を興味深々に弄るミィの方に顔を向けた。「うわっ、なんスか」と、驚きの声を上げながらカシャカシャと音を鳴らせる携帯と格闘するミィは、その視線に気付き、セラの方に顔を向けると、
「何スか? どうかしたんスか? クロトは?」
セラの後方でうな垂れるクロトを気にしながら問うと、苦笑しながら「酔ったみたい」とセラは答えた。そんなセラの言葉にミィは「うーん」と声を上げると、甲板に座り足元に置いたリュックの中をあさる。
「確か、自分酔い止め持ってるッスよ?」
「えっ? 本当に?」
「商人ッスから! 当然ッスよ」
エヘへと、照れ笑いをセラに向け、リュックから右手を出す。その手には茶色の小瓶が握られ、その中に小さな黒い粒が詰められていた。初めて見るその物体に、眉間にシワを寄せるセラは、ゆっくりとミィの方に顔を向ける。
「こ、これが、酔い止め? 何か体に悪そうだけど……」
「そんな事無いッスよ? けど、魔族に効くかは分かんないッス。調合は、人間用ッスから。でも、見た感じ、クロトもセラもあと、け、ケルベロスも、人間に近いッスから」
ケルベロスの名前の時だけ小声で言うと、操舵室に居るケルベロスの方にチラチラと視線を向けていた。ケルベロスには聞こえていないはずだが、そのミィの視線に気付き鋭い眼差しを向けていた。その視線に「ひぃ」と声をあげ、すぐにセラの後ろへと隠れる。
「コラ! ケルベロス!」
操舵室の方へ向かって声を上げるが、ケルベロスは視線をすぐに逸らし聞こえていないかの様に操縦を続ける。腕を組んだセラは、「全く」と呟きため息を吐くと、ミィの方に体を向け、
「大丈夫? ケルベロスは、いつもあんな感じだから、気にしなくていいよ?」
「そ、そうなんスか? 怖過ぎッスよ」
セラの体越しに操舵室に居るケルベロスを見るミィは、ブルブルと体を震わせた。
そんなやり取りが行われている中、クロトは甲板へと体を戻すと、そのまま壁にもたれたまま甲板の上に座り込んだ。酔いは酷く頭痛と吐き気で、その場から動く気力すら失われていた。
「あうっ……」
「わっ! く、クロト! み、ミィちゃん。これ、ちょっと貰うね?」
と、ミィの手から小瓶を取ったセラは、苦しむクロトのもとへと駆け出した。小瓶を奪われ「あっ」と声を発したミィは、すぐにセラの背中に向かって、
「一日一粒ッスよ? それ以上飲んじゃダメッスからね?」
「分かったー」
振り向かずそう返事をしたセラを見据え、「ふぅ」と息を吐いた。
「ではでは、自分はコイツの観察を再開するッス」
と、クロトの携帯へと目を向け、えへへと、笑いながら両手でボタンをプッシュしていく。
うな垂れるクロトのもとに駆け寄ったセラは、ミィから受け取った小瓶のフタをあけた。その瞬間激臭が広がり、「ぬわっ!」と、声をあげたセラは思わず小瓶を放り投げてしまった。フタの開いた小瓶がクルクルと空中を回転する。その真下でうな垂れ空を見上げるクロトが、口を半開きにして苦しそうに肩を揺らす。セラは「あっ」と声をあげ、右手を伸ばすが、時は遅かった。小瓶は見事に半開きになったクロトの口へと吸い込まれる様に突き刺さる。
思わず激臭に目を見開く。それと同時に口の中へと大量の粒が流れ込んできた。
「んごんご!」
呼吸が出来ず、クロトは目を白黒させながら両手両足をジタバタと激しく動かす。呆然としていたセラは、そのクロトのうめき声に、慌てて口に入った小瓶を抜くが、その中身はすでに空っぽで、クロトは白目を向いたまま、口から泡を噴き動かなくなっていた。