第128話 ヴェルモット王国の真実
アレから二日ほどが過ぎた。
傷付き、弱々しかったシャルルの呼吸もようやく安定し、静かな寝息だけが闇に溶け込む。
クロトをこの場所に導いてくれたのは、同じ受刑者で名前はキエンと言う若い男だった。歳は二十代前半ほどに見え、落ち着きがあった。赤い瞳からキエンが魔族である事はすぐに分かった。
しかし、一体何者で、ここで何をしているのかは未だ聞けずに居た。
暫くし、闇の中に人の気配を感じ、クロトは顔を上げる。右目が僅かに魔力を帯び、闇に薄らと魔力を帯びた人の姿を映し出す。
「キエンか?」
「あぁ。相変わらず、魔力感知能力が高いな」
クロトの言葉に、穏やかなキエンの声が返って来た。
そして、静かに笑うと、横たわるシャルルの傍に腰を下す。
「大分、落ち着いたようだな」
「えぇ。あなたのお陰で助かりました」
深く頭を下げたクロトは、静かに息を吐くと、意を決した様に尋ねる。
「キエンさんは、一体、何者ですか? 何故、こんな所に? それに、何でこのリングの外し方を?」
次々とクロトの口から述べられる問いに、キエンは短い茶髪を右手で掻き毟る。
「待て待て。落ち着け。まず、一つずつ行こうか?」
困った様に笑うキエンが、そう告げ肩の力を抜く。そして、穏やかな眼差しを向け、落ち着いた面持ちで語る。
「一応、名前は教えた」
「はい。キエンさんですね」
「俺も、お前がクロトだって言う事と、彼女がシャルルだって事は聞いた。とりあえず、お互いの事を知る為にももう少し詳しい自己紹介が必要だろ」
キエンが右腕を軽く上下に揺らしながら、そう言う。キエンは話す時によくこの様に腕を上下させる事があった。キエン本人は無意識に行っている行動らしく、幼い頃からのクセなのだと、出会った時に聞かされた。その為、クロトもその行動を気に留める事はなかった。
腕を軽く上下に揺らしながら、キエンは更に言葉を続ける。
「まずは、俺からだな。俺はキエン。一応、獣魔族だ。と、言ってもその血は四分の一、クォーターって所だな」
肩を竦め、キエンは苦笑いする。
クォーターと言われ、クロトは色々と理解した。赤い瞳なのに、魔族特有の耳への変化がなかった事も、魔力が希薄な事も、全て魔族としての血が薄くなっているからなのだと。
複雑そうに眉をひそめていると、キエンは右手をクロトへと差し出した。
「じゃあ、次はおたくの紹介してもらおうか? 何をして捕まったのか、とかも聞きたいかな?」
「ちょ、ちょっと待てよ。俺は聞いてないぞ? キエンが捕まった理由」
「まぁ、それはいいだろ? とりあえず話せ」
威圧的なキエンの声に、クロトは息を呑む。切れ長の眼の奥に輝く赤い瞳に、クロトは僅かな殺気を感じた。
静寂が場を包み込み、クロトは額から薄らと汗を流す。緊迫した空気の中で、キエンは促す様に更に言葉を告げる。
「さぁ、答えろ。お前の事を」
これは、答えなければならない。そんな錯覚に陥り、クロトはゴクリと唾を飲み込み、静かに答えた。
「お、俺は……クロト。一応、魔人族……て、事になってる。彼女はシャルルで、龍魔族だ。
ここに来たのは、彼女を助ける為だ。まぁ、その過程で捕まったって事だ」
簡潔に自分がここに来た経由をクロトが話すと、キエンは右手を口元へとあて呟く。
「そうか……」
渋い表情のキエンに、クロトは訝しげな表情を浮かべる。
「で、キエンはどうしてここに? 俺も教えたんだから、教えてくれるんだろ?」
真剣な表情でクロトが尋ねると、キエンは右腕を上下に揺らしながら「ふむっ」と息を吐いた。
そして、ゆっくりと手を組むと、唇を噛み締めた後に告げる。
「まぁ、いいだろう。俺がここに来たもお前と似たようなモノだ。俺もある人物を探してここに来たんだが……」
キエンの眼差しが明らかにクロトでは無く、横たわるシャルルへと向けられる。
その眼差しの動きにクロトは異変を感じ、眉をひそめた。
(何を考えてるんだ? この人は……)
と、クロトは目を細める。
疑念を抱くクロトに気付いたのか、キエンは立ち上がり、顎で立てと合図を送った。
薄暗い中で僅かにキエンのその動きが見え、クロトは怪しみながら静かに立ち上がる。すると、キエンは静かに背を向け、歩き出した。その背中は言っている。俺の後について来いと。
その為、クロトは静かに立ち上がり、横たわるシャルルの体を跨ぎキエンへと続いた。
薄暗い洞窟の中をひたすら歩む。クロトは壁に右手を着け手探りで進むが、キエンは慣れているのは全く壁に手を着く事無く足を進める。
「ああ。そこ、気をつけろよ」
キエンがひょいと大股で一歩踏み出すと同時にそう声をあげる。何故、そう言ったのかクロトは分からず足を進め、キエンが大股で跨いだ位置で足を止めた。
踏み出した右足が空に浮いている感覚がしたのだ。
(ここって……)
クロトは目を凝らし足元を確認する。だが、幾ら目を凝らしても底が見えず、眉間へとシワを寄せた。
すると、足を止め振り返ったキエンが指を差し告げる。
「そこ、底なしだからな」
「…………シャレ?」
「いや、シャレにならん位の底なしだ。間違いなく命を落とすぞ」
キエンの言葉に呆れていたクロトだが、その口振りからそれが事実だと悟り、背中に冷や汗を掻いた。
引きつった笑みを浮かべ、クロトは大股でその場所を跨ぐと、深く息を吐きキエンに続いた。
(マジでシャレにならない場所だな……)
目を細め、一層辺りを注意するクロトは不意に思い出す。
(あっ! 俺、魔力使えるんだった……)
そう思い、クロトは左手の人差し指へと魔力を圧縮し、赤黒い炎を灯した。炎の明かりに照らされ、僅かに周囲の状況が見て取れた。道幅は広くも無く狭くもない極普通の道だった。だが、足元は明らかに危険だった。足場が悪いとか言う問題ではなく、殆ど底の見えない場所ばかりだった。
そんな中を悠然と進むキエンの凄さを改めて理解する。それと同時に、何故キエンがこれ程危険な場所に居るのか気になった。
僅かな水音が響き、その中を二人の静かな足音が響く。
暫く足を進めたキエンはゆっくりと足を止めた。僅かに漏れる光にクロトは左手の人差し指に灯していた炎を消し、足早にキエンに近付いた。
「一体、何が――」
「シッ!」
クロトの言葉を遮るようにキエンは右手の人差し指を口元へとあて、そう声をあげた。その動作に、口を噤んだクロトは、訝しげに眉間にシワを寄せ小さく首を傾げる。そして、恐る恐るその光の差し込む隙間を覗き込んだ。
隙間の向こうから僅かに響いてくる鉄の擦れ合う音。それに遅れて、呻き声に何かがしなる音と皮膚を裂く様な痛々しい音が響く。
眩い光の向こうに映る残酷な現実。そこに広がっていたのは、血に塗れた魔族が労働させられる姿だった。いや、労働と言う度を越す残酷なモノだった。
魔人族はその体から無理やり魔力を搾り取られやせ細り、獣魔族はひたすら滑車を回す。その重々しい滑車は不気味に軋み、連動するように更に大きな滑車を動かしていた。
中でも一番酷いの龍魔族だった。皆、体の一部を失っていた。ある者は目を、ある者は腕を、ある者は脚を。一体、ここで何が行われているのか、クロトには理解出来なかった。
ただ、分かる事は、この国で行われている事は残忍で恐ろしい事だと言う事だけだった。
瞳孔を広げ、怒りを滲ませるクロトは、唇を噛み締めその体から僅かに魔力を迸らせる。しかし、その刹那、クロトの喉元をキエンが右腕で押さえ込み、クロトの体を後方へと引き倒した。
「う――んっ!」
声をあげようとあげようとしたクロトの口へと、キエンは左手を宛がい、険しい表情でクロトに顔を近づける。
「バカか! こんな所で魔力を解放するな! お前も、ああなりたいのか!」
消え入りそうな程押し殺した声でキエンは告げる。その目は血走り、額には脂汗が浮かんでいた。それでも、クロトは納得できず、鋭い眼差しを向け、右目へと魔力を込める。
しかし、その瞬間、プツリとクロトの魔力が途切れた。まるで遮断された様に何も感じなくなり、クロトは驚きに目を丸くする。
「悪いが、ここでバレるわけには行かないんだよ」
キエンが静かに謝る。その手がクロトの首から離れ、クロトの首には金色のリングが繋がっていた。それは、魔力を押さえ込むあのリングだった。
仰向けに倒れるクロトは、堅く瞼を閉じる。噛み締めた奥歯が軋み、閉じた瞼には涙が湧き上がる。
「この国は狂ってる。だが、今は何も出来ない。お前にこれを見せたのは、協力して欲しいからだ。だから、今は堪えてくれ……」
キエンが壁に背を預け、立てた右膝を両手で抱きかかえる。その肩が僅かに震え、その目は潤む。彼もまた、必死に堪えているのだ。この状況にひたすら。