第122話 ルーイットの秘密
静寂が地下牢を支配していた。
信じられない事だった。
三大魔王の中で一番温厚で、誰よりも魔族の事を考えているデュバルが、その様な奇行にでるなどと誰が信じられるだろうか。
険しい表情を浮かべるケルベロスは、鼻筋にシワを刻み込み、鋭い眼差しを壁へと向ける。
ルーイットもそんな話信じられないと、眉間にシワを寄せ困った様な表情を浮かべていた。
一方で、ファイは落ち着いた面持ちで小さく頷く。状況は理解した。自分達が捕らわれたのは、デュバルに対する報復の為。だが、何故彼は捕らわれている。それが唯一の疑問だった。彼が竜王の息子ならば、次の王位は彼のはずなのに、彼は捕らわれの身。その疑問をファイは静かに口にする。
「あなたの話が本当だとして……何故、あなたは捕らわれているのですか?」
ファイの問いに対し、ケルベロスとルーイットは驚く。ケルベロスは頭に血が上っていた為、その事に気付けなかった。ルーイットは元々そこまで深く物事を考えていなかった。
驚く二人に対し、ファイは呆れた表情で息を吐き、もう一度静かに尋ねる。
「それで、どうしてなんですか?」
ファイの声に、壁の向こうでふっと息を吐く声が聞こえた。そして、静かな声が返ってくる。
「私は元々、純粋な龍魔族ではありません」
「――!」
その言葉に誰もが驚いた。純粋な龍魔族以外は龍魔族ではないと言うほど、この国は龍魔族の地位は高い。そんな中で、まさか竜王の息子が龍魔族以外の血を引いているなどとは思ってもいなかった。
まさかの発言に呆然とする三人に対し、隣りの牢屋から声が響く。
「国の者達は、私がハーフだと言う事を知りません」
「だ、だろうな……俺達ですら知らなかったわけだし……」
ケルベロスがそう呟くと、壁の向こうでクスッと笑う声が聞こえた。そして、また語り出す。
「父は一人の女性を愛しました。それが、人間であり、私の母です」
「待て! じゃあ、お前は……」
「はい。私は人間との間に生まれました。残念ながら、私は第三王子。王位を受け継ぐだけの資格はありません」
その言葉にケルベロスは悟る。王位を継いだのはこの男の二人の兄のどちらか。そして、その王位を継いだものは、彼の出生を知っていると言う事だった。
表情一つ変えないファイは、その声の主に静かに尋ねる。
「捕らわれているのは、あなたが人間の血を引いているから……だけですか?」
意味深なファイの言葉に、その場に沈黙が流れる。その空気が物語っていた。理由はそれだけではないと。その為、三人は複雑そうに壁を見据えていた。
暫しの沈黙が続き、やがて深く息が吐き出され、声が響く。
「えぇ……。理由はそれだけではありません。私は正直、この国の者達からは嫌われている存在。
その上、父の遺体の第一発見者は私。兄達は、全てを私の責任にしたいのだと思います」
「まぁ、そうだな。魔王デュバルを相手にするのは避けたいだろうし、国の反逆者として穢れた血を引く者を消すには好都合だろうし」
ケルベロスがそう言うと、ルーイットはキッとその顔を睨む。
「ケルベロス! そんな言い方って――」
「いいんですよ。実際、彼の言う通りですから」
ルーイットの声を遮り、壁の向こうから静かな声が聞こえた。覇気の無い声に、ルーイットは両耳を折り曲げ、複雑そうに唇を尖らせる。
だが、ケルベロスはそんなルーイットを無視し、更に質問を続ける。
「それで、お前はどうしたいんだ? 俺達に話しかけたと言う事は、何か考えがあるんだろ?」
「ふふっ……そう……ですね。出来れば……あなた方に助けて頂きたい……」
「残念ですね。私達は魔力を抑えるリングで腕を拘束されています。あなたを助け出すなど、不可能です」
瞼を閉じ当然と言う様にファイが告げる。だが、その言葉に対し、壁の向こうで静かに笑う声が聞こえた。
その声に、一瞬だがファイが不快そうな表情を浮かべ、奥歯を噛み締める。
「何ですか? 今の笑いは?」
「いいえ……あなた達、知らないんですか? 彼女の事……」
驚いた様子の声に、ケルベロスとファイの視線がルーイットへと向けられた。ジト目を向けるケルベロスにルーイットは引きつった笑みを浮かべる。何処か不満げなケルベロスは、眉間へとシワを寄せると、低い声で問いただす。
「貴様……何を隠している?」
「な、何をって……な、な、何にも隠してないよ」
ルーイットの目が明らかに泳ぐ。何か隠していると理解したケルベロスは目を細める。
「お前……この期に及んで隠し事か?」
「か、隠しご、事……なんて……」
視線を逸らすルーイットに、ケルベロスは一層鋭い眼差しを向ける。殺気立つケルベロスに、ルーイットは身をちぢ込ませた。そんなルーイットに代わって、壁の向こうから声がする。
「キミが、自分の力の事を隠している理由は分かりませんが、状況が状況なので、私の方から申し上げます」
「えっ! ちょ、ちょっと――もがっ!」
ルーイットが慌てて声を上げる。だが、そんなルーイットの口をケルベロスが遮り、声を上げる。
「ああ。話せ。今すぐに、コイツが隠している事を!」
「んんーっ! もがもがっ!」
ルーイットが呻くが、ケルベロスはその手を離そうとしなかった。
「では、申し訳ないとは思いますが、私が話させていただきます。彼女はキメラと呼ばれる珍しいタイプの獣化を行う事が出来るんです」
「……はぁ? コイツが獣化? 無理に決まっているだろ? 身体能力も、魔力も無いんだぞ?」
訝しげな表情でそう言い放つケルベロスへと、壁の向こうから静かな笑い声が響く。イラッとするケルベロスだが、その声の主が自分の知らない事実を知っている事を配慮し、何も言わず言葉を待つ。
「彼女が身体能力も魔力も弱いのは、そのキメラの所為なんですよ」
「キメラとは何ですか? 普通の獣化と何が違うのですか?」
当然の質問をファイがする。すると、声の主は押し黙り、やがて静かに告げる。
「それは、私には分かりません。ただ、キメラ型は特殊で、普段は能力が格段に下がっている様ですよ」
そう言われてもどうにも信用できないケルベロスは、ジッとルーイットを睨む。すると、ルーイットも観念したのか、もがくのをやめ、力を抜く。そして、膨大な精神力をその体にまとう。
突然の事に、ケルベロスは手を離し、距離を取る。直後、ルーイットの手首についていたリングが弾かれ、その腕が隆々と膨れ上がる。
明らかに変貌を遂げるルーイットの肉体。その姿はすでにルーイットの面影など無く、化物の様な顔、裂けた口から覗く牙、膨れ上がった太股、しなやかな脹脛と、色々な動物を掛け合わせた様な体の構造をしていた。
これが、本当にルーイットの姿なのか、と目を疑うケルベロスは、思わず息を呑んだ。ファイも同じく驚き言葉を失っていた。とても女性とは思えぬその姿に、言葉など出るわけがなかった。
二人の反応に、変貌を遂げたルーイットは肩を落とす。こうなる事は分かっていた。その為、この力を使用したくなかった。特に、知っている者の前では。
拳を握り締めるルーイットは何かを言うわけでも無く、静かにその拳を壁へと叩き込む。壁は軽々と砕け、埃が激しく舞い上がる。
壁に穴が空き、ようやく隣りの牢屋に捕らわれるプルートの息子の姿があらわとなる。オレンジブラウンの髪に、淡い赤の瞳。耳の付け根からは小さな角が見え隠れする。銀色のピアスを右耳につけるその青年は、ルーイットの姿に聊か驚くが、すぐに小さく頭を下げる。
「申し訳ありません。女性であるあなたに、その様な姿になってもらって……」
「いい……別に……」
声質も明らかに濁り、聞き取り難くなっていた。これが、キメラ型の獣化なのか、と表情を険しくするケルベロスは、ギリッと奥歯を噛み締める。何故、嫌がったのか、ようやく理解できたのだ。
しかし、ここで立ち止まるわけにも行かず、青年は静かに立ち上がる。
「私は、竜王プルートの息子ティオです。これから、暫くの間同行させてもらいます」
小さく会釈したティオがニコッと笑った。




