第119話 ルーイットの目的
竜王プルートの納めるグランダース王国王都まで二十キロ程離れた場所に位置する小規模な町にクロト達は宿泊していた。
アレからすでに二週間程が経過し、順調に王都へと進んでいた――はずだった。しかし、それは突然訪れた。
雪崩だ。
山道を迂回せず、直進して進んだ結果、雪崩に巻き込まれ、王都までもつはずだった氷の犬は崩壊。ソリも大破し、四人は仕方なく徒歩でこの町まで辿り着いた。
「どう言う事だ! 王都まで行けるんじゃなかったのか!」
宿の一室で、ケルベロスが怒声を轟かせる。怒りの矛先をファイへと向けたケルベロスの右拳が、備え付けられたテーブルへと叩きつけられた。
痛々しい音が轟き、ベッドに腰掛けるルーイットが思わず目を背ける。紺色の獣耳は完全に閉じられ、ルーイットは恐る恐るその視線をケルベロスへと戻した。
テーブルの前で拳を震わせるケルベロスに対し、向かいの椅子に座るファイがいつもと変らぬ表情でお茶を啜る。感情の読み取れないファイの表情に、ケルベロスは苛立ち奥歯を噛み締める。
空色の髪を右手で掻き揚げるファイは、コトリとテーブルに茶器を置くと、静かにケルベロスへと顔を向けた。
「まさか、雪崩に遭うなどと、誰が想像出来たでしょうか?」
丁寧な口調だが何処か好戦的なファイの言葉に、ケルベロスは鼻筋にシワを寄せる。怒りを滲ませるケルベロスの黒髪が僅かに逆立つ。そして――
「ふざけるな! 貴様!」
と、今までで一番大きな怒声が轟いた。
思わず耳を両手で押さえるクロトは、目を細め、我関せずと窓の外へと目を向けていた。
ケルベロスの怒声で屋根に積もっていた雪が落ち、山の様に積もっていた。深く吐息を漏らすクロトは、その雪の山へと目を向け、失笑する。
ケルベロスとファイはずっとこの調子だった。急いでいた為、クロト達も迂回せずに山道を進む事を了承したが、まさか雪崩に巻き込まれるとは想定外だった。本来なら、こんな場所でぐずぐずとしている場合ではないのだが、最悪な事にこの先雪崩で道が塞がっていたのだ。
その為、クロト達はこの採石所のある町で足止めを喰らっていたのだ。
窓の傍に佇むクロトは、空を見上げていた。暗雲から零れる白雪に、ふと思い出していた。幼馴染の女の子の顔を。
(今、どうしてるだろう?)
複雑そうな表情でクロトは考えていた。以前から感じていた悪い予感が、ここ最近強くなっていた。それは、ゼバーリック大陸での事を思い出した為だった。
レッドは言っていた。異界から英雄が召喚されたと。そして、ゼバーリック大陸の港町ノーブルーで聞いた聞き覚えのある名前。それらの事を考え、もしかするとと言う気持ちが頭を過ぎる。
考えてみればそうだった。あの時、パソコン室の鍵を開けたのはクロトだ。もし、クロトがこの世界に来るのと英雄が召喚されたのが同時期だとすると、あの後パソコン室に来るであろう彼女が、来ている可能性が高い。そう考えていた。
しかし、その考えを払拭する様にクロトは頭を左右に振る。
(そんな事ありえない。大体、アレはたまたまパソコンの電源が入ってて……ゲームが……)
クロトはそこまで考えて疑問を抱く。何故、あのパソコンは電源が入っていたのか、何故、ゲームがついていたのか。色々と気になる所はある。恐らくあの日あの部屋に入ったのはクロトが初めてだろう。なら、誰が何の目的で――。
クロトが様々な考えをめぐらせていると、その顔をルーイットが不思議そうな顔で見据えていた。暫くして、クロトはその視線に気付き、ルーイットへと目を向ける。
「ど、どうかした?」
引きつった笑みを浮かべ、クロトが尋ねる。
すると、ルーイットはうな垂れた耳を持ち上げ、静かに口を開いた。
「何か、考え事? 妙に、怖い顔してたけど?」
「えっ? う、うん。まぁ……そんな所かな」
苦笑し答えると、ルーイットは「そっか」と俯いた。妙に元気の無いルーイットにクロトは眉間にシワを寄せる。
「どうかしたのか? 元気が無いように見えるけど?」
クロトが尋ねると、今度はルーイットが苦笑する。
「ううん。ちょっと……」
「もしかして、この大陸に探している人がいるのか?」
不意にクロトがそう聞く。何故、自分がそんな事を言ったのか、そう感じたのかクロトは分からなかった。だが、クロトのその言葉にルーイットは目を丸くする。
「わ、私……話したっけ? 誰か探してるって?」
「えっ? あぁ……うん。確か、聞いた記憶が……ある?」
「何で、疑問詞?」
「うーん……ごめん。ただ、何となくそんな気がしただけなんだ」
右手で頭を掻き、クロトは正直にそう言う。その言葉に、ルーイットは腰に手をあて「ふっ」と息を吐いた。
「もう……びっくりさせないでよ」
「いや……まぁいいじゃないか。それで、誰を探してるんだ?」
クロトが笑いながら尋ねると、ルーイットは真剣な表情で俯く。
その様子に怒鳴り散らしていたケルベロスも気付き、思い出した様に声をあげる。
「そう言えば、一緒に居る理由をまだ聞いていなかったな?」
「…………」
ケルベロスの向かいに腰掛けるファイはジト目を向け、静かにお茶を啜る。
テーブルへと腰を下ろすケルベロスは、訝しげな表情をルーイットへと向けた。
「お前、何でクロトと一緒に居るんだ?」
「いや、だから……それは……」
「何かやましい事でもあるのか?」
ジト目を向けるケルベロスへと、ルーイットは目を細め深くため息を吐く。
「あんた……何にも知らないの?」
「はぁ? 何の事だ?」
ルーイットの言葉にわけが分からんと、ケルベロスは首を傾げる。その様子からルーイットは呆れた表情で肩を落とし告げる。
「彼女、捕まったのよ。人間に」
「彼女? …………!」
ルーイットの言葉に、ケルベロスは何かを思い出した様に驚く。そして、眉間へとシワを寄せると、唇を噛み締める。
「まさか、シャルルか?」
「えぇ。それで、シオは城を抜け出して、呼び出されたって言う英雄に力を借りに行ったのよ」
呆れ顔のルーイットが失笑し、小刻みに肩を揺らす。腕を組むケルベロスは、右手を顎へと当て「ふむっ」と息を吐く。そして、眉間にシワを寄せたまま尋ねる。
「シャルルがどうして捕まったんだ? 確か、シオの婚約者として城で暮らしていたんだろ?」
「それが、私にも分からないのよ。突然、城から居なくなったの」
「突然城から? 待て! それで、何で捕まったと分かるんだ?」
「誰かが言ったの。シャルルが連れて行かれたって」
訝しげな表情でルーイットがそう言うと、クロトは小さく首を傾げる。
「それは、本人の意思で着いて行ったって可能性は無いのか?」
「あるわけ無いだろ!」
「絶対ありえない!」
ケルベロスとルーイットがほぼ同時に怒鳴る。その声に、クロトは表情を引きつらせ、二人の顔を交互に見た。妙に迫力があり、その目が怖かった。その為、クロトは両手を顔の横まで上げ、ただただ苦笑して見せた。
やがて、落ち着きを取り戻した二人は話を再開する。
「それで、シャルルがどうしてヴェルモット国に捕らわれたと?」
「アレ? あんたは知らなかったっけ? シャルルが龍魔族でも希少な存在だって?」
「龍の瞳の事か? 知ってるが、それがどう繋がるんだ?」
訝しげな表情でケルベロスが尋ねる。
龍の瞳とは、龍魔族でも希少なモノで、透き通る様な淡い赤紫色の瞳をしている。膨大な魔力を秘めていると言われ、その目を持つ龍魔族は最も長生きし、その血を呑めば不老不死――と、までは行かないが、長生きできると言われている。
それ故、龍魔族はその目を持つ者を城に監禁し管理していた。本来、その瞳は生まれ持ったモノだが、シャルルは突然発祥したのだ。ゼバーリック大陸で、ケルベロス、ルーイットと共に修行している最中に。
初めての現象だった為、龍魔族側も混乱していたが、結局彼女はそのままシオの婚約者として残る事になったのだ。
「だが、その事は極秘で、知っている者は……」
「えぇ。限られている」
「じゃあ、何で……」
眉間にシワを寄せるケルベロスが腕を組み考える。話の内容についていけないクロトは目を細め、右手で頭を掻く。
「あのさぁ……。そう言う経緯は追々でいいから、そろそろ話を進めて欲しいんだけど?」
半笑いでそう言うと、ルーイットは「そうだね」と微笑する。
「私がここまでついて来たのは……そのシャルルを助ける為」
「助ける? え、えっと……言い辛いんだけど……」
クロトが言葉を濁し、言いよどんでいると、ケルベロスが代わりにハッキリと告げる。
「その身体能力で本気で助けに行くつもりだったのか? 無謀と言うか……バカだな」
ケルベロスのその言葉にルーイットの表情が硬直し、引きつる。言われるだろうとは予期していたが、ここまで酷い言われようだとは予想できなかった。ショックを受けるルーイットに対し、ケルベロスは吐息を漏らす。
「仕方ない。お前じゃ無理だろうし、俺が捕まって探ってみるか……」
「いやいや。あんたの場合、捕まった時点で処刑確定だから!」
顔の前で右手を振り、ルーイットがジト目を向けると、ケルベロスは不満そうな表情を浮かべる。
妙に緊迫した空気が漂い、クロトは静かに吐息を漏らす。
「じゃあ、俺が行くよ」
「えっ?」
「俺はケルベロス程、顔も知られてないし、流石に女の子を行かせるわけには行かないだろうし……」
「だが、危険だぞ?」
珍しくケルベロスが心配した様子でそう言う。もちろん、クロトも覚悟は出来ている。その為、力強く答える。
「ああ。問題ねぇーよ」
と、笑みを浮かべて。