第113話 切り札
港町の宿に滞在し、三日が経とうとしていた。
三日もこの港町に滞在していたのにはわけがあった。
それは、セラの捻挫が原因だった。それ程酷いモノでも無いが、無理をして悪化させるのは良くないと、言う結論に至った。今居るメンバーに、聖力を扱える者は居ないし、大事になって対処出来る程、クロト達に医学の知識もなかったからだ。
その為、暫く安静にしておく事になった。
バレリア大陸で謝礼として受け取ったお金があった為、暫くお金に困る事はない。それに、ここが魔族だけの町で、尚且つ安全だと言う事もあり、少しでも体を休めたいと言う意向もあった。
クロトもケルベロスも殆ど戦い詰めで、肉体的にも精神的にも疲れが溜まっていたのだ。それに、ここから先、ゆっくりと休む機会があるのか、ケルベロスは不安だった。何か胸騒ぎがしてならなかった。
一面雪に染まった街路を歩むクロトとケルベロス。
怪我人のセラや、寒さに弱い獣魔族のルーイットに買出しに行かせるのはよくないと、珍しく二人で買出しに出ていた。
紙袋を両手に抱きかかえるクロトは、「はぁーっ」と白い息を吐き出し、目を細める。
「寒い……」
厚手のコートを着ているが、それでも寒さは厳しく、下唇が自然と震えだす。
しかし、その隣りを歩くケルベロスは、全く動じる事無くいつも通りだった。鍛え方の違いなのだと、クロトは恨めしそうにケルベロスを横目で何度も見た。
だが、クロトは気付いていない。ケルベロスが、自分の体内に魔力で炎を流し込んでいる事を。故に、ケルベロスはこの寒さでも表情一つ変えていないのだった。
雪の上に残る二つの足跡。町を出歩いている者は折らず、雪の上には二人の足跡以外何も残っていない。誰も外出していないその現状に、クロトはやはり違和感を覚えていた。今日だけじゃないのだ。ここに来てからずっと、町を出歩いている人を目にしていない。何かあるとしか思えなかった。
疑念から眉間へとシワを寄せ、難しそうな表情をするクロトに、ケルベロスは静かに尋ねる。
「お前も感じたか? この違和感……」
「ああ。何で、誰も外に出ないのか……て、事だろ?」
コソコソと二人は小声で話す。周囲には誰も居ないが、何故だか監視されている。そう感じたのだ。
どうにも落ち着かない様子のクロトは、何度も瞳を往来させ辺りを見回す。視線を感じ、クロトは訝しげな表情を浮かべる。とても好意的とは言えないその視線に、クロトは魔力を右目へと集めた。気配を探ろうと、考えたのだ。だが、その行動をケルベロスが制止する。
「やめろ。クロト」
「で、でも、気になるだろ?」
魔力を帯び赤く輝く右目をケルベロスへと向ける。すると、ケルベロスは眉間にシワを寄せ告げる。
「誰が見ているのか分からない以上、下手にコチラの手の内を見せるべきじゃないだろ」
「そうかもしれないけど……これで、相手の正体も――」
「まだ分からないのか? お前のその目は切り札だ。いざと言う時まで相手に知られない方がいい」
ケルベロスの言葉に、クロトは右目に集めていた魔力を解放する。赤く薄らと輝いていた瞳は元通りになり、クロトは静かに瞼を閉じた。
魔力を目に集中すると相当目が疲れる。故に、クロトは目頭を右手の親指と人差し指で押さえ込み、空を見上げた。
疎らに降る粉雪が、クロトの額へと落ちる。そのひんやりとした感触に、クロトは頭を振った。頭に被っていたフードがふわりと落ち、黒髪が激しく揺れる。
白い息を吐いたクロトは肩を落とす。すると、ケルベロスが聊か呆れた様な眼差しを向けた。
「お前、大丈夫か?」
「はぁ? 何だよ? 急に」
突然のケルベロスの言葉にクロトは訝しげな表情を浮かべる。しかし、ケルベロスは返答せず、小さく頭を振り歩みを進めていた。
クロトはわけが分からず、首を捻り鼻から息を吐く。そして、ケルベロスの背を追って駆け足で全身した。
「へぇーっ! そうなんだー」
宿に残されたセラとルーイットは、宿の一階にある食堂で、宿の主人と話をしていた。部屋に居てもする事がなかったからだ。
主人の方も、特に客が居ると言うわけじゃない為、暇つぶしをかねて、セラとルーイットの二人と談笑していた。口にタバコを銜えた主人は、蓄えた口ひげへと鼻から煙を噴き出す。その煙に、セラとルーイットは不快な表情を浮かべる。特に獣魔族であるルーイットは、思わず眉間にシワを寄せ、左手で鼻を摘んでしまった。
二人の表情とルーイットの行動で、主人も気付いたのか、申し訳なさそうにタバコを灰皿へと押し付ける。
「これは、すまないね。特に、獣魔族のキミには、キツイ臭いだったかい?」
耳の付けに角を生やした宿の主人。彼は、龍魔族だった。もちろん、純粋な龍魔族と言うわけではなく、龍魔族と魔人族のハーフだ。故に、このようなヘンピな港町で宿を経営しているのだ。この国では龍魔族間にも差別がある。純粋な龍魔族が貴族、他の魔族とのハーフは同属では無いとし、王に仕える事も、王都で働く事も出来ないのだ。
しかし、宿の主人はこの生活に満足している。たとえ、来客数が少なく生活が苦しくても、こうしてたまに訪れる旅人と話す事をなによりも楽しみにしていたからだ。
「それで、キミらは何しにこの大陸に来たんだい? そもそも、よくあのバレリア大陸から抜け出る事が出来たね」
三十代半ばを超えた僅かにシワの刻まれた顔に、温厚そうな笑みを浮かべ主人がそう尋ねた。まだ、知らないのだ。バレリア大陸で起きた事件を。その為、セラもルーイット顔を見合わせ笑う。
すると、主人は不思議そうな表情で微笑する。
「あれ? オジサン、何かおかしな事を言ったかい?」
「い、いえ。実は――」
セラはバレリア大陸であった事を、主人へと話した。詳しい事は端折り、大まかな出来事を告げる。暴君と呼ばれた国王の事。その王が死んだ事。そして、新たに六傑会と言う組織が立ち上がった事。もう魔族が蔑ろにされ苦しむ事が無い事を話した。
嬉しそうに語るセラの顔を見据える主人は、自分の娘を見る様な穏やかな眼差しを向け、小さく頷く。
「そうかい……暴君バルバスが……。なら、止めておくべきだったな……」
もの悲しげな表情を見せる主人に、セラとルーイットは顔を見合わせ首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
ルーイットが尋ねる。その紺色の獣耳を畳んで。
不安そうな、心配そうな、そんなルーイットの瞳に、主人は儚げな笑みを浮かべ、左手を顔の前で振る。
「なんでもないよ。ちょっと、昔の事を思い出しただけだよ」
「昔の事? それて……もしかして……」
セラがそう呟き、その視線をカウンターの向こうに飾られた写真立てへと向ける。そこには、まだ若い頃の主人と、その奥さんであろう若い女性と、幼い二人の子供の写真が飾られていた。色あせてはいるが、間違いなく彼の写真だった。
龍魔族は基本的に長生きだ。平均寿命は五〇〇歳程といわれている。龍の血を引いている為だ。その龍魔族の血とのハーフである宿の主人は、見た目以上に長く生きてきたのだと、セラとルーイットは気付いた。
そんな二人の視線に、主人は照れ臭そうに右手で頭を掻く。
「これでも、すでに二百年は生きてるんだよ。私の妻も、二人の娘もね、もう随分前に亡くなって……。
先日、その孫娘が亡くなったんだよ。丁度、バレリア大陸で……処刑されたと、友人に聞かされたよ」
悲しげな目を伏せ、主人は薄らと笑みを浮かべた。
セラもルーイットも、表情を険しくする。すると、主人は穏やかに笑う。
「まぁ、孫娘と言っても、龍魔族の血を濃く受け継いでね。八十年以上も生きていたんだけど……」
「は、八十年……」
「そ、それって、もうあば――」
ルーイットはそう言いかけて言葉を呑んだ。それが、失礼だと思ったからだ。しかし、主人は静かに笑う。
「確かに、キミ達にとっては、八十歳は歳かも知れないね。でもね。龍魔族にとってはそれ位の歳だと、大体キミ達位の若さなんだよ」
「へぇーっ……じゃあ、おじさんも?」
「まぁ、他の人よりは長く生きているよ。そうは見えないかもしれないけどね」
微笑む主人が右手で頭を掻く。腕を組むセラは「そっかそっか」と小さく頷いた。
頬杖をついた主人は、遠い目を窓の外へと向け、その窓縁に僅かに残る雪を見据える。
「そう言えば……キミ達も外出は控えた方がいいと思うよ」
思い出したように主人がそう言うと、セラは首を傾げた。
「どうしてですか?」
ルーイットが早々にそう口にすると、主人は眉を八の字に曲げ苦笑した。
「まぁ、あくまで噂だけど……出るらしいよ。この辺り」
「で、出る?」
セラの体が僅かに跳ね、肩がワラワラと震える。セラの隣りに座るルーイットは、セラの異変に小首を傾げた。そして、ジト目を向ける。まさか、こう言う話に弱いのかと。
しかし、主人はそんな事に気付かず、話を続ける。
「そう。出るんだよ。氷の女王と呼ばれる雪女がね」
「雪女……ほ、本当に?」
表情を引きつらせるルーイットの隣りで、セラが更に拳を震わせる。だが、体の反応と裏腹に、セラの目は輝き、妙に興奮していた。その為、ルーイットは嫌な予感がし、苦笑した。
それと、同時だった。セラが右拳を胸の前に構え立ち上がったのは。その行動に目を丸くする主人は首を傾げ、ルーイットは嫌な予感が的中し、右手で頭を押さえた。
「会いに行こう! 雪女に!」
「あっ? 雪女に?」
「一体、何の話だ?」
丁度、宿へと戻ったクロトとケルベロスが、その手に荷物を持ったまま、訝しげな表情でそう尋ねた。
すると、セラはニシシと笑いクロトとケルベロスの方に体を向ける。その無邪気でイタズラっぽい笑みに、クロトもケルベロスも、嫌な予感がし、その視線を隣りに居るルーイットへと向けた。