第112話 フィンク大陸
クロト達の乗った船がフィンク大陸、西南の港へと停泊したのは、バレリア大陸を出て三週間後の事だった。
「うぐぐーっ!」
船を降りたクロトは奇怪な声を上げる。両腕で体を抱き締め、身を震わせるクロトは、カタカタと歯を鳴らすと、ゆっくりと振り返る。
「ちょ、どう言う事だよ! 俺の防寒着は!」
白シャツ一枚のクロトに対し、ケルベロス、セラ、ルーイットの三人は完全防備だった。もふもふの暖かな服装をした三人は顔を見合わせ、呆れた様に肩を竦めあう。
フィンク大陸は一年中雪の降る大陸。現在も、粉雪が舞っていた。
身を震わせるクロトは、クシュンとクシャミをすると、その鼻から鼻水が滴れる。
「もう、何で防寒着準備してないのよ?」
セラは黒いふかふかのフードを頭に被り困り顔で告げる。普段は愛らしく見えるセラの笑顔に、クロトは眉間にシワを寄せジト目を向ける。
流石のセラもそのクロトの視線に苦笑し、ルーイットへと顔を向けた。すると、ルーイットは肩を竦め、両手を肩まで挙げた。
苦笑する二人にジト目を向けるクロトは、ムスッとした表情をケルベロスへと向ける。
「な、何で、俺のはないんだよ?」
「お前が準備していなかったからだろ?」
「してなかったも何も、こんな場所だって聞いてないぞ!」
クロトが怒鳴る。だが、ケルベロスは全く関心が無いのか、耳の穴を左手の小指でほじり視線を逸らした。
眉間にシワを寄せるクロトは、深く息を吐く。その吐息は一瞬にして真っ白に染まった。
僅かな時間、沈黙が漂う。そして、ケルベロスは呆れた様にため息を吐き、肩を落とした。
「仕方ない……なら、まずは買い物と行くか」
「買い物? いいの?」
セラが不安そうな表情で尋ねる。経験上、どの大陸でも魔族はヒソヒソと暮らしていると言う事を知った為だ。セラの暮らしていたルーガス大陸には人間は住んでいない為、魔族は堂々と生活していた。その為、魔族がそんなヒッソリと暮らしていると知ったのは、ルーガス大陸を出て初めてだった。
瞳を右往左往させるセラに、ケルベロスは鼻から息を吐き出し答える。
「大丈夫だ。この大陸は唯一人間よりも魔族の割合が多い大陸だ。この港町も、魔族が納めている町だ」
「へぇーっ……そうなんだ」
腕を組み頷くルーイットは、背を曲げプルプルと体を震わせる。獣魔族である彼女にとって、このフィンク大陸の気温は厚着をしていても厳しいモノだった。
身を震わせるルーイットに、セラは心配そうな顔を向け小声で尋ねる。
「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫よ」
セラへと微笑するルーイットだが、その表情は引きつっていた。流石にここまで寒いのは初めてだった。元々、ゼバーリック大陸を出た事がなかった為、雪と言うのをあまり目にした事がなかったのだ。
青ざめたルーイットの唇に、セラは不安そうな表情をケルベロスへと向けた。小さく吐息を漏らすケルベロスは、右手で頭を掻く。ルーイットが獣魔族である以上、こうなる事は予測していた。その為、ケルベロスは、もう一度息を吐き静かに歩き出す。
「とりあえず、今日はこの町の宿で一泊するぞ」
「お、おおーっ……そ、そ、そうしてく、く、くれ……」
下唇を震わせクロトがそう返答すると、ケルベロスは呆れた様な眼差しを向け、
「あーぁ……お前は、セラと防寒着を買って来い。お金はこれだけあれば足りるだろ」
ケルベロスが隣りに佇むセラへと、お金の入った袋を手渡す。それを受け取ったセラはその袋の重さに目を丸くする。
「えっ、こ、こ、こんなに!」
「ああ。ついでだ。セラも服を買うと――」
「だったら、私も行く!」
ケルベロスの声を遮り、唇を青くしたルーイットが声を上げる。だが、その瞬間にケルベロスの怒った目がルーイットへと向き、その襟首を掴み歩き出す。
「お前は、俺と一緒に宿探しだ! 第一、その状態で買い物とかしてる場合か!」
「か、買い物はベツバラー!」
ルーイットの声がドンドン遠ざかっていくのをクロトとセラは見据えていた。そして、セラは苦笑し困った顔をクロトへと向けた。
ガタガタと震えるクロトは、そんな視線に気付く余裕も無く、青ざめた顔でゆっくりと足を進める。
「い、い、いこ、いこ……」
壊れた機械の様に何度も同じ言葉を発するクロトに、セラは小さく吐息を漏らし、その後へと続いた。
数十分後、ようやく手に入れた黒の防寒着を着て、クロトはセラと町を歩いていた。こじんまりとした小さな港町で、町の人は漁業で生計を建てている。故に、店は少なく、結局セラは買いたい服が無くふてくされていた。
「ぶーっ……折角、こんなにお金貰ったのにー」
頬を膨らし、唇を尖らせるセラの隣りで、クロトは苦笑していた。人通りの少ない石畳の道には雪が積もっていた。人通りが少ないのは、この雪の所為だった。この港町に住む魔族の多くは獣魔族で、基本的に暖かい日に漁に行き、寒い日は家に閉じこもっているのだ。
堅く閉ざされた家々に、クロトは疑問を抱いていた。まるで何かに怯えている様に感じていたのだ。周囲を警戒する様に気を張るクロトの肩には力が入っていた。
「ねぇ、クロト?」
セラが足を止め、クロトへと呼びかける。だが、クロトはその声に気付かず、二歩三歩と足を進めた後に、セラが立ち止まった事に気付き足を止めた。
「んっ、セラ? どうかした?」
振り返ったクロトが小首を傾げると、セラはムッとした表情を向ける。何故、そんな表情をしているのかクロトは分からず、訝しげ表情をする。
すると、セラはソッポを向き、クロトを追い抜いた。その行動で、セラが怒っているのだと、クロトは気付いたが、何故怒っているのか分からず、慌ててセラの後を追う。
「ま、待てよ! セラ!」
クロトが呼び止めるが、セラの足は止まる事無く進む。だが、その時、雪に足を取られセラの体が後方へと倒れる。
「きゃっ!」
「セラ!」
後ろ向きに倒れるセラへと、クロトは飛び込む。そして、その体でセラを受け止め、クロトは雪の中へと埋まっていた。
「イタタ……」
セラがゆっくりと体を起こす。そして、自分のお尻の下に感じる感触に、視線を下へと向けた。そこにはうつ伏せに雪に倒れるクロトの姿だった。完全に顔は雪に埋まり、微動だにしないクロトの姿に、セラは慌てて立ち上がる。
「く、くろ――ッ!」
だが、立ち上がったセラの表情は歪み、その場に蹲った。その声に、クロトはバッと顔をあげ、雪に塗れた顔をセラへと向けた。
「せ、セラ! だ、大丈夫?」
「う、う、ん……ッ!」
返答したセラの表情が歪む。セラの表情の変化で、何処か痛めたのだとクロトは気付きすぐに立ち上がった。
体中に雪をつけたクロトは、心配そうな表情で、セラの顔を見据える。雪に埋もれていた為、クロトの鼻は真っ赤になっていた。だが、そんな事など気にせず、クロトはセラに尋ねる。
「何処を痛めたんだ? 動けるか?」
「ん……んんっ……多分……」
曖昧な返答をするセラに、クロトは眉間にシワを寄せる。そして、強引にセラのズボンの裾を捲った。
「ちょ、ちょっと、や、やめてよ!」
セラは頬を僅かに赤らめ、そう言った。だが、そんなセラと裏腹に、クロトの表情は険しかった。
右足の足首が、赤く腫れていた。明らかに捻ったのだと分かった。その為、クロトは一瞬どうするべきか悩む。背負うか、抱き上げるかで。
しかし、クロトはすぐに決断を下し、「ごめん」と最初に謝ってからセラの体を抱き上げた。
「わっ! きゃっ! な、なな、な!」
顔を真っ赤にして、セラはジタバタする。お姫様抱っこと言うのが、とても恥ずかしかった。
暴れるセラに対し、クロトは真剣な顔で告げる。
「暴れないで。落としたら大変だろ?」
「で、でも……」
セラは顔を真っ赤にし俯く。そして、クロトは走り出す。この町の宿を探して。