第11話 空飛ぶ魚
一夜が明け、嵐はすっかり収まり、海はいつもと同じ穏やかな波を広げていた。
船にもなれ、船酔いもすっかり良くなったクロトは、セラと共に甲板で釣りをしていた。釣りなどした事は無く、まさかこんな所で体験するとは思ってもいなかった。
糸を垂らし、かれこれ数時間。全く竿がしなる事は無く、クロトは甲板に寝そべり空を見上げる。
本当に魚が釣れるのだろうか、と疑問を抱き、先日見た化物達を思い出す。この世界の海にはあんな化物しか存在しないんじゃないか、と目を細め、そもそも食べられる生き物が海に生息しているのか、と更に不安になる。
そんなクロトの不安を他所に、隣りでは鼻歌混じりで竿を握るセラ。セラも釣りをするのは初めてで、興味があったらしくとても楽しそうだった。
「楽しそうだな」
甲板に寝そべりながらそう尋ねると、セラは「そう?」と僅かに顔をクロトの方に向け、笑顔を見せる。今までずっと城内に押し込められていたからだろう。こう言う体験をするのは、楽しくて仕方ないのだろう。
楽しそうなセラに渋々と体を起こしたクロトは手すりを掴み立ち上がると、海面を覗き込んだ。透き通る様な鮮やかな蒼い海水に、僅かに見える魚らしき影。一応、この世界にも魚と言う生き物は居る様で、極稀に先日の様な化物が、現れるのだろうと、クロトは自分にそう言い聞かせた。
「どう? 魚居る?」
海面を覗くクロトの隣りに寄り添う様に現れたセラは、そのままクロトと同じように海面を覗く。二人の姿が海面に映ったが、すぐに波で消された。
「ねぇ。今、結構良い感じだった?」
「えっ? 何が?」
海面を見据えながら呟いたセラに、顔を上げそう返答すると、セラは不機嫌そうな表情を浮かべ、「もういい」と、顔を背けた。わけが分からず、首を傾げたクロトは、もう一度海面へと目を向けた。
と、その時、セラの竿先が大きく海面へと引かれる。
「せ、セラ! ひ、引いてるぞ!」
突然の事に慌て、テンパるクロトはどうして良いか分からず、あたふたとしていると、ケルベロスが操舵室から飛び出し、クロトを突き飛ばし竿を力いっぱい引く。
「何してるんだ! 貴様は!」
突き飛ばされ甲板に尻餅を着いたクロトは、「イッ……」と声を上げ、ケルベロスを見上げると、真剣な表情で竿を引くケルベロスに文句を言う事は出来なかった。昨夜の嵐で、食料が海へと投げ出されてしまい、今、この竿に掛かった獲物が今日の夕食となるからだ。ケルベロスも必死なのだ。
文句を言わず立ち上がったクロトは、ズボンをはたき、手すりから身を乗り出し海面を覗き込む。糸の先に僅かな影と、赤い光が二つ映り暴れだす。
「くっ! コイツは……大物か……」
竿の根元を腹に当て、腰を落とし竿を胸の前へと引く。しかし、暴れまわる魚の力で竿は右往左往と激しく動きまわっていた。
「クロト! 急いで網持ってきて!」
「わ、分かった」
セラに言われ、クロトは急いで大きな網を手に取り、手すりから身を乗り出し構える。海面に薄らとその姿が見えてきた。やはり赤い光が二つこちらを見据えていた。
クロトは何か嫌な予感がし、その光をジッと見据える。そして、気付く。
「やべっ! 伏せろ!」
クロトが叫ぶと同時に、ケルベロスの引く竿が突如軽くなり、糸が緩む。急に力の均衡が崩れ、後方へと倒れこむケルベロスに、水しぶきを上げ宙へと舞い上がった大きな影が、大口を開け突っ込んでくる。鋭利なヒレをこちらへ向けて。
「このクソ魚!」
体勢を崩しながらも、怒りの形相で魚を見据えるケルベロスが、右手に蒼い炎を灯す。その瞬間、クロトとセラは同じ事を思う。
(今日の晩飯!)
(きょ、今日の晩御飯!)
《完全に丸焦げだ!》
二人の心の声がシンクロしたと同時に、ケルベロスは拳を突き出す。蒼い炎は拳から放たれ、魚を直撃――しなかった。その場に居た誰もが驚いた。突如ヒレを水平にし、上昇したのだ。
「おいおい。魚が空を飛ぶのか? この世界は……」
空を滑空する腹を膨らませた魚に、驚きの声を上げるクロトに、ケルベロスも怪訝そうな表情を浮かべ、
「魚類が、空を飛ぶと思うのか? 貴様は?」
と、クロトを睨んだ。
「けど……実際飛んでるぞ? アレをどう説明する気だ?」
クロトが空飛ぶ魚を指差し、ケルベロスの方へ顔を向けると、「俺に聞くな」と言いたげな眼で睨まれた。
しかし、そんな魚に対し、眼を輝かせる人物が一人。セラだ。城から殆ど出た事の無かった箱入り娘のセラにとって、それはとても興味深く、カッコ良く映っていた。
「おおおっ! 空飛ぶ魚って、凄い! ねぇねぇ! アレ、捕まえて、飼おうよ!」
「無理です」
「無理だ」
ケルベロスとクロトがほぼ同時に返答すると、「えぇーっ」とセラが声を上げた。だが、二人はその声を無視して、空飛ぶ魚へと眼を向けた。
船の上空をグルグルと滑空する魚。何か意図があるのか、それとも飛び掛るチャンスを窺っているのか。どちらにせよ、空を飛べない三人には手出し出来ない所に居るのは確かだった。掛かっていた針も、どうやら飛び上がった衝撃で抜けたらしく、竿は海の上にプカリと浮かんでいる。
「さて……どうしたものか」
腕を組みケルベロスがそう呟くと、クロトは視線をケルベロスの方へと向け、尋ねる。
「アレって……食えるのか?」
「…………」
だが、ケルベロスはその問いに返答せず、小さく息を漏らしただけだった。あからさまなケルベロスの態度に、表情を引き攣らせるクロトは、セラの方に助けを求めるが、セラの興味は完全に空飛ぶ魚の方へと向けられ、クロトの視線に気付く事は無かった。
(くぅー。ケルベロスは俺の事完全に無視だし、セラは空飛ぶ魚に興味深々だし……アレ、本当に食えんのかよ!)
不安げな表情で空飛ぶ魚を見据えるクロトの目には涙が滲んでいた。
それから数分が過ぎ――
「アイツ、いつまで飛ぶんだろうな?」
「さぁな」
いまだ空を飛び回る魚。アレは本当に魚なのか、と言う疑問がクロトとケルベロス両名の頭に過ぎっていた。そもそも、魚の癖に水に入らず数分間も空を飛んだが、絶対干からびるはずなのだが、何故かあの魚の表面は潤っていた。
ジト目を向けるクロトは、考えるのをやめた。この世界の魚は全て空を飛ぶ。そう思い込む様にしたのだ。実際、ここに来て魚を見たわけじゃないし、それでいいだろうと、甲板に腰を下ろし壁にもたれかかった。
そんなクロトを横目で見たケルベロスは、すぐに視線を魚の方へと向ける。ケルベロスも、初めて見る魚だった。一体、どんな仕組みで飛んでいるのか、疑問に思いながらも、相手が何故逃げようとしないのか、考える。
先に浮かんだのは、『逃げられない理由がある』だが、これはまず無いと、すぐに消去する。釣り針も取れ、空を飛べるのに、逃げられない理由があるわけが無いからだ。
次に考えたのは、『何かを狙っている』だが、もしあるとすれば、魔王の娘セラだけだが、城から殆ど出ないセラを魔王の娘だと分かるだろうか、と思いそれも消去した。
最後に考えられる事は『何かを待っている』と、すると、この行動は――。
と、考えていると、突如船が揺れだす。船の周囲が突如波たち、気泡がブクブクと海面へと浮かぶ。そして、水しぶきを上げ、大量の魚が宙へと飛び上がった。