第103話 圧倒的な力
激しく火花が散る。
重々しい金属音を奏で衝撃は広がった。
暴君バルバスとクロトは互角に渡り合っていた。後方へと弾かれたクロトの靴の裏には、僅かに土が盛り上がる。それ程、バルバスの放つ一撃が重かったのだ。
腕を伝う汗は肘先からポツリポツリと地面に落ち、髪はベッタリと額に張り付いていた。
一方で、暴走するバルバスには疲れの色など無い。それは、すでに彼が死に体であるからだった。
「ぐおおおおおっ!」
野太い雄たけびを上げ、バルバスが大剣を振り上げる。
(クロト! 来るぞ!)
ベルの声に、クロトは顔を上げる。その目に映るバルバスの動き、振り下ろされる剣の軌道がハッキリと分かる。だが、後方へと飛び退こうとするクロトの膝から力が抜けた。
「ぐっ!」
ここに来て、クロトの体を蓄積された疲労が襲う。今までの打ち合いのダメージが膝にきていたのだ。左膝が完全に地に落ち、体は前のめりになった。呆然とするクロトに、慌ててケルベロスが叫ぶ。
「クロト!」
だが、その声に反応するだけの余力は残っていなかった。気付くのが遅かった。自分の体に起きている現象に。
クロトがその現象に気付いたのはつい今しがた、左膝を地に落とした瞬間だった。バルバスの素早い動きが鮮明に、尚且つスローに見えていたと言う事は、クロトがそれに反応するのにそれと同等のスピードで動いていた事になる。急にそんな素早く動けば体に掛かる負荷だって相当なモノで、そんな過度な負荷を掛け続ければ当然――すぐに体は壊れる。
今のクロトが、その状態だった。膝が震え、腕が上がらない。体の節々が激しく軋む。突然の事にクロトの思考は完全に停止し、バルバスの足元を見据えていた。
「クロト! 確りしろ!」
ライが叫び、ナイフを投げる。真っ直ぐに剣を振り上げるバルバスへとナイフは向かう。だが、バルバスはそれを軽くなぎ払った。金属音が僅かに響き、火花が散る。顔だけをライの方へと向けるが、すぐにその視線はクロトへと戻る。
「くっ!」
小さく声を漏らし、ライは腰のナイフを三度抜く。そして、駆ける。バルバスへ向かって。
ライの行動とほぼ同時にケルベロスもバルバスへと走り出す。その拳に灯した蒼い炎を揺らめかせ、鋭い眼差しを向けて。
しかし、バルバスは二人の動きなど気にする様子は無く、再びその剣を振り上げた。
呆然とその場に跪くクロトは、地面に映る影でバルバスがまた剣を振り上げたと気付いた。意識はハッキリしているのに、体が動かない。その現象にクロトは奥歯を噛み締める。
(くっそ! 動け! 動いてくれ! 俺は、ここで――)
瞼を閉じ、そう念じる。だが、クロトの気持ちと裏腹に、その体はゆっくりと前方に倒れていく。完全に肉体が機能を停止させた。ドクンと脈打つ心音がやけに大きく聞こえ、やがて胸を地面に打ちつける。僅かに舞う土埃が顔へと掛かるが、それを払う事も出来ない。
その手から零れ落ちた魔剣ベルは、まだその場に姿を残していた。今回は魔力が切れたわけじゃない。クロトの体が限界を迎えただけ。その為、ベルはクロトの魔力を少しずつ奪い続けていた。
「くっそ! 何でもっと早く気付かなかったんだ!」
駆けながらライが悔やむ。ハンターとして卓越されたその眼力があったにも関わらず、クロトの異変に気付けなかった事を。
「あんな動き、今のアイツの体で出来るわけがなかったんだ!」
そう呟き、ケルベロスは唇を噛み締める。クロトの今の肉体が、あの速度の動きに耐え切れるわけが無いと、今頃になって気付き、自分を責めていた。
二人とバルバスの距離は縮まる。そして、最初にバルバスの間合いに入ったのはライだった。
間合いに入ると同時にライは右手に握ったナイフを一振りする。しかし、バルバスは、それを左手で払う。上手くナイフの腹を叩いて。
「ぐっ!」
その衝撃にライの体が大きく後方へと伸びる。下から上手い具合に叩かれたのだ。それでも、ライがナイフを離さない。そうした理由はただ一つ。無防備な姿を見せ、コチラに気を向ける為だった。
だが、そんなあからさまな隙に、バルバスは見向きもせず、その剣をクロトへと振り下ろす。切っ先を向けて垂直に。
「蒼炎拳!」
駆けるケルベロスが右足を踏み込み、右拳を力強く突き出す。拳を包む蒼炎がその勢いで放たれた。拳台の大きさで放たれた蒼炎は、激しくバルバスが振り下ろした剣の腹を叩く。衝撃が広がり蒼炎は弾け、それにより軌道を変えた剣は、クロトの顔の前へと落ちた。
地面が砕け、切っ先は深く突き刺さる。ハッキリとした意識の中で、クロトはその刃に映る自分の顔を見据える。生きて帰ると覚悟したはずのクロトの表情は今にも息絶えそうな顔だった。
(はは……これが、生きて帰るって覚悟した顔かよ……)
心の中でそう呟き、クロトは瞼を閉じた。そんなクロトの頭に浮かぶのは、待っているセラやルーイット達の顔。そして、元の世界にいる幼馴染の少女の顔。その瞬間、クロトの目が見開かれる。思い出したのだ。ここで死ぬわけには行かないと言う事を。
だから、必死に考える。この状況をどうするかを。魔力は十分残っている。体力もまだ余力はある。体が動かないだけ。なら、この体をどうにか動かせる様になれば、まだ戦える。そうクロトは考えた。だが、そうする術が思いつかない。
目の前に突き刺さったバルバスの剣が抜かれ、少量の土が舞った。
「くっ! ケルベロス! 俺が奴と――」
「いや、俺がバルバスは引き受ける! お前はクロトを頼む!」
ケルベロスはそう叫び、バルバスの懐へと潜り込む。そして、右足を踏み込み腰を捻り、右拳でバルバスの腹を突き上げる。
鈍い打撃音が轟き、衝撃が広がった。だが、表情を歪めたのはケルベロスだった。鋼鉄の様に硬いその腹筋にケルベロスの右拳は震える。
「ぐっ!」
予想以上にその腹筋は硬かった。そして、殴ったケルベロスの拳に激痛が走っていた。
そのケルベロスの行動に遅れてる事数秒、ライが横たわるクロトの体を抱え、その場を離れる。それと同時だった。
「ぐおおおおっ!」
バルバスが咆哮を上げたのは。
激しい衝撃が生まれ、すぐ傍に居たケルベロスの体が弾かれた。
地面は砕け陥没し、土煙は周囲へと瞬く間に広がる。
クロトの体を抱える小柄なライも、その衝撃で空中に投げ出された。
「くっ! 一々うるさいんだよ!」
すぐさま腰のナイフを二本抜き、バルバスへと投げる。だが、それは衝撃波で瞬時に弾かれた。こうなる事を予測し、ライは一気に急降下する。そして、弾かれた二本のナイフを華麗に両手で掴み、更に加速する。
「疾風連牙!」
ライは腕を伸ばし二本のナイフを突き出し、回転する。その回転により風が生まれ、ライの体を渦巻く。更に加速するライは、そのままバルバスへと突っ込む。
だが、バルバスは大剣を振り上げ声を上げる。
「一刀――両断!」
回転し突っ込むライへと、バルバスは右足を踏み込み振り上げた大剣を一気に振り下ろす。回転するライが放つナイフと振り下ろしたバルバスの大剣が直撃した。と、同時に轟音が轟き、バルバスの大剣が地面を砕いた。
土煙が上空へと大量に舞い、その中から小さな影が弾かれた。それは、影はライだった。両手にナイフを握り、額から僅かに血を流すライは、何度も地面へとその体を打ちつけ、壁へと衝突した。分厚い壁に亀裂が生じ、瓦礫が僅かに崩れ落ちる。
「ぐはっ……」
吐血するライは膝つき、表情を強張らせた。
疾風連牙は本来、時計回りに回りながら敵を両手に持ったナイフで何度も突き刺すと攻撃。風の属性を持ち、その加速された回転から放たれる刃は肉を裂き、まるで獣に食い千切られた様になる事から、その名がついた技だ。
だが、今回はこの技にライのアレンジを加え、一点集中の貫通力に特化した攻撃にした。上空から落下する速度に、回転から生まれた風による加速を加えた小柄なライが放てる一番の破壊力を持つ技でもあった。
しかし、そんな一撃でもバルバスの放った基本的な技である一刀両断の前に、脆くも打ち崩された。
空中に投げ出されていたクロトも、仰向け地面へと叩きつけられる。二度、三度とバウンドし、クロトの表情は痛みに歪む。
膝を着き、口から唾液と一緒に血を零すライは、震える膝に力を込める。
本来、ライはその小柄な体格故、打たれ弱い。その為に、遠距離攻撃が出来、軽くて扱いやすいナイフを武器として使用していた。それに、ライは元々後方支援型で、前線で戦うタイプじゃないのだ。
「ぐぅ……げほっ……」
咳き込み激しく血を吐くライに、ケルベロスは眉間にシワを寄せる。現状、戦えるのが自分しかいないと言う事に、奥歯を噛み締める。ハッキリ言って、勝てる見込みは無い。クロトもアオも戦える状況ではないこの状況で、あの暴君バルバスを倒す策など思いつかない。
息を呑むケルベロスは拳を握り、バルバスを真っ直ぐに見据える。
だが、直後だった。急激に空気が張り詰める。足元へと広がる高温の風に、ケルベロスの視線は自然と一人の人物へと向けられた。いや、ケルベロスだけではないその場に居た皆が、その人物へと目を向ける。仰向けに倒れるクロトへと。