第102話 クロトの潜在能力
剣を弾き、クロトは後ろに下がる。
砂埃を足元に舞わせるクロトは、すぐに顔をあげ額の汗を拭った。
ただ一度剣を交えただけなのに、全身を襲う疲労感にクロトは表情を歪める。
ゆっくりと腰を上げたケルベロスは、眉間にシワを寄せバルバスを見据えていた。恐ろしい程の殺気に、完全に呑まれていた。
そこに、ようやく姿を見せたライは、腰のナイフを抜き構える。三人の視線を浴び、バルバスは静かに顔を動かす。ケルベロス、クロト、ライの順にその顔を見据え、その大剣を持ち上げる。
「つえぇ……これが、暴君バルバスか……」
僅かに呼吸を乱し、ライは呟く。ハンターとしての経験とその鋭い観察眼で、ライは気付いていた。バルバスの体から放出される強い力を。クロトの右目程精確ではないが、おおよその力の強さは分かる。
だからこそ、ライは背中に汗を滲ませ、奥歯を噛み呼吸を荒げていた。
「さて、どうする?」
ケルベロスがクロトの背中へと尋ねる。その言葉に、クロトは眉間にシワを寄せた。
「どうするもこうするも無いだろ? 俺たちに出来る事をするまでだ」
「じゃあ、アイツはどうする?」
ケルベロスの声にクロトが視線を後ろへと向けた。その先に映るのは恐怖に震えるアオの姿だった。あの堂々としたアオがあんなにも怯える姿を、ライも初めて目にした。
一体、どれ程の恐怖を、体に――記憶に――刻み込んだのか、クロトにも、ケルベロスにも、ライにも想像はつかなかった。
今のアオでは戦力にならないのは分かっていた。その為、クロトは決断する。
「アオは、このままにしておこう。俺達だけで何とかするんだ」
「けど、作戦はどうするんだよ? 俺もケルベロスもそう言う事不向きだし……」
サラッとケルベロスに対して、ライは失礼な事を口にする。だが、ケルベロスも自覚があるのか反論はしない。相手は暴君バルバスだ。策の一つも無いと瞬殺されるのは目に見えていた。それでも、クロトはガンとして譲らず、強い目でバルバスを睨む。
「作戦は無い……けど、全力で当たる!」
「全力でって……相手は暴君だぞ? 無策で飛び込めば、返り討ちにあう! クロト! お前が、一番分かってるはずだろ!」
ライが声を荒げる。その言葉の意味をクロトは重々分かっていた。
“お前にはその目があるんだ、力の差は見えているはずだ”
ライが伝えたかったのはこう言う事だった。もちろん、クロトも知っている。どれ程の力の差があるのかを。だが、恐怖に震えるアオを無理やり戦いに引き込むなど、クロトには出来なかった。
覚悟はしているはずなのに、クロトの体は震える。これが、絶対に生きて帰る為の覚悟――そう直感していた。
体が反応しているのだ。逃げろと。
脳が告げているのだ。生きて帰りたいなら、今すぐ逃げろと。
だが、クロトの下した決断は、バルバスを倒して生きて皆の所に帰ると、言う無謀なモノだった。そのクロトの覚悟に、気持ちに鼓動するように、その右目は一層赤く輝きを増す。
「嘘……だろ……」
クロトの姿を見据えるライは、驚愕していた。その目に映るのは、今までとは比較にならない程の魔力の波動だった。クロトの体から――いや、その右目から発せられる光り輝く純度の高い魔力。その魔力が、ゆっくりとクロトを包み込んでいた。
初見でライはクロトの異質を見抜いていた。その異質とは、魔力の質だった。通常、魔力の波動は一人一つだけの変わる事の無いモノ。だが、クロトの場合、その波動が明らかに変化するのだ。通常時と、赤黒い炎を使う時と、魔剣を使う時と。その魔力の質は全くの別人に様に感じる程だった。
そして、今回はその三つとも違う、もう一つの魔力の波動。強力で、体の底から溢れ出る無限とも言える魔力量だった。
クロトもいつもと違うと違和感を感じているのか、自分の手をジッと見つめていた。
(魔力の質が変ったか?)
(分からない……。俺は、何をしたんだ? 急に、体が軽くなった気がする……)
(恐らく、覚悟の違いだろう)
(覚悟の違い?)
(ああ……。グレイに言われ、お前は、生きて帰る覚悟した。そして、目の前に現れた強敵。
コイツを倒さないと生き残れないと言う意志が、潜在能力を解放した……そう考える方がいいだろ?)
ベルもあんまり納得はしていない様だが、そう自分に言い聞かせる様に告げる。自分の手を見据えるクロトは、これが、覚悟の違いなのかと、疑問を抱きながらも、ゆっくりと顔を上げた。
バルバスと視線が交錯する。不適な笑みを浮かべ、静かに大剣を振りかざすバルバスに、クロトは突っ込む。そうしろと、誰かが言った気がしたのだ。
「バカ野郎! 考えなしに突っ込むな!」
ケルベロスの声が背中から聞こえる。だが、クロトの足は止まらない。
(来るぞ!)
ベルの声が頭に響く。同時に、打ち下ろす様にバルバスの大剣が振り下ろされる。さっきは受けるだけで精一杯だったが、今はハッキリと見える。落ちてくる刃の軌道が。
右足を踏み込み、体を右へと捻る。左足は引き、そのまま体は左を向く。目の前を通過する刃に左手を添え、視線だけをゆっくりとバルバスの方へと向けた。
(こんなに、遅かったか?)
不意にそんな言葉が頭を過ぎった。さっきはもっと速く、絶対にかわせないと思うほどだった。だが、今回のは全然脅威を感じなかった。
クロトにとって数十秒ほどに感じるゆったりとした流れ。しかし、それは、ケルベロス達にとっては一瞬の出来事だった。激しく打ち下ろされたバルバスの剣が瞬く間に地面を砕き、土煙と爆風を広げる。飛び散る砕石は音をたて、地面へと落ちた。
舞う土煙に目を凝らすケルベロスとライは、険しい表情を浮かべる。あのタイミングでは、絶対にかわせない。二人の直感――いや、今までの経験からそう決断する。幾ら良く見積もっても今のクロトに、あの一撃をかわす力は無いと。
拳を握るケルベロスは「クッ」と小さく声を漏らし、ライは静かに目を伏せた。
ゆっくりと土煙が晴れる。瞼を開くライは、顔をあげ目にした光景に驚愕する。同じく、ケルベロスも。
そこに膝を着いていたのはバルバスだった。握った左手を見つめるクロトは、呆然と立ち尽くしていた。
何が起こったのか、ケルベロスとライには皆目検討もつかない。ただ分かるのは、クロトがバルバスの一撃をかわし、彼に膝を着かせたと、言う目の前の事実だけだった。
「ぐっ、ぐぬぅぅっ……」
膝を着くバルバスの呻き声で、クロト達は我に返る。
「何をしてる! 早く離れろ!」
最初に声を上げたのはケルベロスだった。立ち上がろうするバルバスに危険を感じ、叫んだその言葉に、クロトも戸惑いつつ頷きその場を離れた。
一番戸惑っていたのはクロトだった。自分でも何が起こっているのか理解出来ていない。
(クロト! 来るぞ!)
そんな折に、ベルの声が頭に響く。すぐに正面へと顔を向けると、立ち上がったバルバスが腹の底から声を吐き出す。
「うおおおおおおっ!」
大気が震え地が揺れ、舞い上がる土埃は周囲へと広がった。それと同時に、バルバスは地を蹴る。爆音と地面が砕ける甲高い音が響いた。怒り狂ったバルバスは、周囲の人など見えていないのか、クロトへと恐ろしい形相で突っ込む。
巨体を揺らし、踏み込む足は地面を砕く。そんなバルバスの動きが、クロトにはハッキリと見えていた。踏み込んだ足の筋肉の張り、なびく髪の一本一本の流れも全てが見える。舞う土煙の一粒一粒が鮮明に映り、そこからゆっくりと出てくるバルバスの姿にクロトは身構えた。
初めての感覚に戸惑いを感じながら、クロトは重心を落とし腰の位置に構えた魔剣ベルを握りなおした。