導き
導き
旅行先で闘犬を見た。もともと闘犬にはあまり興味はなかった。TVで見た事がある程度だった。旅行先で空いた時間がたまたま開催時刻と重なったから見てみようと行ってみた。始まったとたんに、えっ、野蛮だ、残酷だ。それしか頭にに浮かばなかった。柵の横で小さな女の子が「やめさせて~」と必死に泣き叫ぶ。対象的に観客や主催者、飼い主はは犬をけしかけている。せっかく見に来たのだからとカメラを構えたが、手先が震え、のどが詰まり、いつの間にか流れ出た涙でファインダーが曇りピントが合わせられない。怖い。恐怖もある。でもそうじゃない。この込み上げてくる気持ちは何だ。何に心が震えているのだろう、闘犬の鍛え抜かれた肉体と噛まれても痛みに耐え声を出さない精神力か。泣き叫ぶ子供のかわいそうだから止めさせてと一所懸命に訴える姿か。社会行事だから子供の声では止まらない事を知っているからか。主催者や飼い主が闘犬に仕事だからとけしかける真剣なな姿か。愛玩犬とは違う認識、戦うために生まれてきた犬と言う人間のエゴか。どれだ。一斉に来た複数の感情を受け止められないからか。今でもあの時撮った写真を思い出すと嫌な気持ちになる。中学の頃、学年の中からNOと言えない気弱な2人を戦わせるいじめにあった。そう言う記憶があったからなおさら嫌な気持ちになったのかもしれない。
闘犬等、文化の違いと言えばそれまでだ。イルカを食べる地域がある。同じ日本人の私でも驚いたから、海外から見れば何と残酷な事だと思うのだろう。イルカは知能の高い生物だから、痛みも人間と同じように感じる。かつて日本ではクジラも食べていた。捕鯨に関して過激な対応をする団体もいる。過激なのは反対だが言いたいことは理解している。今は捕鯨する必要性は消えた。かつてクジラは食用、鯨油、骨や革は日常生活用品の加工材料になり捨てる部分はなかった。江戸時代まで日本ではシカ・イノシシを中心に、ウサギ・クマ・キツネなど多様な獣肉を食べていた。 牛や馬は宗教の影響でほぼ食べなかった。今はなんでも食べる。今でも豚を食べない宗教がある。イルカを食べる行為、豚を食べる行為、闘犬、闘牛、闘鶏等 は?。もう分らない。自分と違う価値観は世の中に普通に存在する。受け入れる、放置する、反対する。何が正しいのか分からない。価値観の違いを押し付け合うと争いになる。これだけは避けたい。
価値観を強調させ好き嫌いに変え、世の中を二分させる風潮が多くなった。世界中で見られる。価値観を感情に変えてしまうから、たちが悪い。嫌いなものは受け入れられない。明確な敵になる。精神的には石器時代に戻ってしまったようで残念だ。根本を見直す理性を持ってほしい。ディベート(討論)、ディスカッション(意見交換)、コンセンサス(寛容できる合意)へと繋げられるはずだ。世の中の頂点に立つリーダーは、二分させて半分の票を獲得するより、将来ひとつになる方を選択してほしい 。私がリーダーを選ぶなら、上から目線で指示するより、人の前に立って導いてくれる方かな。
昨日より素敵な明日に出来ますように




