ドロの色
薬草が切れかけていた。
霧岬の近くに小さな市場がある。人間向けの店が数軒、異種族向けの露店がいくつか。品揃えは王都とは比べ物にならないが、基本的なものは揃う。週に一度、買い出しに行くのが習慣になっていた。
帰り道、両手に荷物を抱えながら診療所への道を歩いていると——
何かが、いた。
診療所の扉の前に、それは佇んでいた。
膝丈ほどの、半透明の塊。色は薄い灰緑。形は一定せず、ゆっくりとうねるように変形を繰り返している。内部に丸い何かが二つ、こちらを向いていた。
——スライム系、かもしれない。
足が止まった。
文献で読んだことはある。しかし実物を見るのは初めてだ。スライム系は非常に希少で、生態の記録がほとんどない。あの内部の球状の器官が視覚に相当するのか、それとも別の感覚器官なのか——
「先生?」
扉が開いて、ノアが顔を出した。「あ、帰ってきた。……って、それ何ですか」
「わかりません」私は言った。「……患者さんかもしれない」
「え」
私は塊に近づいた。しゃがんで、目線を合わせる。
「……患者さんですか」
塊が、わずかに色を変えた。薄い灰緑から、少しだけ黄色みがかった色へ。
「……反応した」
「先生、それ返事ですか」
「わかりません。ただ、反応はあります」
私は荷物をノアに押しつけた。「これ、中に入れておいてください」
「え、ちょっ——」
ノアが荷物を受け取る間に、私は塊の正面にしゃがみ込んだ。メモ帳を開く。
色。形。動き。
観察できるものは、すべて記録する。
色は今、薄い黄色みがかった灰緑。形は丸みを帯びているが、上部がわずかに尖っている。温度は——まだ触れる段階ではない。まずは視覚的な情報を整理する。
言語を持たない個体の場合、コミュニケーションは何かしらの非言語的なサインで行われるはずだ。色の変化が感情や意思と対応している可能性がある。であれば、この黄色みは——
「先生」
ノアが戻ってきた。「中に入ってもらわなくていいんですか」
「もう少し待ってください」
「どのくらいですか」
「わかりません」
ノアの耳が横に倒れた。
さらに時間が過ぎた。
「……先生、だいぶ経ってますけど」
「はい」
「もう一時間は経ってますよ」
「そうですか」
また時間が過ぎた。
「先生」
「はい」
「……二時間です」
私はようやく顔を上げた。「そんなに経ちましたか」
「経ちました」ノアの声が少し低かった。「それで、何かわかりましたか」
「少し」私はメモ帳を見た。「色の変化が少なくとも三パターンある。形の変化も感情と対応している可能性がある。あとは——」
「先生」
「はい」
「患者さんを中に入れてあげてください」
——そうか、患者だった。
「どうぞ、中へ」
扉を開ける。
塊がゆっくりと移動した。予想より速かった。ずるずると這うのではなく、なめらかに滑るように動く。
診察室に入った塊を見て、ノアが言った。「どうやって診察するんですか」
「観察します」
「観察って」
「言葉が通じない相手と話すには、まず相手を知るしかありません」
私は椅子を引いて、塊の正面に座った。メモ帳を構える。
「……意思疎通の試行を開始します」
ノアが小さく息を吐いた。「また始まった……」
「仮に、この個体をドロと呼びます」
「仮に、って……」
ドロが、わずかに黄色みを強めた。
——悪くない反応だ。
◇診療日誌◇
患者名:ドロ(仮称)
種族:スライム系
発見:買い出し帰り、診療所前にて発見
外見:半透明・薄灰緑色・膝丈・内部に球状器官二つ
症状:不明(言語なし・非言語コミュニケーションのみ)
処置:観察のみ・経過観察
備考:色の変化、少なくとも三パターンを確認。形状の変化も感情と対応している可能性あり。言語によるコミュニケーションは困難と判断し、非言語サインの解読が必要。仮に本個体の反応体系を「ドロ語」と定義し、解析を開始する。完了まで数ヶ月を要する見込み。——興味深い。




