表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧の岬の処方箋 〜「先生、それ治療ですか観察ですか」「両方です」~  作者: 鉄百合


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/4

竜は煙を吐く

書き溜めた分少しずつ吐き出していきます。

 ガラは三日後に来た。 


 「また来るとは言っていない」と言い残して去ったくせに、約束でもしていたかのように、午後の同じ時間に扉を叩いた。三回、重く、短く。

 ノアの耳がぴくりと動き、わずかに前へ向いた。

 私は返事をしなかった。予想通りだったからではなく、資料の続きを読んでいたからだ。


「開いてますよ」


 扉が開いた。深緑の鱗が診療室の光を鈍く反射する。前回より煙が少ない。警戒は薄れているが、代わりに別のものが混じっている。痛みか、それとも——


「薬が切れた」


 ガラが言った。


「診察してからでないと処方できません」

「また同じことを言う」

「同じことを言います」


 ガラが低く唸った。煙が少し濃くなった。白から、薄い灰色へ。怒りではない。苛立ちに近い。


 私はメモ帳を開いた。「前回の薬は効きましたか」

「……まあ」

「どのくらい楽になりましたか」

「聞く必要があるか」

「あります」


 沈黙。ガラが私を見る。私もガラを見る。


 鱗の色が前回と微妙に違う気がした。光の加減か、それとも体調の変化か。——どちらにせよ、記録しておく必要がある。


「……前よりはましだ」

「前より、ですか。ではまだ痛みは残っていますね。どのあたりですか」


 ガラが答えない。


「前回の炎症部位と同じですか」

「……だいたい」

「診せてもらえますか」

「触るな」

「触らないと確認できません」


 ガラが今度は本格的に唸った。煙が一気に濃くなり、黒に近い灰色が鼻先から吹き出した。ノアが廊下の端で身を縮める。私は動かなかった。


 煙の色を観察する。灰色から黒——怒りではない。防衛反応に近い。触れられることへの本能的な拒絶。


 ——資料ではなく、目の前で確認できた。


「ガラさん」

「なんだ」

「今の煙は怒りですか。それとも痛みですか」


 沈黙。


 ガラが、初めて言葉に詰まった。


 長い沈黙だった。煙がゆっくりと薄れていく。灰色から白へ。ガラの目が私を見て、それから床へ落ち、また私へ戻った。


「……どちらでもない」

「では何ですか」

「うるさい」


 私は書き留めた。

 〈煙の色:黒に近い灰=防衛反応の可能性。怒りとは別パターン〉


「診察室へどうぞ」


 ガラがまた唸った。しかし今度は煙が出なかった。


 ゆっくりと、診察室へ入ってきた。


 処置台はガラには小さすぎた。立ったまま診察することになる。前回の炎症部位は右の脇腹から背にかけての鱗の下。慎重に触診する。


「……っ」

「痛みますか」

「言うな」

「言わないと記録できません」

「うるさい医者だ」

「よく言われます」


 ガラが低く息を吐いた。煙が細く、白く漏れた。前回よりわずかに——やわらかい。


 炎症は前回より広がっている。鱗の下の組織が熱を持っている。薬だけでは足りない。もう一段深い処置が必要だ。


 ——それよりも、気になることがあった。


 炎症部位の周辺の鱗の質感が、明らかに違う。前回も違和感はあったが、今日ははっきりしている。鱗の縁が、わずかに浮いている。


 加齢か、病変か。判断材料が足りない。


「少しよろしいですか」

「何をする」

「鱗の縁の状態を確認したいんですが」

「処置と関係あるのか」

「あるかもしれません。ないかもしれません」

「どっちだ」

「正直に言うと、純粋に気になっています」


 沈黙。


「……どこだ」

「ここです」


 指先で炎症部位の隣の鱗の縁をそっとなぞる。ガラが微かに動いた。痛みではない。くすぐったさに近い反応。


「これは加齢によるものですか。それとも以前からですか」

「知らん」

「竜族の方でこういった鱗の状態を見たことは」

「ない。そもそも他の竜に会わん」


 ——そうか。


 竜族は個体間の接触が少ない。比較ができない。つまりガラ自身も、自分の変化を判断する基準を持っていない。


 私は記録した。

 〈鱗の縁:炎症部位周辺で浮きあり。加齢か病変か不明。要継続観察〉

 〈竜族:個体間比較困難——生態的特性による〉


「記録は終わったか?」


 ガラの声に、わずかに呆れが混じっていた。


「すみません。処置を続けます」


 処置は三十分かかった。ガラは終始無言だった。前回と違い、文句はなかった。煙も最小限だった。


 処置が終わり、器具を片付けていると、ガラがぼそりと言った。


「お前、本当に怖くないのか」

「何がですか」

「私が、だ。竜族が目の前にいて」


 私は少し考えた。


「怖いとは思いません。ただ」

「ただ?」

「鱗の縁の件が気になって、それ以外を考える余裕がないんだと思います」


 ガラが長く息を吐いた。白い煙がゆっくりと天井へ昇る。


「変な人間だ」

「よく言われます」


 帰り際、ガラが扉の前でわずかに足を止めた。前回と同じ位置。しかし、振り返らない。


 そのまま出ていった。


 ノアが処置室に入ってきた。


「先生、見ましたか」

「何をですか」

「ガラさんの尻尾。帰り際」


 私は気づいていなかった。「どうでしたか」


 ノアが少し笑った。


「ぴこぴこしてました。先生に背中向けてる間、ずっと」


 私はメモ帳を開いた。

 〈尻尾の先端:帰り際に微細な振動。感情との相関、前回より確度上昇〉

 〈次回:本人への確認を試みる〉


「確認するんですか」ノアが引いた顔をした。

「データのために」

「……やめた方がいいと思いますよ」


 窓の外、今日は霧が薄かった。海が、うっすらと見えた。

◇診療日誌・第二日◇

患者名:ガラ

種族:竜族

推定年齢:不明

性別:不明

来院:二回目

症状:炎症継続・前回より拡大

処置:深部処置済み・経過観察

備考:煙の色追加記録。黒灰=防衛反応(怒りとは別)。鱗の縁の浮き確認、加齢か病変か不明。竜族は個体間比較困難。尻尾の振動、感情との相関ほぼ確実。次回本人への確認を試みる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ