竜は煙を吐く
書き溜めた分少しずつ吐き出していきます。
ガラは三日後に来た。
「また来るとは言っていない」と言い残して去ったくせに、約束でもしていたかのように、午後の同じ時間に扉を叩いた。三回、重く、短く。
ノアの耳がぴくりと動き、わずかに前へ向いた。
私は返事をしなかった。予想通りだったからではなく、資料の続きを読んでいたからだ。
「開いてますよ」
扉が開いた。深緑の鱗が診療室の光を鈍く反射する。前回より煙が少ない。警戒は薄れているが、代わりに別のものが混じっている。痛みか、それとも——
「薬が切れた」
ガラが言った。
「診察してからでないと処方できません」
「また同じことを言う」
「同じことを言います」
ガラが低く唸った。煙が少し濃くなった。白から、薄い灰色へ。怒りではない。苛立ちに近い。
私はメモ帳を開いた。「前回の薬は効きましたか」
「……まあ」
「どのくらい楽になりましたか」
「聞く必要があるか」
「あります」
沈黙。ガラが私を見る。私もガラを見る。
鱗の色が前回と微妙に違う気がした。光の加減か、それとも体調の変化か。——どちらにせよ、記録しておく必要がある。
「……前よりはましだ」
「前より、ですか。ではまだ痛みは残っていますね。どのあたりですか」
ガラが答えない。
「前回の炎症部位と同じですか」
「……だいたい」
「診せてもらえますか」
「触るな」
「触らないと確認できません」
ガラが今度は本格的に唸った。煙が一気に濃くなり、黒に近い灰色が鼻先から吹き出した。ノアが廊下の端で身を縮める。私は動かなかった。
煙の色を観察する。灰色から黒——怒りではない。防衛反応に近い。触れられることへの本能的な拒絶。
——資料ではなく、目の前で確認できた。
「ガラさん」
「なんだ」
「今の煙は怒りですか。それとも痛みですか」
沈黙。
ガラが、初めて言葉に詰まった。
長い沈黙だった。煙がゆっくりと薄れていく。灰色から白へ。ガラの目が私を見て、それから床へ落ち、また私へ戻った。
「……どちらでもない」
「では何ですか」
「うるさい」
私は書き留めた。
〈煙の色:黒に近い灰=防衛反応の可能性。怒りとは別パターン〉
「診察室へどうぞ」
ガラがまた唸った。しかし今度は煙が出なかった。
ゆっくりと、診察室へ入ってきた。
処置台はガラには小さすぎた。立ったまま診察することになる。前回の炎症部位は右の脇腹から背にかけての鱗の下。慎重に触診する。
「……っ」
「痛みますか」
「言うな」
「言わないと記録できません」
「うるさい医者だ」
「よく言われます」
ガラが低く息を吐いた。煙が細く、白く漏れた。前回よりわずかに——やわらかい。
炎症は前回より広がっている。鱗の下の組織が熱を持っている。薬だけでは足りない。もう一段深い処置が必要だ。
——それよりも、気になることがあった。
炎症部位の周辺の鱗の質感が、明らかに違う。前回も違和感はあったが、今日ははっきりしている。鱗の縁が、わずかに浮いている。
加齢か、病変か。判断材料が足りない。
「少しよろしいですか」
「何をする」
「鱗の縁の状態を確認したいんですが」
「処置と関係あるのか」
「あるかもしれません。ないかもしれません」
「どっちだ」
「正直に言うと、純粋に気になっています」
沈黙。
「……どこだ」
「ここです」
指先で炎症部位の隣の鱗の縁をそっとなぞる。ガラが微かに動いた。痛みではない。くすぐったさに近い反応。
「これは加齢によるものですか。それとも以前からですか」
「知らん」
「竜族の方でこういった鱗の状態を見たことは」
「ない。そもそも他の竜に会わん」
——そうか。
竜族は個体間の接触が少ない。比較ができない。つまりガラ自身も、自分の変化を判断する基準を持っていない。
私は記録した。
〈鱗の縁:炎症部位周辺で浮きあり。加齢か病変か不明。要継続観察〉
〈竜族:個体間比較困難——生態的特性による〉
「記録は終わったか?」
ガラの声に、わずかに呆れが混じっていた。
「すみません。処置を続けます」
処置は三十分かかった。ガラは終始無言だった。前回と違い、文句はなかった。煙も最小限だった。
処置が終わり、器具を片付けていると、ガラがぼそりと言った。
「お前、本当に怖くないのか」
「何がですか」
「私が、だ。竜族が目の前にいて」
私は少し考えた。
「怖いとは思いません。ただ」
「ただ?」
「鱗の縁の件が気になって、それ以外を考える余裕がないんだと思います」
ガラが長く息を吐いた。白い煙がゆっくりと天井へ昇る。
「変な人間だ」
「よく言われます」
帰り際、ガラが扉の前でわずかに足を止めた。前回と同じ位置。しかし、振り返らない。
そのまま出ていった。
ノアが処置室に入ってきた。
「先生、見ましたか」
「何をですか」
「ガラさんの尻尾。帰り際」
私は気づいていなかった。「どうでしたか」
ノアが少し笑った。
「ぴこぴこしてました。先生に背中向けてる間、ずっと」
私はメモ帳を開いた。
〈尻尾の先端:帰り際に微細な振動。感情との相関、前回より確度上昇〉
〈次回:本人への確認を試みる〉
「確認するんですか」ノアが引いた顔をした。
「データのために」
「……やめた方がいいと思いますよ」
窓の外、今日は霧が薄かった。海が、うっすらと見えた。
◇診療日誌・第二日◇
患者名:ガラ
種族:竜族
推定年齢:不明
性別:不明
来院:二回目
症状:炎症継続・前回より拡大
処置:深部処置済み・経過観察
備考:煙の色追加記録。黒灰=防衛反応(怒りとは別)。鱗の縁の浮き確認、加齢か病変か不明。竜族は個体間比較困難。尻尾の振動、感情との相関ほぼ確実。次回本人への確認を試みる。




