ー名前を呼ぶ前にー
この話は、
言葉にしなかった片想いの話です。
ーー陽視点ーー
里穂は昔から、変わらない。
話しかけると少し間を置いて笑って、
大事なことほど聞き返してくる。
陸上部の練習が終わったあと、
俺はマネージャーに声をかけられて、
連絡事項を聞いただけだった。
それだけなのに、
里穂は少し離れた場所で黙っていた。
俺は、その理由を聞かない。
里穂に誤解されていることは、
たぶん分かっている。
俺が誰かを見ていると思わせた方が、
安全だと思った。
幼なじみという関係は、
思っているより脆い。
好きだと気づかれた瞬間に、
今までの距離が崩れてしまう気がしていた。
里穂は俺の名前を呼びそうになって、
やめた。
その一瞬で、胸が苦しくなる。
俺は里穂の好きな人には、
なりそこねたままでいい。
隣にいられるなら、それでいいと、
ずっと自分に言い聞かせていた。
――里穂 視点――
陽には、好きな人がいる。
確かな証拠はない。
でも、そう思ってしまう理由は、いくつもあった。
同じ陸上部のマネージャー。
話しかけられるときの陽の表情。
私の前で、何も語らない沈黙。
きっと、そうなのだと思った。
「陽、最近楽しそうだね」
探るように言った私の声は、
思っていたより落ち着いていた。
「そう?」
陽はそれ以上、何も言わなかった。
否定されなかったことが、
答えのように感じてしまった。
幼なじみだから、
知らない恋をしていてもおかしくない。
聞けばいいのに、聞けない。
好きだと悟られるのが怖かった。
陽の隣は、
ずっと私の居場所だった。
でもそれは、
私だけがそう思っている場所なのかもしれない。
名前を呼ぶ前に、
私は言葉を飲み込んだ。
片想いは、
声にしなければ、形を保てる。
壊れない代わりに、
進むことはないけれど。
それでも今は、
隣にいられるだけで、十分だった。
読んでいただき、ありがとうございました。
少しでも余韻が残れば嬉しいです。




